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東京地方裁判所 昭和52年(特わ)80号 判決

目  次

主文

理由

(罪となるべき事実)

(証拠の標目)

(弁護人の主張に対する判断)

第一 法律上の主張について

一 本件証言及び告発に至る経過

二 本件告発の効力

三 衆議院予算委員会の証人喚問権

第二 事実上の主張について

一 全日空渡辺副社長に対するL―一〇一一型機購入方慫慂関係

1 弁護人の主張

2 コーチヤンが被告人を知るに至つた経緯

3 被告人・コーチヤン間の第二回会談の時期

4 第二回会談の内容・状況

5 いわゆる陰謀についての関係証拠の信用性

6 渡辺慫慂についての関係証拠の存在

7 渡辺尚次供述の信用性

8 被告人の捜査段階における供述の信用性

9 渡辺慫慂に関するその余の主張について

10 虚偽陳述の犯意

二 P―3C型機売込援助方要請及び児玉との協議関係

1 弁護人の主張

2 本件会談の状況

3 虚偽陳述の犯意

三 ロスアンゼルス国際空港におけるクラツターとの間の二〇万ドル授受関係

1 弁護人の主張

2 本件二〇万ドル授受についての関係証拠の存在

3 クラツター証言の信用性(その一、総論的判断)

4 クラツター証言の信用性(その二、各論的判断)

5 コーチヤン証言の信用性

6 歳谷鉄供述の信用性

7 麻野富士夫供述の信用性

8 裏付証拠がないとの主張について

9 児玉・被告人間の支払原因不存在の主張について

10 クラツター日記一一月三日欄の記載に関する主張について

11 乗継間の時間的余裕に関する主張について

12 空港内の被告人一行の行動に関する主張について

13 二〇万ドルの流れに関する主張について

四 コーチヤンの東亜国内航空田中社長に対する紹介関係

1 公訴事実の要旨及び争点

2 「コーチヤンを財界人に引き合わせたことはない」旨の国会証言の存否

3 「コーチヤンと一緒に東亜国内航空の関係者と会つたことは記憶にない」旨の陳述と相反する客観的事実の存否

4 結論

(法令の適用)

(量刑の事情)

被告人 小佐野賢治

大六・二・一五生 会社役員

主文

被告人を懲役一年に処する。

訴訟費用中、証人山邊力、同小林誠一郎、同渡辺尚次に支給した分の二分の一及び証人八木芳彦、同松岡博厚、同植木忠夫、同藤原亨一、同若狭得治に支給した分は、被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、東京都中央区八重洲六丁目三番地に本店を有する国際興業株式会社の社主として、同社の業務全般を統括しているものであるが、真実は、〈1〉昭和四七年九月中旬ころ、同社応接室において、児玉譽士夫同席のうえ、ロツキード・エアクラフト・コーポレーシヨン社長アーチボルド・カール・コーチヤンから、同社製造のエアバス級ジエツト旅客機L―一〇一一型機を全日本空輸株式会社に購入せしめるよう尽力して貰いたいとの懇請を受け、そのころ、同社副社長渡辺尚次に対し、内閣総理大臣田中角榮から聞いたハワイ会談におけるニクソン米大統領の意向を伝える形をとるなどして、婉曲に同社が右航空機を購入するよう慫慂し、また、〈2〉同四八年七月下旬ころ、前同所において、前記児玉同席のうえ、前記コーチヤンから、前記ロツキード社製造にかかる対潜哨戒機P―3C型オライオンに関して種々説明を受け、同航空機を日本政府に売却するについての援助を要請され、これについて右児玉と協議し、更に、〈3〉同年一一月初旬ころ、アメリカ合衆国ロスアンゼルス国際空港サテライト7内のユナイテツド・エアラインズ接客用個室において、前記コーチヤンの指示を受けたジヨン・ウイリアム・クラツターらから、ロツキード社の右児玉に対する支払金員の一部である米国通貨二〇万ドルを受領したのにかかわらず、同五一年二月一六日、東京都千代田区永田町一丁目七番一号衆議院予算委員会において、証人として法律により宣誓のうえ証言するに際し、自己の記憶に反し、〈1〉コーチヤンからの依頼に対し、機会があつたら話して見ようとは言つたが、そのまま聞き流し、全日空の何人に対しても、ロツキード社のエアバスを買つてやつてくれ等とは一度も言つたことがない、〈2〉コーチヤンからPXLあるいはP―3Cオライオンといつたような言葉を聞いた覚えは全然ない、ロツキード社に関することで児玉と話し合つたことは断じてない、〈3〉コーチヤンが児玉に対して支払われた七〇〇万ドルの一部が被告人に渡つたと思われるような証言をしているが、それは事実ではなく虚偽である旨証言し、以て虚偽の陳述をしたものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人の主張に対する判断)

以下においては、次の如き略語を用いることがある。

議院証言法    議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律

米国       アメリカ合衆国

ロツキード社   ロツキード・エアクラフト・コーポレイシヨン(なおその子会社、関連会社等を総称することもある。)

LAI      ロツキード・エアクラフト・インターナシヨナル・インコーポレイテツド

全日空      全日本空輸株式会社

日航       日本航空株式会社

ユナイテツド航空 ユナイテツド・エアラインズ(なお、「ヴアリグ」「ウエスタン」等その余の外国航空会社においても同様に称する。)

児玉       児玉譽士夫

福田       福田太郎

コーチヤン    アーチボルド・カール・コーチヤン

クラツター    ジヨン・ウイリアム・クラツター

P―3C     P―3C型機オライオン

国際興業     国際興業株式会社

JPR社     ジヤパン・パブリツク・リレーシヨンズ株式会社

〈公〉 被告人又は証人の当公判廷における供述、公判調書中の供述部分、裁判所の尋問調書(当裁判所の証人に対する尋問調書の場合は、当該手続と同日付の公判回数によつて特定することもある。)

〈嘱〉 嘱託証人尋問調書

〈検〉 検察官に対する供述調書

第一法律上の主張について

一  本件証言及び告発に至る経過

1 第七七回国会は、昭和五〇年一二月二七日召集され、同五一年五月二四日閉会した。この間における衆議院予算委員会(以下「予算委」という。)の審議等の状況は、概ね次のとおりである。

(一) 昭和五一年一月二三日、昭和五一年度一般会計予算、昭和五一年度特別会計予算、昭和五一年度政府関係機関予算の三案(以下「予算三案」という。)が予算委に付託された。

(二) 同月二八日開催の予算委において、委員長荒舩清十郎は、「予算の実施状況に関する事項」につき議長に対し国政調査の承認を求め、その手続等については委員長に一任する件につき審議を求め、その旨の議決を経て、直ちに所要の手続をとることとするとともに、予算三案を一括して議題とし、三案の趣旨につき政府(大蔵大臣大平正芳)の説明を求めた。

(三) 翌二九日から同月三一日まで及び同年二月二日から同月六日まで、連続して予算委が開催され、予算三案に対する総括質疑が行なわれた。同月一〇日、委員長代理小山長規は、同案に対する理事会協議による質疑の途中で、残余の質疑は追つて行なうこととし、証人出頭要求の件を議題とし、予算三案審査に関し、ロツキード問題について、同月一六日午前一〇時小佐野賢治、若狭得治、渡辺尚治、同月一七日午前一〇時児玉譽士夫、檜山広、松尾泰一郎、伊藤宏、大久保利春、以上八名を証人として予算委に出頭を求めることを諮り、その旨の議決を経て、衆議院規則第五三条所定の手続をとることとした。同月一二日から一四日までの三日間には、予算委においては、不況、雇用問題につき、経済団体連合会会長土光敏夫ら二二名の参考人の出頭を求めて質疑が行なわれた。

(四) 同月一六日午前一〇時から、予算委において、被告人外二名に対する証人尋問が行なわれた。冒頭、荒舩委員長から証人らに対し、宣誓又は証言拒否権の存在についての説示及び正当な理由のない宣誓若しくは証言の拒否又は偽証に対する処罰についての告知がなされたうえ、被告人が証人三名を代表して宣誓書を朗読し、各自宣誓書に署名捺印して証言に入つた。被告人に対する質問は、先ず荒舩委員長から人定質問及び総括的な質問をなした後、予算委員塩谷一夫、同古屋亨(関連発言)、同楢崎弥之助、同川崎寛治(関連発言)、同東中光雄、同坂井弘一、同河村勝、同永末英一(関連発言)の順で交互質問し、被告人がこれに応答して、同日午後〇時一〇分に終了した。その余の各証人に対する質問も、病気のため不出頭の届出のあつた証人児玉に対する分を除き、同日午後及び翌一七日中にすべて終了した(その後、予算委においては、予算三案に関し、ロツキード問題について、更に証人を喚問し、質問を行なつているが、被告人とは直接関係ないので省略する。)。

(五) 予算委は、同月二七日、理事会協議による総括質疑の保留分を終えて、翌二八日から一般質疑に入り、更に同年三月四日から第一ないし第五分科会による審査を行ない(この間、同月二九日、暫定予算可決)、同年四月七日、各分科会主査より分科会における審査の報告の後、翌八日、締めくくり総括質疑、討論を経て採決に入り、予算三案をいずれも原案どおり可決し、委員会報告書の作成については委員長に一任すべき旨を決定した。

(六) 会期終了の同年五月二四日、予算委は、予算の実施状況に関する件につき、議長に対し、閉会中審査の申出をすることとし、その手続を委員長に一任する旨の議決をした(なお、同日、証人若狭得治に対する議院証言法第八条による告発の議決がなされた。)。

2 第七八回国会は、昭和五一年九月一六日召集された。委員長荒舩清十郎の国務大臣(行政管理庁長官)就任に伴い、同日、白濱仁吉が議院において予算委員長に補欠選任された。本件告発に至る経過は、次のとおりである。

(一) 同月三〇日、白濱委員長は、国政調査承認要求に関する件を予算委に諮り、予算の実施状況に関する事項につき議長に対し承認を求め、その手続等については委員長に一任する旨の議決を得、直ちに所要の手続をとり、同日から、予算の実施状況に関する国政調査を開始した。

(二) 同年一一月二日午後七時三八分開議の予算委において、予算委員小林進外五名から、日本社会党外四党の各派共同を以て、「去る二月十六日の予算委員会において、小佐野賢治君が証人として宣誓の上行つた証言は、議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律第六条に該当するものと認め、同法第八条により本委員会の決議をもつて告発する。」旨の動議が提出され、小林委員の趣旨弁明の後全会一致を以て、原案どおり可決され、なお告発状の作成その他告発の手続については委員長に一任する旨の議決がなされた。

(三) これを承けて、委員長白濱仁吉は、同月四日、被告人を被告発人とし、

「本委員会は、ロツキード問題の真相究明のため、被告発人を含む関係者多数より証言を求めたのであるが、被告発人は、トライスターの売り込みについて、ロツキード社のコーチヤン社長から依頼があつたのでわかりましたとは言つたがそのまま聞き流しにしだれにも話したことはない旨、ロツキード社あるいは全日空に関することで児玉譽士夫と話し合つたことはない旨証言した。

これらの証言は、コーチヤン社長の米国上院の公聴会における証言、国会における質疑で明らかになつた事実及び捜査の進展情況によつて判断するとき、偽証の疑いが極めて濃厚であると認められる。」

旨の被疑事実を掲げ、被告発人が同年二月一六日、同委員会において、証人として宣誓のうえ行つた前記証言は、議院証言法第六条に該当するものと認め、同法第八条により同委員会の決議に基づき告発する旨の告発状を最高検察庁検事総長布施健あてに提出し、右告発状は同日受理された。

3 以上の事実は、当裁判所の求釈明に対する検察官の昭和五二年九月一六日付釈明書及びその添付資料並びに本件告発状(甲(一)112)及びその添付資料を総合して、これを認める。

二  本件告発の効力

1 弁護人は、議院証言法第八条所定の議院等による告発は訴訟条件をなすものと解すべきところ(最高裁判所昭和二四年六月一日大法廷判決、刑集三巻七号九〇一頁参照。)昭和五一年一一月四日衆議院予算委員長白濱仁吉のなした本件告発は、被告人が第七七回国会の予算委においてなした証言に対し、同国会の会期中及び閉会後の継続審査期間中に何ら告発の議決がなされず、従つて最早被告人に対する告発はなし得ないものとなつていたにもかかわらず、翌第七八回国会の予算委において敢えてなした告発の議決に基づくものであつて、憲法上の不文の原則である国会の会期不継続の原則に抵触する疑いが存し、有効な告発とは言い難く、結局本件公訴は訴訟条件たる告発を欠くに帰するから、刑事訴訟法第三三八条第四号により棄却を免れない旨、主張する(弁論要旨511頁以下)。

2 本件告発の効力に関する所論の検討に先立ち、前提となるべき一、二の点について明確にしておく必要がある。

(一) 議院証言法第八条所定の議院等による告発を訴訟条件と解すべきことについては、所論が正当に指摘するとおりである。

(二) 本件の具体的場合に即して言えば、同条所定の告発をなす権限を有するのは、予算委それ自体であつて、委員長ではない。そして、本件告発状の作成、提出は委員長白濱仁吉名義でなされてはいるが、前示のとおり(前記一の2の(二)、(三)参照。)、同委員長は、予算委における本件告発の議決に関し、同委員会の委任に基づき、告発状の作成その他告発の手続を代行しているに過ぎないものであるから、所論にもかかわらず、本件告発の主体は、同委員長ではなく、予算委それ自身であると認むべきである。

以上の考察を前提として、以下、本件告発の効力につき判断する。

3 結論から先に示せば、法律により宣誓した証人が議院の常任委員会において虚偽の陳述をした場合には、その委員会は、その虚偽陳述につき、当該国会(以下「前会」という。)の会期中及び閉会後の継続審査期間中に議院証言法第八条所定の告発の議決をなさなかつたとしても、翌期の国会(以下「後会」という。)に提出された動議に基づき、適法有効にこれをなし得るものと解するのを相当とし、かく解することは、何ら所論引用の国会の会期不継続の原則と抵触するものではない。所論は、これと異なる独自の法令解釈に立脚するものであつて、採るを得ない。その理由は、次のとおりである。

(一) 憲法が、国会の活動に関し、会期制度を採用していることは、第五〇条中に「国会の会期中」あるいは「会期前」等の用語例が見られることのほか、第五二条ないし第五四条において、常会・臨時会・特別会につきそれぞれ規定していることからも明らかである。そして、会期制度を採用したということは、単に、国会の活動に時間的区切りを設けたことを意味するに止まらず、同時に、一つの会期における国会の意思に独立性を与えたものであつて、一会期における国会又は各議院の意思は、それが法律、規則その他の形式によつて確定された場合等を除き、それぞれ独立して次の会期に継続することなく、逆に言えば、後会の意思は前会の意思に拘束されないことをも意味するのである。それは、イギリス議会の伝統に根ざし、旧帝国議会においても憲法上の不文の原則として認められていたところの「会期不継続の原則」を踏襲したものにほかならず、国会法第六八条本文所定の未決案件不継続の原則は、その当然の締結の一つを注意的に規定したものに過ぎない。所論中以上と同旨を主張する部分(弁論要旨513ないし515頁)は、その限度では正当である。

(二) しかし、会期不継続の原則の意義は、右に説示したところに尽き、それ以上に出るものではない。従つて、議院証言法第八条所定の告発の議決に例をとれば、前会の会期中に告発の動議が提出され、これにつき会期中に議決がなされず、閉会中継続審査に付されることもなかつた場合には、右未決案件は後会に継続しないから、後会において新たに動議が提出されないのに、前会の動議に基づき審査を継続し、議決をなすことは、会期不継続の原則に抵触することとなる。これに反し、後会において、前会に提出され審議未了となつた案件と同一の動議を提出し、あるいは前会に提出されなかつた動議を新たに提出すること(本件告発の動議は後者に当る。)が禁止されるか否かは、会期不継続の原則の関知するところではないのであつて、もしこれを論証しようというのであれば、右原則とは別個の論拠を挙げる必要がある。

(三) 所論は、そこで、前会における予算委の意思にその論拠を求めようとするかの如くである。いわく、「第七七回国会の衆議院予算委員会は、被告人の証言について、偽証の疑いの有無を判断する資料も偽証告発を発議する機会も充分あつたのに拘らず、会期中及び閉会中の審査において、被告人に対する偽証告発がなされなかつたことからすれば、同委員会は、被告人の証言につき偽証として告発する意思がなかつたと認めるのが相当である。このような場合に、告発の発議がなされなかつたことをとらえて、そのことは案件となつていないのであるから、会期不継続の原則を適用するまでもないとするならば、ある会期に行なわれた証人の証言につき、その会期の国会では、案件として発議するまでの要なしとして不問に付されたものが、その後偽証の疑いの有無を判断する新しい資料が出たわけでもないのに、次期国会はおろか、時効の壁に阻まれない限り、偽証の告発を行ないうることとなる。かくては、証人の人権にかかわる告発という行為が政治的恣意によつて、左右されるという不当な結果を招くこととなり、法的安定性を害するから、このような解釈は認められるものではない。」というにある(弁論要旨524、525頁)。

(四) しかし、所論のような解釈は、まさしく会期不継続の原則に正面から抵触することとなるのであつて、到底これに左袒することはできない。すなわち、前示の如く(前記(一)参照。)、一会期における国会又は各議院の意思が後会に影響を及ぼし得るのは、それが法律、議院規則その他の形式によつて確定された場合等に限られるのである。この場合においても、後会としては、前会の意思によつて成立した法律、規則等が公布又は施行されているという状態を受け入れなければならないというだけのことであつて、前会と同一の意思を形成することを強制される訳ではない。後会において、それらの法律、規則を改廃することも許されるのである。前会において、議院証言法第八条による告発の議決がなされた場合には、後会としては、既に告発がなされているという状態を承認して行動しなければならないこととなるし、前会において、同条但書に基づき、証人を告発しない旨の議決がなされた場合についても、同様にかかる議決の存在を所与のものとして受入れるべきこととなろう。これらの場合は、すべて前会の意思が、法律、規則その他の形式によつて客観的に実在化し、前会の意思そのものと言うより、前会の意思によつて生み出されたこれらの客観的実在が、何人もその存在を無視し得ない法律状態ないしは事実状態を形成していると言うにほかならない。所論は、以上に反し、前会の意思が、何ら客観的実在として顕在化していない場合にまで、右と同様の効果を認めようとするものであつて、結局前会の意思そのものに後会に対する拘束力を賦与するに帰し、各会期の意思に独立性を認める「会期不継続の原則」に背馳するものであることは明らかである。

本件においては、所論も認めるように、前会の会期中及び閉会後の継続審査期間中には、被告人に対する告発の動議は案件とされることなく、従つて、予算委において、被告人を告発しない旨の明示の意思を議決したこともないのであるから(前掲検察官の釈明書別添資料三三、三四によれば、閉会中審査の期間中に、野党委員から、被告人に対する偽証告発のための予算委開会の要求がなされたが、実現の運びに至らなかつた経過が窺われる。)、前会の意思が後会を拘束すべきいわれはない。

(五) 叙上の次第であるから、所論のような理由によつては、後会における告発の議決は何ら妨げられるものでないことが明らかである。では、それ以外に、後会の議決の支障となり得べき何らかの事由が存するか否かにつき、念のため検討しておくこととする。

常任委員会及び特別委員会は、会期中に限り、付託された案件を審査する(国会法第四七条第一項)。第七八回国会衆議院予算委に付託された案件はなく、同委員会においては、議長の承認を得て、予算の実施状況に関する国政調査のみを行なつていた(前記一の2の(一)参照。)。本件告発の対象となつた被告人の証言は、前会の予算委に付託された昭和五一年度予算三案の審査に関しなされたものである(前記一の1の(三)、(四)参照。)。そこで、後会の予算委において、当面の処理案件である国政調査の件と関係のない本件告発の動議につき審査、議決することの可否が問題となる。しかし、動議の多くは会議の進行又は手続に関するものであるとは言え、決議の動議の如く、当面の審査又は調査案件と無関係なものも含まれるのであるから、この点は本件動議提出の妨げにならないものと考えられる。

次に、動議提出の時期的制限の有無について考察すると、本件告発の動議に関しては、懲罰の動議(国会法第一二一条第三項等)の如く、その提出期間を定めた明文の規定はなく、かつ、当面の審査又は調査案件とは無関係、独立なものと考えられるから、付随的な進行、手続に関する動議とは異なり、当該審査又は調査案件の終了によつて当然に提出の利益を失うこととなる筋合いのものとも解せられない。現に、議院証言法第八条但書は、「虚偽の証言をした者が当該議院若しくは委員会又は合同審査会の審査又は調査の終る前であつて、且つ犯罪の発覚する前に自白したとき」と規定し、審査又は調査の終了後における告発の議決のあり得べきことを当然の前提としているのである(もし告発の議決をなし得るのが「審査又は調査の終る前」に限られているとすれば、自白の要件に関し、態々右のような限定を付することは全く無意味と言うほかない。)。そして、検察官指摘の如く(論告要旨73頁)、常任委員は議員の任期中その任にあるものとされ(国会法第四二条第一項)、国会の会期が変つても常任委員会の同一性は失われることがない(いわんや、構成員たる個々の委員の任免異動によつてこれが失われることはない。)ものと解すべきであるから、会期終了によつて告発をなし得べき時期を画することも相当でない。

以上いずれの角度よりしても、後会の予算委において本件告発の議決をなすにつき法律上の障害となる事由は見当らないから、本件告発は適法有効になされたものと認むべきであり、これを違法無効とする所論は理由がない。

三  衆議院予算委員会の証人喚問権

1 弁護人は、第七七回国会において衆議院予算委のなした被告人に対する証人尋問は、全くその権限なくして行なつた違法なものであり、従つて、議院証言法に基づく証言はないことに帰するから、同法違反の虚偽陳述罪が成立するいわれはなく、被告人は無罪であると主張する(弁論要旨544頁)。その理由とするところは多岐に亘るが、大要次の如くである。すなわち、第一に、国政調査のための証人喚問権は、憲法第六二条が「両議院は、各々」と、議院証言法第一条が「各議院から」云々と規定しているように、各「議院」、すなわち本会議の議決によつて行動する場合の衆議院及び参議院それ自体に帰属し、各議院の委員会にはその権限がないものと解すべきところ、〈1〉憲法第五八条第二項に基づく議院規則を以てしても、議院外の一般国民の権利を規制したり、義務を強制したりする事項を定めることまでは許されないから、衆議院規則第五三条が証人決定権、証人喚問権を委員会に委譲しているのは、議院の自律権の範囲を越えるものであり、ことに、同規則より後に、証人に対する刑罰を伴う議院証言法が制定された経過に鑑みるときは、同規則第五三条は、同法第一条と抵触する限りにおいてその効力を失つたものと解するほかなく、〈2〉議院証言法第二条の規定は、議院がその有する証人喚問権行使の態様として証人の出頭、証言すべき場を本会議、委員会、合同審査会等と定めた場合におけるその場の主宰者たる議長、委員長、会長らのとるべき手続を定めたものに過ぎないから、以上〈1〉〈2〉の諸規定を以て委員会の証人喚問権を肯認する根拠となすに由ないものと言わざるを得ない(弁論要旨530ないし536頁)。第二に、それでは、議院の有する証人喚問権を議院の議決によつて委員会に委任することが是認されるかについて考察するに、〈1〉特別委員会については、若干の先例の示すように、その設置を定める院議の中で証人喚問権の委任を議決しているものがあり、これらについては、調査事項が具体的に限定されており、その調査のためにする証人喚問の範囲も自ずから限定されているから、このような形における証人喚問権の委任を適法とすることについては、敢えて異を唱えるまでもないと考えられるのに対し、〈2〉常任委員会については、〈イ〉衆議院規則第九四条には、議長の承認を前提とする国政調査権の委任に関する規定があるが、右議長の承認により、国政調査権行使の手段である証人喚問権行使の権限までも委員会に委任されたものと解することは法理上許されず、別途院議を以て証人喚問についての承認を受けることを要するのは解釈上当然のことであり、〈ロ〉議院の有する証人喚問権の行使を内部委任によつて委員会に代行させることが議院証言法施行以来の先例として確立し、最早違法とは言えないという考え方は、議院が、委員会の証人喚問決定につき、個別の院議にかけることなく、抽象的な調査対象を前提として、極めて広範囲な枠の中で、自由に、時としては恣意的に、これを決し得るような形で権限を委任することが、内部委任として適法視される範囲を逸脱するものである点、議院の先例が尊重されるのはその内部関係においてであつて、一般国民の権利義務に直接に関連する事項について法律に抵触するような先例を認めることは許されない点に鑑みても、到底採るを得ないところであり、〈ハ〉前記〈イ〉の衆議院規則第九四条による議長の承認は、議院からの内部委任に基づき、議院の議決による承認と同一の法律効果を有するとの構成をとるとしても、常任委員会に証人喚問権を認めるためには、議長に対する国政調査承認要求の中に、調査の方法として証人喚問によることを明示してその承認を受けることが絶対の要件であり、それなくしては、議長による国政調査の承認によつて委員会に証人喚問権が与えられたと解することはできない(弁論要旨536ないし543頁)。第三に、第七七回国会衆議院予算委の証人喚問権につき具体的に検討すると、同委員会は、調査事項として「予算の実施状況に関する事項」を掲げ、調査方法として「小委員会の設置、関係各方面からの説明聴取及び資料の要求等」によることとして議長の承認を得たことは認められるが、国政調査権行使の方法として証人喚問を行なうことにつき、院議による承認の議決を得た形跡は全く窺われない。従つて、本件証人尋問については、〈イ〉本来証人喚問権を有する議院自体による議決を欠く(前記第一点参照。)のはもとより、〈ロ〉議院から予算委に証人喚問権の行使を委任するための院議による証人喚問についての承認の議決もなく(前記第二点〈2〉の〈イ〉参照。)、また、〈ハ〉議長による国政調査の承認を院議による承認と同視するとしても、右国政調査承認要求の中には、調査の方法として証人喚問を行なうことは何ら明示されておらず、証人喚問について院議による承認を得たことにはならないのである(前記第二点〈2〉の〈ハ〉参照。)。前記調査方法に「関係各方面からの説明聴取」なる文言はあるが、これが強制手段としての証人喚問を含むものでないことは、用語上の常識である。かくて、第七七回国会衆議院予算委のなした本件証人尋問は、全くその権限なくして行なつた違法のものである(弁論要旨543、544頁)。

2 以上の所論に対し、当裁判所は、次のとおり判断する。

(一) 憲法第六二条は、「両議院は、各々国政に関する調査を行ひ、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる。」と規定しているところ、〈1〉憲法上、「議院」という用語には、明らかに委員会等をも含むと解される使用例(たとえば、第五一条、第六三条)も存するのであるが、本条に関して言えば、それは、所論指摘のとおり、本会議の議決によつて行動する場合の衆議院及び参議院それ自体のみを指すものと解するのが相当であり、また、〈2〉ここに「国政に関する調査」とは、国会法、各議院の規則、議院証言法等に規定する「議案その他の審査」及びこれと区別される(狭義の)「国政に関する調査」の双方を含む広義のものと解すべきである。従つて、本条は、右〈2〉の意味における広義の国政に関する調査の権限及びその手段としての証人喚問権等が、右〈1〉の意味の各議院に属する建前について規定したものである。

しかし、委員会中心主義を採用する国会の実際の運営に際しては、議院の活動の主導的役割は委員会によつて果たされることとなるのである。以下は主として衆議院に関し、この間の法的構成を検討する。

(二) 先ず、議院に属するものとされている広義の国政に関する調査の権限について見ると、そのうち、〈イ〉議案その他の審査については、議院からの付託に基づき(国会法第四七条第一項)、〈ロ〉狭義の国政に関する調査については、常任委員会の場合には議長の承認に基づき(衆議院規則第九四条第一項)、特別委員会の場合にはその設置を定める院議に基づき、常任委員会又は特別委員会において、それぞれこれを行使することとなるのである。以上はすべて(議長の承認を介する場合を含め)、議院の意思に基づき個々の案件ごとに授権が行なわれるのであるから、所論の立場を以てしても、その適法性に疑いを差し挿む余地はないものと考えられる。

(三) 次に、委員会の行なう右〈イ〉〈ロ〉の審査及び調査に関し、衆議院規則第五三条は、「委員会は、議長を経由して審査又は調査のため、証人の出頭を求めることができる。」旨を規定する。かつて、いわゆる造船疑獄に関する国政調査の過程において、衆議院決算委員会のなした内閣総理大臣吉田茂に対する証人喚問の議決の処理をめぐり、同条が、議院に属する証人喚問権(証人決定権を含む。)を委員会に委譲したものであり、議長としては、これをそのまま証人に伝達する権限、責務を有するに過ぎないか、証人喚問権は依然として議院に保留し、委員会は議院の喚問権を行使する形式をとるもの(従つて、議長は阻止権を保有する。)と見るべきか、主として同条所定の「議長を経由して」の意義をめぐつて解釈が岐れたことは、周知の如くであるが、同条の規定文言自体並びに証人喚問権の帰属及びその行使手続をどのようにするかは各議院の自律権の範囲内に属し、憲法第五八条第二項本文所定の議院規則制定権を以て律し得べき事項であることに鑑みるときは、前説すなわち委員会に証人喚問権を委譲したものとする解釈が妥当である(参議院規則第一八二条第二項には、「委員会において証人の出頭を求めることを議決したときは、議長を経由して」云々の表現があり、委員会に証人決定権を認める解釈が一層容易である。国会の運営においても、委員会の証人喚問の議決を議長の権限によつて阻止するという先例は遂に開かれることなく終つている。なお、仮に後説に拠るものとすれば、議長は委員会のした証人喚問の議決につき許否の権限を有することとなるのであるから、本件の如く、議長において、異議なく証人に対する喚問手続を進めている場合には、委員会の議決を議院において容認しているものと解することも可能である。)。

所論は、議院規則の所管事項の範囲に関し、「議院外の一般国民の権利を規制したり、義務を強制したりする事項を議院規則で定めることができるとは、到底考えられないのであつて、一般国民に対して出頭、宣誓、証言を強制し、不出頭、宣誓拒否、証言拒否及び偽証に対して、刑罰を科することとなるような証人喚問権がいずれの機関に属するかを定めることは、法律事項であつて、議院規則の埓外である」と主張する(弁論要旨533頁)。しかし、前示のとおり、衆議院規則第五三条は、議院規則の所管事項の範囲内において、証人喚問権の帰属及びその行使手続について規定しているのみであつて、証人に対する各種の義務及び刑罰の賦課は、すべて法律である議院証言法の定めるところであるから、所論は失当である。

所論は、更に、同条は、「それが任意の出頭と証言を求めている限りにおいて、有効な規定であつたと認められるが、刑罰を伴う議院証言法が制定された後においては、これに抵触する限りにおいて、その効力を失つたものと解するほかはない。」と主張し、法令としての形式的効力の点からも、前法後法の関係からしても、「衆議院規則第五三条が有効であると解することは、法理上不可能である。」と言う(弁論要旨534頁)。しかし、議院規則と法律とが同一の事項につき相容れない内容の規定を置いている場合は格別、衆議院規則第五三条と議院証言法とは、それぞれ別個の事項につき規定しているのであるから、両者の間に、他方の効力を否定するような矛盾、抵触を生ずべき道理はない。むしろ、所論の言わんとするところは、委員会における証人喚問は本来任意手段として行なわれるべきであり、これを刑罰を伴う強制手段に転化させることは許されないということであろう。それは、「議院規則のみによつて」という限定を付すれば、まさにそのとおりである。しかし、この場合、強制手段に転化させたのは、国会の制定した法律であつて、議院規則ではない。所論のような考え方によれば、証人喚問権を認める規定よりも、証人に義務や刑罰を科することとする規定の方を無効とすべき筋合いであるが、議院証言法自体には何らの無効事由も認められない。所論は、畢意、独自の見解と言うほかない。

(四) 問題は、むしろ、次の点に存するものと思われる。すなわち、議院証言法は、その第一条において、「各議院から」証人として出頭を求められたときは、何人でも、これに応じなければならないものとし、これを承けて、証人の出頭、宣誓、証言等の義務並びにこれらの義務に違反した場合及び偽証した場合の刑罰に関する規定が置かれているのである。従つて、本条所定の「各議院」の意義につき、さきに憲法第六二条について示した(前記(一)の〈1〉参照。)と同様、本会議の議決によつて行動する場合の衆議院及び参議院それ自体のみを指すものと解釈するときは、同法は、国会の各機関の喚問する証人のうち、右の意味における「各議院」の喚問する証人のみについて規定したものに過ぎないこととならざるを得ず、かくては、各議院の委員会及び両議院の合同審査会が証人喚問権を有するか否かに関わりなく、これらの機関の喚問する証人については、同法の適用外と言わざるを得ないこととなる。このような結果は、もとより不合理であり、立法趣旨にも反するものと考えられるので、同法第一条所定の「各議院」の意義については、合目的的な解釈を探究する必要がある。

案ずるに、先ず、〈1〉法令用語としての「議院」には、右のように固有の議院それ自体を指す狭義の用例(たとえば、憲法第六二条)のほか、議院及びその内部に設置される委員会等を含む広義の用例(たとえば、憲法第五一条、第六三条)も見られることに注意する必要がある。従つて、法文に「議院」の用語が存するときは、当該法条の趣旨に照らし、広狭いずれの意義に用いられているかを考察すべきであり、一義的な解釈に走ることは相当でない。〈2〉第一回国会に議院証言法が提出された当時(昭和二二年一二月六日衆議院本会議、委員長提出法案につき委員会の審査は省略された。)、既に国会法(同年五月三日施行)、衆議院規則及び参議院規則(各同年六月二八日議決)は施行後であり、委員会中心主義による国会運営が行なわれていたのであり、議院証言法は、そのことを踏まえて立案されたものである。かかる事情は、提案者である衆議院議院運営委員長浅沼稲次郎の(証人喚問権に関する)「国会法の規定には足りない点がありまして、今会期中における各委員会での証人の証言と実情を見ておりますと、憲法及び国会法が予期した効果をあげることができず、証拠力において欠けるところがあると思われまして、まことに遺憾に存じます。このことは、先ほど隠退蔵物資等に関する特別委員会委員長加藤君から中間報告の際述べられた点でも明らかであります。この観点から、証人がその義務に反した場合には、何らかの制裁を加えることが必要となつてきましたので、ここに本案を提出いたしまして、諸君の御賛成を得たいと考えたのであります。」旨の提案理由説明(同年一二月七日付官報号外)からも明らかに看取されるところである。〈3〉証人喚問とは、本来強制手段を前提とする観念である。ことに、各議院規則においては、委員会に、証人喚問権を認めるほか、任意手段としての参考人に対する出頭要求及び意見聴取の制度をそれぞれ規定しているのであるから(衆議院規則第八五条の二、参議院規則第一八六条)、議院証言法が、委員会における証人喚問を任意手段に止めるため、ことさらにその適用を排除したものと考えることは不合理である。〈4〉議院証言法の立案された当時の状況としては、あるいは証人喚問権が狭義の議院のみに属するとの見解もあり得たであろうが、その後、委員会中心主義による証人喚問の運用が先例として定着を見、かつは又、前記「議長経由」の解釈をめぐる論議から、委員会自体に証人喚問権の帰属を認めることの理論的根拠も提示されるに至つた現時点においては、積極解釈の支障となるものはない。〈5〉以上の諸点を総合すれば、議院証言法第一条所定の「各議院」には、狭義の議院のほか、議院規則又は議院の議決によつて適法に証人喚問権の委譲又は委任を受けた委員会等を含むものと解するのを相当とし、かく解するときは、委員会の喚問した証人につき同法の適用を認めるのに何らの支障はないこととなる。

(五) 所論は、第三の論点として、第七七回国会衆議院予算委が議長の承認を得た国政調査の方法は、「小委員会の設置、関係各方面からの説明聴取及び資料の要求等」であつて、証人喚問の方法によることについては承認を得ていないと主張する(弁論要旨543、544頁)。確かに、衆議院規則上国政調査に関し証人喚問権が認められているとしても、国政調査をしようとする委員会において証人喚問を含まない調査方法を選択することは自由であるし、「関係各方面からの説明聴取」という表現に証人喚問を含まないことは所論の言うとおりであろう。しかし、所論が看過しているのは、予算委が議長の承認を求めたのは、前述の狭義の国政調査(前記(一)の〈2〉、(二)の〈ロ〉参照。)に関してであり、他方、被告人を証人として喚問したのは、昭和五一年度予算三案の審査に関してであるという事実である。議案その他の審査に関しては、委員会は、衆議院規則第五三条により直接証人喚問権を認められているのであつて、狭義の国政に関する調査におけるように、調査の方法を明示して議長の承認を受けなければならない筋合いはない。所論は、前提となるべき事実をとり違えたものであつて、失当である。

3 叙上縷説の次第であるから、第七七回国会衆議院予算委のなした被告人に対する証人喚問は、その権限に基づき適法に行なつたものであり、その違法を主張する所論は、すべて理由なきに帰する。

第二事実上の主張について

弁護人は、本件公訴事実を構成する虚偽陳述の罪のすべてについて被告人の全面無罪を主張している。

ところで、本件虚偽陳述の内容とされる各事実は、いずれも外国企業の我国に対する航空機売込工作に関連するものであつて、関係者の中には、我国の司法権を直接及ぼし得ない国外に居住する外国人が含まれ、従つて、これらの者の供述としては、国際司法共助によつて得られた嘱託証人尋問調書の形でしか利用することができず、当公判廷における反対尋問にさらす機会を得ることができなかつた。また、関係証拠中に、外国政府から送付を受けた証拠書類、証拠物の写の多数存することも、本件の著しい特色である。ことに、後記二のP―3C型機売込援助方要請等に関する事実及び後記三のロスアンゼルス国際空港における二〇万ドル授受に関する事実については、これに関与した者の範囲及びとくに後者については授受の行なわれた場所との関係上、これらの嘱託証人尋問調書や証拠の写が、その立証資料の大半を占めているといつても過言ではない。

当裁判所は、本件事実認定に際し、右のような本件の特殊な情況が被告人の防禦活動に及ぼす影響に配慮し、関係証拠、とりわけ右に指摘したような証拠の証明力を吟味するに当つては、つねに他の証拠との対比を怠らず、経験法則に照らして綿密な検討を加え、また、各証拠に対する証明力の評価がその立証趣旨の範囲をこえることのないよう慎重に留意しつつ、あらゆる細部に至るまで十分の評議を尽くした結果、合議体として以下の如き結論に到達したものである。

一  全日空渡辺副社長に対するL―一〇一一型機購入方慫慂関係

1 弁護人の主張

(一) 弁護人は、判示事実中、真実は、被告人において昭和四七年九月中旬ころ、国際興業で、児玉同席のうえ、コーチヤンからL―一〇一一型機の全日空への売込みにつき尽力方を懇請されて、そのころ同社副社長渡辺尚次に対し、その購入方を慫慂したにもかかわらず、国会証言に際して、全日空の何人にもL―一〇一一型機を買つてやつてくれないかというようなことを話したことは一切ない旨虚偽の陳述をしたとの点について、被告人は無罪である旨極力主張する。そして、その理由につき、

(1) 判示の如き渡辺慫慂の客観的事実は全く存在しないとして、

〈1〉 コーチヤンの被告人に対する第一回の表敬訪問に児玉は介在していない(弁論要旨29頁以下)、

〈2〉 右表敬訪問の際、コーチヤンからL―一〇一一型機売込みの依頼はなかつた(同43頁以下)、

〈3〉 昭和四七年八月二二日ころの児玉からコーチヤンに対する被告人抱込み費用としての手数料五億円増額要求に、被告人は関与していないし、そのころ児玉からロツキード社援助依頼を受けてもいない(同54頁以下)、

〈4〉 コーチヤンと被告人との第二回会談の時期は同年九月一六日ではない(同63頁以下)、

〈5〉 右二回目会談の際、コーチヤンから被告人に対し、「ハワイ会談でニクソンから田中首相へトライスターを日本で買つてくれればありがたい旨の話が出たか調べてもらいたい」との依頼はなされていない(同72頁以下)、

〈6〉 右会談に児玉は同席していないし、席上被告人が児玉とL―一〇一一型機の売込方につき話し合つたこともない(同103頁以下)、

〈7〉 同年一〇月五日、同一四日に被告人と会談した旨のコーチヤン証言は誤りである(同109頁以下)、

〈8〉 以上の事情からも明らかなとおり、同年九月中旬ころ、

被告人が渡辺にL―一〇一一型機の購入方を慫慂したことはない(それを認めるかの如き被告人〈検〉中の供述記載には任意性、信用性がなく、渡辺〈検〉についても同様であつて、その供述記載は同人の明確な記憶に基づくものではない。同117頁以下)

と主張する(以下、右〈1〉ないし〈8〉の列記事項を、それぞれ「争点〈1〉」ないし「争点〈8〉」という。)とともに、

(2) 本件事項に関する被告人の国会証言のうち、客観的事実との関係で虚偽陳述罪の成否が問題となるのは、コーチヤンの依頼と直接関係なしに、自分の立場で渡辺に話したか否かについての証言であるところ、被告人は自分自身の立場で話したという記憶はないので、そのような事実もないと思う旨陳述したに止まるものであるから、仮に被告人において渡辺に購入方を慫慂するが如き話をしていたとしても、国会証言当時そのような記憶が被告人になかつたことよりすれば、まさに記憶のままに証言したものに過ぎず、何ら虚偽陳述したことにはならない(同209頁以下)

として、いずれにせよ結局、公訴事実の証明不十分に帰する旨主張している(同213頁以下。「争点〈9〉」という。)。

なお、弁護人は、本件公訴事実中に、被告人において、前記九月中旬ころの国際興業における被告人・児玉・コーチヤンらの会合の際、コーチヤンからのL―一〇一一型機売込みに関する懇請について、児玉と話し合つたにもかかわらず、国会証言の際はロツキード社あるいは全日空のことで児玉と話し合つたことは断じてないと虚偽の陳述をした旨の事項が含まれるものと解し、これに対しても種々主張しているが如くであるが(同104頁以下、226頁)、本件起訴状(訴因変更請求書を含む。)記載の公訴事実を仔細に検討しても、その客観的事実とされる部分に、右の如き事実摘示は何ら存せず、従つて、そもそも右事項自体、本件虚偽陳述罪の訴因の対象となつていないことが明らかであるから、これについてはとくに判断を示さない。

(二) ところで、本件事項は、全日空の何人にもL―一〇一一型機を買つてやつてくれないかというようなことを話したことは一切ないとの被告人の国会証言が虚偽陳述に当るとするものであるから、その成否判断のために検討する客観的事実関係についても、本来、右陳述に相応する昭和四七年九月中旬ころの被告人・コーチヤン会談及びそのころの被告人・渡辺会談に関する限度でその存否、内容等を判断すれば足りるべきものである。かような見地から客観的事実関係に対する弁護人の主張を見るに、前記争点〈1〉ないし〈3〉は、これに先行するもの、同〈7〉はこれより後の時点における事項に関するものであつて、いずれも、それが、関係証拠の信用性、正確性を含めて、被告人の国会証言に対応する客観的事実の存否の判断に影響を及ぼす限度においてのみ、顧慮の要を見るに過ぎない。

以下、かような観点から、前記各争点にかかる客観的事実の存否及びその状況につき、先ず以て検討して行くこととする。

2 コーチヤンが被告人を知るに至つた経緯<争点〈1〉ないし〈3〉>

(一) 関係証拠、とりわけコーチヤン〈嘱〉第2巻、第5巻、第6巻、クラツター〈嘱〉第5巻(なお、弁護人は、両名の〈嘱〉に対して、その証拠能力につき種々論難し、いずれも刑事訴訟法第三二一条第一項第三号の要件を欠く旨主張する(弁論要旨545頁以下)が、当裁判所の判断は、昭和五三年九月二一日付決定に示したとおりであつて、縷々の所論にもかかわらず、いまなお変更の要を見ない。)、被告人の51・12・1付(乙6)、51・9・17付(乙11)各〈検〉等によれば、

〈イ〉コーチヤンは、昭和四七年七月、デモフライトの実施を含むL―一〇一一型機の販売活動に率先従事するため来日し、同型機の日航及び全日空に対する売込みを何としても成功させるべく、その手段として、当時日本において同方面に影響力のある人物を求めて、これと接触を図ることをかれこれ画策していたところ、その甲斐あつて、日航、全日空の大株主として航空業界に強い影響力を有すると思われる被告人の存在を聞知し、加うるに、被告人が折しも新たに内閣総理大臣に就任した田中角榮とも昵懇の間柄であるとの情報を入手するに及び、これこそ自己の求めていた人物であると判断し、L―一〇一一型機の売込みを成功に導くには、被告人が当面の競争相手であるマクダネル・ダグラス社やボーイング社の支持に廻ることを阻止してこれをロツキード社の協力者に取込む必要があるものと思料し、そのため、態々自己の滞日予定を延長するなどして、福田を通じ被告人との面会約束を取付け、同月二九日ころ、クラツター、福田とともに国際興業本社を訪れ、同社応接室で被告人と会見し、初対面の挨拶を交わすとともに、ロツキード社がL―一〇一一型機の日航及び全日空に対する売込みに全力を傾注し、自分もそのため日本で販売活動に尽力していることを訴え、その立場に理解を求めたこと、

〈ロ〉 次いで、コーチヤンは、右会談の結果に鑑み、何としてもロツキード社の販売活動に被告人の援助を求めるべく、そのための方策につき、児玉と協議すべき旨を福田に指示して帰国し、翌八月二〇日最終段階を迎えたL―一〇一一型機販売活動の陣頭指揮のため、クラツターらの要請に応じて再来日した直後の同月二二日ころ、クラツター、福田とともに児玉と会談し、その際、自ら同人に対し、L―一〇一一型機売込みについては被告人の協力をも得て、一緒に働いて貰いたい旨懇請したところ、児玉から、被告人の援助を得るためには五億円の手数料増額が必要である旨の要求を受け、これに同意したものであること、

以上の事実を認めることができる。

(二) 争点〈1〉ないし〈3〉に関する弁護人の主張は、前示のとおり、その結論において前示〈イ〉〈ロ〉の認定事実との間に径庭がなく、いずれも関係証拠の信用性、正確性の点を含めて、本件虚偽陳述の成否の判断に影響を及ぼさないから、その当否につきとくに判断の要を見ない。

3 被告人・コーチヤン間の第二回会談の時期<争点〈4〉>

(一) 被告人の〈公〉によれば、昭和四七年ころ、国際興業本社応接室において、コーチヤン、福田らと少なくとも二回は面談し、その第二回目の会談に際し、コーチヤンから、全日空へエアバスを売込みたいので、同社に対し、大株主としてL―一〇一一型機を推薦する等、援助して貰いたい旨の依頼を受けた事実は、被告人自身認めているものの、その時期(内容及び状況の点は、後記4に譲る。)を争つている。右会談のおおよその時期が同年九月から一〇月にかけてであることは、その依頼内容に鑑み(全日空の機種決定前でなければ、意味がない。)、明らかであるし、本来それ以上詳細な日時まで特定する必要のない事項ではあるが、右は、会談内容、状況の点をも含めたコーチヤン証言の信用性等にも影響を及ぼすものと考えられるから、先ず、この点についての判断を示すこととする。

(二) 〈1〉コーチヤンが昭和四七年八月二〇日から同年一一月三日まで、決定切迫の状況下にあつた日航・全日空のエアバス級新機種決定に向けて、トライスター(L―一〇一一型機のこと)売込みを成功させるための最終活動に自ら専念すべく来日し、各種販売活動に従事していた期間中に(コーチヤン〈嘱〉第2巻131、132頁)、ロツキード社東京事務所内の自己の机の上に置き、重要事項発生のつど自ら正確に記載していた備忘用の(同116ないし118、132、133頁)手書きメモ日記(同副証12号)には“(9.)16∨∨friend and his friend”との記載が存するところ、コーチヤンにおいて“∨∨”とは同上の意味で上欄同様「話をした」趣旨であり、“friend”は児玉、“his friend”は被告人のことを各々示す暗号であり、九月一六日に被告人の会社で児玉、被告人と会つて話をし、その際、被告人に日航・全日空に対するロツキード社の販売活動について、私を援助して貰いたいと望んだ(同142頁以下)、九月一六日のその会合は私と児玉・被告人らの間で開いた、私は、その席へ被告人の助けを求めに行つていた(同第3巻200頁)旨証言し、〈2〉他方、クラツターの一九七二年版日記九月一六日欄(弁(一)10)には、“(ACK-Osano)”との記載があるところ、クラツターはこれについて、コーチヤンから被告人と会合したことを聞いた(“( )”は自ら出席していないことを示す。)旨証言しており(クラツター〈嘱〉第6巻570、571頁)、〈3〉更に51・3・9付福田太郎〈検〉(甲(一)184)によれば、同人において昭和四七年の寒いころを除いた時期で、日航へのトライスター売込みが見込薄となつたころ、国際興業本社一階奥の応接室で被告人・コーチヤン・クラツター少し遅れて児玉が来て話し合つた、主としてコーチヤンから被告人に対し、全日空でトライスターを買つて貰いたいということを中心に話をした旨供述しており、以上によれば、被告人・児玉・コーチヤンらの間で、国際興業本社応接室において、L―一〇一一型機の全日空等への売込みに関する会合がもたれたこと及びそれが同年九月一六日ころの出来事であつたことを優に認定できる。

(三) これに対し、弁護人は先ず、クラツター日記の当該記載は、同人自身の体験を記載したものではないから、これを以て直ちにこの会談が当日九月一六日に行なわれたものと即断することはできない旨主張する(なおコーチヤンのメモ日記に対する主張に関しては後記5で判断する。)。

しかしながら前示認定は、クラツター日記の記載のみによつて即断したものでないことはもとより、クラツター証言自体からも、右記載がコーチヤンからの伝聞に基づくものであることが窺われるものの、そうであるからといつて当該記載を以て、九月一六日会合の存在認定につき何らの意義をも有しないものと評価するのは相当でない。蓋し、右日記は、昭和四七年当時クラツターが自ら日を追つて記載していたものであるところ、ことさらその九月一六日の欄にコーチヤンからの話を受けて前示の如く記入したものであるうえ、当時の情勢とりわけコーチヤン・クラツター間で販売活動の進展状況に関し、頻繁にやり取りしていたことに照らせば、同日から間もないころ、コーチヤンからクラツターに対し、九月一六日に被告人と会談した旨を告げた事情を窺わせるに十分であり、L―一〇一一型機売込活動継続中の当時の状況下において、コーチヤンが同じロツキード社の一員として販売活動に従事し、とりわけ児玉との関係等機密を要する重要事項の処理に当つていたクラツターに対し、ことさら被告人との会談に関し、その存否、日時等につき虚偽を申し述べる必要性が全く存しないことよりすれば、コーチヤンからの話の内容は、その日時の接近していることとも相まつて極めて正確なものと考えられるのであるから、前示記載も本件九月一六日の会談の存在を裏付けるに足る間接資料と言うべきものである。

(四) 次に、弁護人は、九月一六日(土曜日)には、そもそも被告人において国際興業に出社しなかつた可能性が極めて強いと主張する。すなわち、被告人は、前日の九月一五日(祝日)、箱根仙石ゴルフ場で催された取引先とのゴルフコンペに参加したところ、同日午後から台風二〇号の影響による集中豪雨のため、箱根付近の道路は各所で不通となり、帰京することができず、同夜は、当時しばしば宿泊していた同ゴルフ場内の午六山荘に宿泊し、翌一六日も天候不良であつたので、終日箱根に止まり、同夜は箱根宮の下富士屋ホテル別館菊華荘に同行者二名と宿泊し、結局翌一七日まで引続き箱根で静養したものと推認され、従つて、九月一六日に国際興業本社で被告人と面談したとのコーチヤン証言は事実に反するとするのである。

然るところ、弁護人提出の関係証拠(証人山口、三浦、譲原各〈公〉、弁(二)20、符71ないし74、85、86等)によれば、確かに、所論の如く、九月一五日被告人は、同社副社長長澤良らとともに、箱根仙石ゴルフ場で開催された埼玉銀行・国際興業関係者によるゴルフコンペに参加したところ、当日は台風二〇号の影響による風雨が強く、各自九ホールでプレイを打切り、昼ころ、同ゴルフ場内の午六山荘での懇親パーテイに切りかえたこと、その後集中豪雨による崖崩れ等のため、箱根付近の道路は、各所で不通となつたこと、翌九月一六日夜被告人において箱根宮の下富士屋ホテル別館菊華荘に外二名とともに宿泊していることをそれぞれ認め得るところ、弁護人は以上の各事実に、同じく関係証拠により当時被告人において前記午六山荘にしばしば宿泊していた事実及び飛び石連休の間の土曜日には国際興業本社へ出社することなく、箱根に滞在する例があつた事実を窺い得ることをも併せ勘案すると、前記の如く、被告人が一五日から一七日まで引続き箱根に滞在した可能性が極めて強いと主張するのである。

しかしながら、一五日午後より翌一六日夕方までの間の被告人の行動について所論に沿う事情を直接窺わせるに足る証拠は何ら存しないのみならず、関係証拠によれば、九月一五、一六日両日の東京・箱根間の交通事情をみるに、

〈1〉 都内―首都高速道―東名高速道御殿場インターチエンジ―乙女道路―仙石―宮の下(国道一三八号線)

〈2〉 都内―首都高速道―東名高速道厚木インターチエンジ―小田原・厚木道路―小田原―宮の下(国道一号線)―仙石

〈3〉 都内―第三京浜―横浜新道―国道一号線―西湘バイパス―小田原―宮の下―仙石

等の道路を利用して自動車で往復することが可能であつたこと、国際興業の自動車三台が九月一五日右〈1〉の経路を経由して箱根から東京へ戻つていること、同じく翌一六日には同社ハイヤー課所属の岡田運転手運転にかかる自動車が右〈3〉の経路を経由して東京から箱根へ運行されていること、右岡田車利用にかかる首都高速道路、横浜新道、西湘バイパスの各有料道路通行料金領収書には「社用」「会長様」と記載されていることがそれぞれ認められる(甲(一)225ないし250、符87)。以上認定の事実に、関係証拠により認められる国際興業社内において会長と呼ばれているものとしては被告人しかいないことをも併せ考えると、被告人において九月一五日前記三台の自動車のいずれかに乗車して仙石ゴルフ場から帰京し、次いで翌一六日コーチヤンらと会談の後、右岡田車に乗車して同日夕方ころまでに東京から箱根へ赴き、同夜菊華荘に宿泊し、翌一七日午前中に再び仙石ゴルフ場でゴルフをプレイしたものと推認することができる。

これに対し、弁護人は、被告人自身で会社の営業用ハイヤーを利用したことは一度もなく、特別の来客等のため、会長名でハイヤーを手配させることがあつたとの被告人〈公〉(70)を援用して、右岡田車は前日から箱根に逗留していた被告人が会長の客として東京から知人を呼び寄せるために利用したものと考えられる旨主張する。

しかしながら右被告人〈公〉は、来客の辞去に際して、被告人の名でハイヤーを手配させたことがあるとするものであつて、本件事例にそぐわないものであり、また営業用ハイヤーを利用したことはない旨の供述も単なる一般論に過ぎず、右岡田車の利用自体を否定する適切な根拠とは認め難い。因に、被告人とともに菊華荘に宿泊した同行者は、当時よくゴルフ場行き及び宿泊をともにしていた前記長澤及び被告人の友人の谷向某であることが窺われるものであるが(山口46〈公〉)、諸般の情況に鑑みると、被告人以外の者が天候不良のなかことさら東京から箱根まで赴いたものとは到底考えられず、その証拠も何ら存しないこと、菊華荘において一六日の昼食を摂つてはいないことが明らかであること、当時被告人は土曜日午後から仙石ゴルフ場へ赴きゴルフをプレイすることもあり、飛び石連休等の際、引続き箱根に滞在してゴルフを三日間続けてプレイすることもあつたところ、午六山荘に宿泊したとすれば、一六日には直ちにゴルフをすることが可能であり、かつ当日は雨天とは言え、平日程度の人数がゴルフをしているにもかかわらず、同日被告人がゴルフをプレイした形跡が何ら窺われないこと等関係証拠より認められる諸般の事情をも総合すると所論は理由がなく採用し難いものと言わねばならない。

4 第二回会談の内容・状況<争点〈5〉〈6〉>

(一) この点に関する会談当事者の供述は次のとおりである。

(1) 先ず、コーチヤンは、その〈嘱〉において、

〈1〉 被告人・児玉と会つた目的は、彼らが何を知つているか、何が行なわれているかを知ることと、彼らに私の助けとなつて貰うことであつた(142頁)、被告人は日航、全日空等の取締役をしていたので、その地位から日航朝田社長及び全日空若狭社長と会う機会もあつた、そこで私は、被告人に私が日本にいることを知つて貰い、その販売活動について援助して貰いたいと望んだ(82、142、143頁)私は、被告人から我々の立場がどうなのか、日本政府の立場は何か、この事項はホノルル会談での議題に入つているか、個々的なものか一般的なものかを知ろうと願つた、被告人は、自分が誰かに会つてみましようと言い、その後報告してきてくれた(144、145頁)(昭和五一年七月七日、〈嘱〉第2巻)

〈2〉 私はそこに被告人の助けを求めに行つていた、私は福田を介して、売込みに関し、質問されて答えた、被告人は、日航・全日空両社の取締役だつたし、航空会社と政府の両方の計画の状況を知ることができたので、私を助けることができた(200、201頁)

被告人は、私に、マクダネル・ダグラス社とボーイング社の関係者の名刺を示して、あなたの方が先に来たからあなたの航空機を支持しましよう、あなたを助けましようと言い、私は、彼が機種選定過程においてL―一〇一一型機を推薦するだろうという趣旨に理解した(201、202頁)

被告人と児玉が、どうやつて大型航空機の購入について両航空会社及び政府のレベルで話を進めるかについて、日本での感触がどうなのか被告人が見てチエツクしようと話したことは確かだ(206、207頁)(同月八日、第3巻)

〈3〉 当時我々は日航にも働きかけていたが、全日空の方にもつとチヤンスがあると感じていたし、その方が購入数が多かつたので、その方向に進もうと思つていたが、このことは被告人には話さなかつたと思う(458ないし460頁)(同年八月三〇日、第5巻)旨証言している。

(2) 次に、被告人は、その〈検〉において、

〈4〉 コーチヤンから全日空に対する飛行機の売込みの話が進まないので私から全日空に頼んでくれという趣旨のことを言われた、私は機会をみて話しておきましようと言つた、また、田中・ニクソン会談で、エアバス導入の話が出たか、ニクソンから田中先生にトライスターを日本で買つてくれればありがたいという趣旨の話が出たかどうか知りたいので、聞いて欲しいとの話が出た、それに対し、機会があつたら聞いてみましようと言つたような気がするがはつきりはしない(51・9・17付乙11)

〈5〉 コーチヤンからトライスター売込みの話が依然として進まないので全日空に頼んでくれという趣旨のことと、田中・ニクソン会談の際に、ニクソンから田中先生にトライスターの話が出なかつたかどうか聞いて欲しいという依頼があつた(51・9・21付乙12)

〈6〉 福田を通じてのコーチヤンの話は、全日空に対するトライスター売込みの話が依然として進まないが、全日空の方に話してくれましたか、ハワイ会談でエアバス導入の話が出たかどうか、とくにニクソンから田中総理にトライスターを日本で買つてくれればありがたいという意味の話が出たかどうか誰か政府筋の人に聞いて貰いたいという趣旨だつた、機会があつたら聞いてあげましようと答えたと思う(51・12・1付、乙6)旨供述している。

(二) 弁護人は、右両名の供述に対し、種々その信用性を論難しているところ、先ずコーチヤン証言について検討する。

弁護人は、前記コーチヤン証言に対し、

(1) その証言自体に非常に多くの疑問が存するとして、

〈イ〉 七月七日の証言では、当該九月一六日会談での話合いをかなり具体的に証言しながら、翌八日には、何も特別な記憶はないなどと不可思議な証言に終始していること、

〈ロ〉 八月三〇日証言によれば、被告人とは戦略会議をもたなかつた(460頁)とする一方で、戦略の関係は大半児玉、被告人と従事した(536頁)と支離滅裂な証言をしていること、

〈ハ〉 七月七日証言ではメモ日記九月二二日欄の記載に関し被告人から具体的援助をうけたとしながら、翌八日にはこれを否定するような証言をしていることを挙げ、

(2) 更に、同証言中には、ハワイ会談でのニクソンから田中に対するトライスター購入方の話の有無の調査を、被告人に依頼した旨の証言が見られず、クラツター及び福田もこの点につき何も供述していないことを指摘し、結局九月一六日会談においてコーチヤンから被告人にハワイ会談に関して依頼したことはない旨主張する。

よつて検討するに、先ず右(1)〈イ〉については、コーチヤンの七月七日の証言自体、同人からの各種の依頼に対し、被告人において誰かに会つてそれにつき調べてみようと答えるに止まり、通常暫くすると依頼の趣旨に沿う結果が生じてきたというものであつて(84、144頁)、いずれの会合の際にも被告人はコーチヤンらを援助する旨述べたに止まり、その具体的な援助方法について被告人からコーチヤンに逐一説明したものではないことが窺え、被告人とコーチヤンが長時間連続して話し合つたものでないことについては、七月八日証言(205、206頁)と同様の趣旨を前日の七月七日には証言しているのである(85頁)。加えて、七月七日付証言における前記会談での話合いに関する証言は、主として、コーチヤンがその会合の状況から認識・理解したこととメモ日記の九月二二日付の記載に関する事項についてのものであり、後者については、七月八日にも同様の事項について話合いの内容に関連した証言を行ない(206、207頁)、前者については被告人の援助方法に関する理解については七月七日証言と略々合致する証言をなし(第2巻82、142頁と第3巻201頁を対比すれば、このことは明らかである。)いずれにおいても被告人の具体的発言内容についての明確な証言はなされていないのである(この点は、短時間かつ通訳の福田を介しての会談であること、及びコーチヤンにとつては被告人の具体的な発言内容そのものよりその意向及び行動が関心事であつたことに鑑みれば、特段不合理、不自然と言うべきものではない。)。以上に照らせば、七月八日の証言における前記会合の際、被告人が正確に何と言つたかについての特別な記憶は何もないし、その際被告人は自らロツキード社を援助できる特定の方法について何も実質的に言わなかつた旨の証言は、同会談の状況を反映するものに過ぎず、前日の証言との間に実質的な相異を見ることはできず、所論主張の如き証言の食い違いは存しないものと言うべきである。

次に(1)〈ロ〉についてみるに、所論引用にかかるコーチヤンらが児玉・被告人と従事した戦略とは、その証言の前後の証言全体を見れば明らかなとおり(534ないし536頁)、コーチヤン宿泊にかかるホテル・オークラの利用ルームが、偶々さきにキツシンジヤー米国国務長官が宿泊した部屋と同室であつたこと等を利用したロツキード社への米国政府肩入説流布に関するものであつて(コーチヤンは、その戦略の関係は、大半、児玉及び被告人と従事していた旨限定して証言している。)、他方コーチヤンは、児玉や大久保丸紅常務と話し合つたようなL―一〇一一型機販売戦略全般の詳細についてまでは、被告人とは時間の関係もあり協議の機会をもたなかつたというのであるから、所論は異なる事項に関する二つの証言を対比するものであつて理由がない。

更に(1)〈ハ〉については、コーチヤンは、七月八日の証言の際にも、被告人が昭和四七年九月二二日ころ、当時の二階堂内閣官房長官に会つたとの事項に関連する報告について証言しており(206、207頁)、更に翌七月九日には、昭和四七年当時コーチヤンが作成した図面(副証24号)に関して、被告人からの各種情報調査、収集、報告に関する経緯についても種々証言しているものであつて(339頁以下)、所論主張の如く、七月七日証言を翌八日以降否定するが如き趣の証言に転換したものではないことが明らかである。なお被告人及び児玉の航空会社内部での地位に関するコーチヤン証言の誤りは、それらの証言が主として被告人に関してなされたものであり、それもコーチヤンの理解の限りでは、そのような地位にあることによつて航空会社に接触しうる立場にあつたことを示唆するための単なる前置き的趣の証言であること(コーチヤン自らその点を被告人に確認したことはないとしている(第3巻201頁)。)、被告人は当時大株主として社内の取締役に匹敵するだけの影響力を航空会社に及ぼしうると一般に理解されていたこと(少なくともコーチヤンは各種情報によりそのように理解していたこと)等に鑑みれば、微細な点での誤りに過ぎないものと言え、同証言全体の信用性を揺るがすには到底至らないものである。

最後に前記(2)の主張について検討するに、先ずコーチヤン証言に関する主張については、コーチヤン自身前記((一)(1)〈1〉ないし〈3〉)証言以外にも、昭和四七年八月二二日ころの時点で、重要な問題は、田中角榮がニクソンとホノルルで会う際に、同人との間で大型航空機購入の件を話し合うかどうかについてであり、その後の行動を決定する必要があるので、その点に関する情報を求めていた(第4巻353頁)、八月二八日ころ、ハワイ会談で航空機購入問題が取り上げられ、製造会社の名前が話に出るならば、ロツキード社も名前を出されることを希望していた(第5巻457、458頁)旨証言しているうえ、当時コーチヤンらにおいて、ニクソン及び米国政府が日本政府にロツキード社を助けることを望んでいる旨の話を戦略として広めるように努めていたことが認められるのであるから(第2巻122頁、第5巻475頁等)、これに被告人が右ハワイ会談当時ホノルルに滞在していたことを承知したうえで被告人を訪問していること(第5巻459頁)、その会合の際、大型航空機導入についての政府筋の感触を被告人が調査する旨の話合いがなされたこと(第2巻83頁、第3巻207頁)、及びとりわけコーチヤンにおいて右がニクソン・田中会談で個々的な議題として話し合われたか知りたい旨被告人に依頼したと証言していること(第2巻144頁)をも併せ考えると、ハワイ会談におけるニクソン、田中間の話合いの内容について、コーチヤンから被告人に調査、情報収集を依頼したものと優に認められるのである。弁護人は、この点に関して、コーチヤンのメモ日記に「小佐野・PM」等の記載がないことを指摘するが、そもそもコーチヤンにおいて内閣総理大臣を直接の相手方とする情報収集を依頼し、他方被告人がその場でその旨了承約束したものとは到底窺われないし、専ら二階堂官房長官らとの接触を前提としていたことが窺え(副証24、第2巻144頁、第4巻340頁、352頁)、それを踏まえて政府筋の人物に聞いて貰いたいと依頼したものに過ぎないと考えられ、そうだとすれば、同メモ日記九月一六日の欄に「PM」との記載が存しないことその他所論主張にかかるコーチヤン証言に関する諸事情は別段不自然と言うべきものとは解されない(因に、被告人と田中角榮との結びつきをコーチヤンが全く証言していないものではないことは、副証24の記載及びそれに関する〈嘱〉第4巻339、340頁の証言に照らし明らかであるうえ、同証言によれば、コーチヤンから被告人に調査を依頼した事項について、被告人が田中と話合つた結果収集した情報を、コーチヤンとの会談の際報告していた事跡も窺われる。)。

次に、クラツター及び福田の各供述を仔細に検討しても、右両名は会談の内容(クラツターについては、コーチヤンから当時聞知したところによるその内容)を記憶していないとするに止まるものであつて、そのこと自体から直ちに前示依頼の事実を否定するに由ないものであると言わねばならない。すなわち、先ずクラツターについては、そもそも同会談に臨席しておらず、事後的にコーチヤンからその会合について話を聞いたに止まるというものであつて(クラツター〈嘱〉第6巻570、571頁)、コーチヤン、クラツター両〈嘱〉によるに、クラツターがL―一〇一一型機の販売戦略全般とりわけ被告人の関与方についてその詳細まで承知し、関与していたものとは認められないことに照らしても、コーチヤンにおいて会合の内容の詳細に亘つてクラツターに説明したものとは窺われないし、クラツターの当時の職務内容からみて、同人が右状況について、とりたてて関心を抱いていたものともにわかに認め難いことからすれば、右会談に関するコーチヤンの話の内容を忘却したとしても、あながち不自然とは言い難い。次に、福田に関しても同様に、当時同人において専ら児玉との関連でL―一〇一一型機販売活動に関与し、特に同人との契約締結、金員支払等に際して主要な役割を果したもので、その職務、関心も右に集中していたものと考えられるところ、その過程において、極めて僅かな程度しか占めない被告人の関与状況とりわけ短時間、少数回の被告人との会合につき詳細に記憶していなかつたとしてもとりたてて異とするに足りない事柄であるのみならず(弁護人はニクソン云々とのコーチヤンの依頼を失念する筈はないと主張するが、当時コーチヤンらが販売戦略の一環としてニクソン等の氏名をしきりに利用していた状況及びハワイ会談に関する各種情報が飛び交つていた情勢等に照らせば、一概に所論の如くは断定し難い。)、そもそも福田に対する取調の重点が専ら児玉関係の事項におかれ(現に、本件会談に関するとされる福田の供述記載の存する51・3・9付〈検〉(甲(一)184)はその大半が児玉関係の事項についての供述で占められ、本件会談も数回に亘るコーチヤンと児玉との会談の状況の内の一回として述べられているに過ぎず、同51・5・26付〈検〉(甲(一)189)は取調最終段階の簡単な〈検〉であり、全体に占めるその割合は極めて小さい。)、被告人関係についての取調が福田死亡前に十分進んでいなかつたと認められることよりすれば、福田〈検〉にコーチヤン及び被告人の各供述に沿う供述記載が存しないとしてもとりたてて不自然というべきものではない。加えて、クラツター・福田両名が本件会談における依頼の有無、内容を積極的に否定していないこと(あまり具体的な話はなかつた旨の福田供述は、クラツターの同席を認めていること及び前示の如き諸事情に鑑みれば、その旨の記憶がないとの趣にも解されるもので、少なくともコーチヤンからのハワイ会談に関する依頼の事実を否認するものとは理解できない。)をも勘案すると、結局両名の供述内容を以てしても、前示認定を覆すに足りないものであることは明らかである。

(三) 次に弁護人は、前記被告人〈検〉の供述記載に対しても、その信用性を争い種々主張する。

しかしながら、〈1〉先ず、本件会談において、コーチヤンからニクソンの話についての情報収集の依頼がなされなかつたことを前提として、もともとコーチヤンから聞かされていない話を被告人において一方的に自ら進んで供述する筈はないとする主張は、その前提自体、前示の如く誤りであるから理由がない。そもそも本件会談に関しては、コーチヤン及び被告人が各々当事者として話し合つているのであるから、ニクソン関係情報収集の依頼をしたことにつき、コーチヤンが記憶不明確等の理由により明確な証言をなし得ないとしても、相手方であり依頼を受けた当事者たる被告人において、その点に関する供述をなすことは、何ら不可解というべき筋合のものではない。所論はそれ自体失当である。

〈2〉 次に弁護人は、被告人〈公〉における、取調にあたつた安保検事から種々誘導されたが、昭和四七年九月二日付のハワイ会談に関する新聞報道を示唆して反論したとの供述を援用して、被告人〈検〉の供述記載が取調検事の誘導による押しつけないしは作文である旨主張する。

朝日新聞昭和四七年九月二日付夕刊(写)(弁(二)60)によれば、確かに、ハワイ会談において日本政府のエアバス導入関係の措置をニクソン大統領が歓迎する旨の記事が同日ころの段階で既に公表されていたことが認められるところ、被告人において弁護士の適切な助言等により、かかる新聞記事の存在を了知し、第一回事情聴取の段階から取調検事に対し、その旨申述したとすれば、右は国会証言において多少質問を受けたとは言え、その他の事項に比し、当時新聞報道等でも被告人との関連で特段取り上げられていた事項ではなかつたことが窺われるのであるから(弁(二)66等)、かような事項についてまであらかじめ取調を予想し、各種情報の収集にあたつていたものとして、被告人が弁護士の補佐を受け、周到な準備の下に取調に臨んだことを示すものでもある。進んで所論に鑑み、51・9・17付〈検〉及び51・12・1付〈検〉、とりわけ弁護人が前者の焼直しと称する被疑者としての供述調書である後者の各関係部分を仔細に検討するに、後者はエアバス導入の話特にニクソンからの依頼の有無を調査して欲しいとの趣の供述記載であり、前者も、エアバス導入の話の有無はその後のニクソンからの特定機種購入に関する依頼の有無の前提としての糸口程度の意味しか有しないものと解され、それ自体、前記新聞記事の存在を参酌しても、特に不自然な供述とは考えられない(ことに、右供述記載部分が被告人の認識等ではなく、コーチヤンからの依頼内容についてのものであることに思いを至すべきである。)。更に、弁護人がとりわけ問題とする51・9・17付〈検〉と51・9・21付〈検〉との間の異同については、後者における関係部分の供述記載が、その体裁、内容自体からも明らかなとおり、前者におけるそれを要約する形で再確認した趣のものであり、全体的に前者に比し簡略化されていることよりすれば、本件会談におけるコーチヤンからの調査依頼事項の主要部分たるニクソンからの話(これについても、前者の内容をまとめた表現で供述されている。)のみにつき供述記載がされているとしても何ら問題とすべき筋合のものではない。のみならず、仮に所論指摘の如く安保検事が被告人の反論の結果辻褄合せのため当初の〈検〉の内容を変更せざるを得ない立場に陥つたものとすれば、かような事態については、当然に板山検事に注意を払うべく引継がなされたものと推認でき、更に、板山検事が安保検事同様に強引な押付けに終始し、これに被告人が反論したとすれば(被告人は、この事項に関しては、板山検事作成にかかる51・12・1付〈検〉も、安保検事作成の〈検〉と同様の事情で作成されたとしている(56〈公〉)。)、板山検事は、51・12・1付〈検〉作成までに多数回の取調を行ない、この間時間的余裕も十分存したのであるから、被告人の反論につき直接調査する暇もなく、第一回取調の当日に作成された51・9・17付〈検〉と同様の経緯、事情により、同じく結果的に客観的事実関係と齟齬する供述を押付けるが如き事態を繰返したものとは、到底考えられない。〈3〉なお、弁護人の、昭和五一年九月一七日当日の取調時間(同日付捜査報告書(甲(三)46―検察官請求証拠目録甲の三の請求番号を示す。以下同じ。―謄本)によれば、正味一時間四七分とする。)と同日付〈検〉の供述記載内容とを対比すれば、コーチヤンからの依頼事項に関しても、被告人と安保検事との間で押問答を繰返したと推認される旨の主張は、当日の取調が、絶えずその間に休憩を挾んで、三〇分(二〇分休憩)、五分(一〇分休憩)、二三分(二一分休憩)、三八分(四分休憩)、一六分と被告人の病状に対する配慮から細かく分断されたものであり、各々の前後にある程度の時間的ロスが発生するものと考えられること、当日付〈検〉は一〇枚半に及ぶものであり、第一回取調である関係上、そのすべてにつき当日初めて供述が求められたものであること、相当以前の時点に遡る内容を含み、各事項につき即答できるものとは考えられないこと等の諸事情を総合すると、にわかに左袒し難いものである。〈4〉また、取調検事においてハワイ会談前後の各種報道等を収集検討していたことを前提として、それによつて予断を抱き被告人を誘導するに及んだものであるとの主張は、ハワイ会談でニクソンから田中角榮に対し、ロツキード社の件を依頼したこと自体はともかく、その存否を調査してくれとの、コーチヤンからの依頼が被告人に対しなされたとすること自体についての判然とした資料は当時存在しなかつた(この点についてのコーチヤン証言は前示のとおりであり(なお、弁(二)66等も略々同旨。)、明確に供述したのは、まさに被告人の51・9・17付〈検〉が最初である。)ことに照らしても、にわかに肯認し難く(当時、クラツターは未だ実質的証言をしておらず、かつ、コーチヤン、福田によれば、本件会談にクラツターも同席するかの如くであり、一方的に被告人に押付けをすることは、後日に至り、クラツター証言との不一致を招く危険性も十分考えられたはずである。)、また却つてその前提自体、前記昭和四七年九月二日付新聞記事がハワイ会談に関する基礎的資料であることからすれば、前述の被告人〈公〉と結果的に背反することとなりかねず、採用の限りでない。

以上の次第であつて、被告人〈公〉、安保〈公〉等の関係証拠によれば、被告人において、弁護士の周到な準備、助言の下に取調に対処したこと、及び取調当時十分検事の取調に対応できる精神的、肉体的状況にあつたものと認められ(この点は後に詳細説示する。)、コーチヤンの依頼事項に関する各〈検〉の供述記載は、検事に執拗に追及され、押問答の結果、根負けして相槌を打つたのが調書となつたものであるとの被告人の〈公〉における弁解は、その押問答の主要な内容とする前記新聞記事の件に関して、にわかに措信し難いし、他方、その際、コーチヤンが再三証言しているようなマクダネル・ダグラス社及びボーイング社の代表者の名刺を示した件については、何回聞かれても見せたことはないからないといつたら、そのとおり調書にして貰つたものであつて、記憶にないとあくまで否定していること(51・9・17付、51・9・21付、51・12・1付各〈検〉によれば、検事が再三尋ねたにもかかわらず、あくまで否認していることが明らかであり、その結果この点についてはコーチヤン証言と相異する供述となつている。)、あるいは、当時クラツター証言が未だなされていない段階で、取調検事が入手し得た関係者の供述たるコーチヤン〈嘱〉、福田〈検〉において、そのいずれもが、本件会談につきクラツターの同席を認めているにもかかわらず、クラツターが来た記憶はない旨結果的にクラツター証言と合致する供述をしていること(51・9・17付〈検〉)、同じく児玉の同席についても否認に終始していること等、まさに取調検事においてコーチヤン証言、福田供述等に依拠して被告人を追及したとすれば、当然問題となるべき本件会談に関する基礎的事項についてすら、取調検事の執拗な追及を受け、押問答を繰返したとしながら、否定しとおしている経緯、状況、更に被告人において新たな事実を初めて供述した事項の存すること等の諸事情をも鑑みるとき、その弁解供述は信用し難いものであると言わざるを得ない。

(四) 以上の次第であつて、コーチヤン及び被告人の前記(一)記載の各供述は、いずれも、十分信用に値するものであり、この点に関する弁護人の主張はすべて理由がない。

なお、弁護人は、本件会談の際、児玉が同席した事実及び被告人と児玉がL―一〇一一型機の売込みに関して話し合つた事実はない旨主張しているところ(争点〈6〉)、前示コーチヤン証言、同人作成のメモ日記の九月一六日付の記載及び福田〈検〉(甲(一)184)等を総合すれば、本件会談に児玉が同席したことを優に認定できるものである。所論はクラツター日記の同日欄の記載に児玉の同席を示す記載がないことを問題とするが、既に説示したとおり、クラツターはコーチヤンから本件会談に関して後に説明を受けたに止まるとしているのであつて、同会談に出席したことが明らかな(このことは被告人〈公〉においても肯認しているところである。)福田についての記載も存しないこと(後記一〇月五日の会合に関する記載においては、いずれにも「HF」(福田の暗号名)との記載がなされている。)を併せ考えても、その記載を欠くこと自体に過度の重点をおくことはできない。更に、被告人及び児玉においても、各々児玉同席の事実を否定していることが窺われるものの、〈イ〉当時コーチヤンが記入したメモ日記に友達及び彼の友達と会つた旨の記載が見られ、同メモは本来滞日期間中における個人的な備忘のために作成していたもので、特に販売活動の最終段階においてその主要事項を記載、利用していたものであるから、もとより後日の備えなどの意図があろうはずはなく正確な記載と解されること、〈ロ〉児玉と二〇年来の交友関係にあり極めて密接な間柄にある福田の前記供述はそもそも児玉についてコーチヤンとの面談の機会、状況を供述するうちに、偶々その会合の一回が国際興業本社応接室で行なわれ、被告人もそこに同席していたとする趣のものであるから、供述の本来の対象たる児玉同席の有無につき誤つた供述をしたものとは到底考えられず、更に未だコーチヤン、クラツターに対する嘱託尋問も開始前の状況にあり、児玉も否認していた当時の段階で福田がことさら虚構を申し述べる必然性は何ら考えられず(福田〈検〉の信用性を争う弁護人の主張は、本件会談の状況について福田の供述が具体性に乏しいとする趣のものであり、児玉同席に関する供述自体に限つては、少し遅れて児玉がやつて来たとするなど具体性に富み、かような疑念を差し挾む余地は毫も存しない。)、その後なされるに至つたコーチヤン証言と一致している点などからみて十分に信用できるものであること等諸般の事情に照らせば前示認定を覆すに由ないものである。

その他関係証拠に照らせば、この点に関するコーチヤン証言は信用できるものと言い得るのであるから、それ以上立ち入つて本件会談の席上における被告人、児玉間の話合いの有無につき検討をなす必要性は最早認められず(コーチヤン証言の正確性を明白に否定し得る証拠は認められないのであるから、所論指摘の如き事実関係の存否を判断することは、同証言の信用性に影響を及ぼすものではない。)、前示のとおり(1(一)後段参照。)右話合いの存否にかかる所論については、訴因の対象外の事実についての主張であるから、特に判断をしない。

5 いわゆる陰謀についての関係証拠の信用性<争点〈7〉>

(一) いわゆる陰謀(全日空はマクダネル・ダグラス社のDC―一〇型機を、日航はボーイング社のB―七四七型機及び将来に亘つてロツキード社のL―一〇一一型機を各々購入することとする旨の日本政府筋における計画のこと。)に関する弁護人の主張(前記1(一)(1)〈7〉)は、コーチヤン証言及び同人作成のメモ日記の記載並びに被告人〈検〉の正確性等に関連するものであるので、その限度で以下順次検討する。

(二) 先ず、昭和四七年一〇月五日におけるコーチヤンと被告人の会談に関して検討するに、コーチヤンのメモ日記には「10/5午前一〇時から午前二時三〇分まで?と話をした。」旨の記載が存するところ(コーチヤン〈嘱〉第2巻副証12)(なお、コーチヤンは右「?」は被告人に対する私の暗号のマークである旨証言している(同148頁)。)、コーチヤンは右メモ日記を示されることなく、全く別の丸紅伊藤常務との会合の内容について一般的な質問を受けていた際に自ら福田からの早朝の電話連絡に始まる同日及びその翌日に至る出来事について右メモ日記の記載と合致する証言を始めたものであり(同111頁以下)、同月五日午前中の被告人との会談の内容についても、そのやり取り、雰囲気まで具体的かつ詳細に証言しているうえ、その後も右日時につき一〇月五日と明言するなどしつつ、詳細に同趣旨の証言を繰返している(同148頁、第3巻203頁、第5巻461、468頁、なおこの際には、メモ日記等をみることなく午前一〇時から被告人と会談した旨正確に供述している。)。そして、その証言は、被告人の対応とりわけ今までコーチヤンに対しロツキード社に対する援助の意思を必ずしも明確に示していなかつた被告人において、同日の議論の際には、被告人のあれ程の援助に対してコーチヤンが全く失礼だと非難したとする点(第3巻205頁等)など、実際にその場に立会つた者でなければ到底証言し得ない事項に充ち、具体性、迫真性に富み、かつ、その中の、当日、被告人が折からハワイへ向けて出発しようとしていた旨の証言などは、現に、客観的事実に符合するものであること(符102パスポート等)等に照らせば、十分信用できるものと言い得る。加えて、コーチヤンにおいて右一〇月五日に陰謀の撤回に努めた状況について当時クラツターにその概略を説明したとしているところ、クラツターもこれを是認し(第6巻571頁以下。)、かつ当時記入していた同人の日記同日欄(弁(一)12)にもこれを示す“(ACK/HF/C)”(「C」とは被告人を示す記号である。)との記載が存するうえ、そのころコーチヤンの説明を受けてその指示のもとにクラツターが陰謀に関する状況を整理、作成した書面(コーチヤン〈嘱〉第2巻116頁、第5巻495頁)が現に存在すること(同第2巻副証10―A)、コーチヤンにおいて翌一〇月六日丸紅の大久保常務に陰謀に関する調査を依頼した旨証言しているところ、右大久保において、略々これに合致する証言をしていること(45〈公〉)等関係証拠により認められる諸般の事情に照らせば、昭和四七年一〇月五日午前中に、陰謀を撤回させ、ロツキード社に不利な状況を覆すべく、コーチヤンが国際興業本社で被告人と会談した事実を認めることができる。

弁護人は、これに対し、前示メモ日記、コーチヤン証言はクラツター証言と対比検討するとその正確性に疑問が存するとして、コーチヤンは当時クラツターが台湾に出張していたため同人を右会談に同行させられなかつた旨証言し(第5巻470頁)、クラツターも右会合は私が香港か台湾にいた間にもたれたものであると記憶している(第6巻572頁)としているところ、クラツターがそのころ離日していたのは、一〇月九日から一二日までの間であること(甲(一)14)よりすれば、一〇月五日に被告人を訪問した旨のコーチヤン証言及びそれを示すメモ日記の記載の正確性は疑わしい旨主張する。

確かに所論指摘の如き証拠関係は存するものの、それを以て直ちにメモ日記及びコーチヤン証言の信用性を否定するものとはなし得ない。蓋し、〈1〉そもそも、右の事情はクラツターが右会合に参加しなかつた理由に関する誤りに過ぎないものであり、クラツターの出欠及びその理由如何が同会合の存否自体をも左右するような関係にあるものとも考えられないのであるから、同会合の事実自体を否定する根拠とは到底なり得ないものである。〈2〉次にその会合は日記の記載より一週間位後のことだつたかも知れない旨のクラツター証言については、然りとすれば何故ことさら一〇月五日欄に記載したかが全く分明でなく、また一週間後とされる日時ころには被告人において海外渡航中であり、コーチヤンが繰返し表現している被告人のハワイ渡航の当日とは一〇月五日しかないことに照らしても、コーチヤンにおいて本件会合後に一〇月五日の出来事としてクラツターに話したものと推認するのが相当であり、前記クラツター証言はその限度でにわかに措信し難い。〈3〉またコーチヤン証言に徴するに、当日、福田より連絡を受けたのが午前六時ころであり、急遽福田を介して被告人との面会約束をとり、国際興業に赴いて被告人との会談を始めたのが同一〇時ころであることよりすれば、この間において、クラツターとの連絡、調整等が間に合わなかつたものとも十分推認し得ること、コーチヤンは他方でその週末(一〇月七日土曜日)にクラツターに問題を説明して報告書を作成させた(第2巻116頁、第5巻495頁)と供述しているところ、クラツターの出入国状況に照し、右一〇月七、八日ころには同人においてまさしく在日していたこと等その他前示の諸事情をも勘案すると所論援用にかかるコーチヤン、クラツター各証言は、クラツターが一〇月五日会談に不参加の理由についての単なる記憶違いとみるのが相当である。

(三) 次に弁護人は、同年一〇月一四日に被告人と面談したとするコーチヤン証言及び同月付メモ日記の記載は、客観的に誤りである旨主張する。

確かに、弁護人提出にかかる証人山口卓哉46〈公〉、同増田昭46〈公〉、同加藤勇治46〈公〉、同藪興博46〈公〉、同中島寿秀51〈公〉等の各証拠によれば、被告人において、同日午後八時過ぎに東京国際空港着の旅客機で帰国したものであるところ、コーチヤンは当日、箱根宮の下富士屋ホテルに夕方ころから投宿していることが窺える。しかしながら、コーチヤンのメモ日記同日欄の記載は単に「10/14?が戻つた」とするに過ぎず、九月一六日欄あるいは一〇月五日欄の如く被告人と「話をした」旨の記載は何ら存しないのであつて、右両日欄の記載との対比において、その記載内容を検討すれば、却つて一〇月一四日当日における被告人との会談の事跡の存在を否定する(少なくとも積極的に会談の事実を示すものではない。)趣のものと言い得るのであるから、所論主張にかかる事実関係とは何ら矛盾するものではない。

他方、同日に関するコーチヤン証言を見るに、

〈イ〉 同日被告人は国外から帰つて来たので、我々は彼に会つた(第2巻157頁)、

〈ロ〉 同日に私が現実に被告人と会合をもつたかは確信がない、昨日多分会つたと言つたがそれは福田から情報を聞いたのかも知れない(第3巻198、199頁)、

〈ハ〉 前には実際に会つたか曖昧だつたが、新聞記者の質問を思い出すと、おそらく一〇月一四日に会合したと思う、その(一〇月五日会談の)後我々が会つた際、お互いに話し合い、その時点からうまくいつた、従つて同日被告人と会つたことは極めて確かである、一〇月五日ころ児玉に被告人への取りなしを頼み、児玉はそうしてくれた、その後被告人から児玉に電話し私との最後の(一〇月五日の)話合いについては心配いらないと言つてきたので、一〇月一四日の会合では一〇月五日の件をもう話し合わなかつた(第5巻506ないし510頁)と変遷している。然るところ、弁護人は右〈ハ〉の証言を引用するものの如くであるが、その証言自体「おそらく……と思う」と証言した直後に「極めて確か」と証言するなど多少不自然な点がみられ、更にその証言が会合の存する理由とするところは児玉に依頼した被告人への取りなし、それに対する被告人の児玉への返答の電話について既にコーチヤンが右会合前に承知していたとすることに尽きるところ、かかる理由を以てしては、一〇月一四日被告人の帰国当日に会合を持つたとする根拠とはなし得ないものである。加えて、仮に右前提を然りとすれば、この間被告人がホノルル、ロスアンゼルス、ラスベガス、ロスアンゼルス、ホノルルと移動していた合間を縫つて少なくとも児玉から被告人に対して一回、被告人から児玉に対して一回、わざわざ国際電話等により連絡をとつたこととなり、その用件の緊急度に鑑みてこれまた不自然である。その他、コーチヤンは、新聞記者のインタビユーを受ける(弁(二)66によれば〈ハ〉は右インタビユーの結果に基づくと考えられる新聞記事の内容と略々同趣旨である。)前の時点では、わざわざ自ら証言を訂正してまで一〇月一四日における被告人の会合については確信がないとしているものであつて(〈ロ〉)、その後前記〈ハ〉の如き証言に再び訂正したのは右新聞記者との応答過程での錯覚が原因と考えられるところ、この間において特に従前の証言を訂正すべき根拠となし得るものの存在は窺われないこと、真に明確な記憶を喚起したものであれば、昭和五一年八月三〇日の嘱託尋問の時点で、右〈ハ〉の如き不分明な証言をなすものとは考えられないこと等をも併せ考えると、その証言の変遷は記憶を判然と喚起したことに起因するものとは直ちに断定できず、むしろ同日の時点でもおそらく被告人と会合をしたと思う旨の証言に示されるように、必ずしも明確な記憶は存しなかつたものと考えるのが相当であり、そうだとすればコーチヤン証言全体の信用性をこの一事を以て否定するに由ないものであると言わざるを得ない。

(四) 最後に被告人〈検〉中にも、陰謀の件に関して

〈イ〉 コーチヤンと会つた三回目は昭和四七年一〇月初旬ころで、コーチヤンから何かブツブツ不平がましいことを言われた、その中味ははつきり覚えてはいないが、全日空がダグラス社の飛行機を買う方針で、ロツキード社としては日航に将来売れるようにするとの方針になつているそうだがそれでは不満だという趣旨であり、それに対し私がどう言つたか覚えてない、この情報を私が提供した覚えはない

(51・9・21付〈検〉)、

〈ロ〉 私がハワイへ行つた一〇月五日ころの朝コーチヤンが国際興業に私を訪ねてきて、同人から、日本ではロツキード社は将来日航がエアバスを買う際に売れるようにしてやるとのことだが、それでは困る、ロツキード社が望んでいるのは今トライスターを全日空に売りたいということで、どうしてそのような方針になつたのかと言われた、同人は非常に憤慨しており私に不満をぶちまけた、私はこの話は誰かの陰謀と思つたが私はそれに絶対一役買つてなどいない、はじめてコーチヤンから聞いた話で、私から流した話ではない(51・9・24付〈検〉)、

〈ハ〉 コーチヤンが来た三回目は、一〇月初旬ころで私がハワイに行つた日と思う、朝のうち突然訪ねて来た、(陰謀の)話を私自身が作り出して情報として流したことは絶対にない(51・12・1付〈検〉、その他右〈ロ〉と略々同旨)との各供述記載が存する。

これに対し、弁護人は、右は被告人において取調検事から何回も執拗に追及され押問答となつたため、弁護士の助言を受けて検事から聞かれるままコーチヤン回想に合わせて認める供述をしたものであるとの被告人〈公〉を援用して、その信用性等を争う。

しかしながら、仮に右〈公〉の如き作成の経緯であるとすれば、被告人自らロツキード社のためと考えて(コーチヤン証言によれば、同人は九月一六日会談の時点においても被告人へ日航・全日空両社へのL―一〇一一型機売込方の援助を依頼し、そのころ既に全日空への売込みに主力を傾け、かつ、同社の方がロツキード社にとつても望ましい情勢であつたことについては、被告人に説明していなかつたものと認められる(第5巻459、460頁等)。)陰謀を計画、推進したこと、その情報を福田を通じてコーチヤンに伝えたこと、従つて右一〇月五日の会談の際にも、コーチヤンの不満表明に対してこの方針に従うべきであるとして反論し、両者の間で議論となつたこと及び一〇月一四日にもコーチヤンと四回目の会談をしたこと等コーチヤン証言ないし新聞に報道されたいわゆるコーチヤン回想記事(弁(二)66ないし68。以下「コーチヤン回想」という。)により窺える陰謀関係の状況につき、いずれも肯認する趣の〈検〉となつている筈である。然るところ、各〈検〉に照らせば、前示の如く、〈イ〉一〇月五日ころコーチヤンと会談し、同人においてロツキード社に不利な状況になつたとして不満を表明していたことは認めるものの、それに対してコーチヤン証言等の如く、反対意見を述べたとする点を何ら供述していないのはもとより(わずかに51・9・24付〈検〉において大局的見地から判断すべきことだと話したかも知れないと言うに止まる。)、〈ロ〉却つて同証言に反して、これは被告人以外の誰かの陰謀と考え、自らは絶対に関与していないし、コーチヤン来訪の際に初めて聞いた話で自分の方からコーチヤンらにその情報を流したものではないとするなど、コーチヤン証言中被告人の関与を窺わせるに足る最も重要な部分についてはいずれも否認している(因に51・12・1付〈検〉においてすら、コーチヤンと会つたのは三回位で、その最後が一〇月五日ころであるとしている。)ことに照らせば、その弁解は到底採用し難い。

もつとも弁護人は、被告人から福田に深夜電話した(弁(二)66では、前夜遅く福田のところに被告人から情報が入つたとするに止まり、安保検事は、もともと電話の件など知らなかつたと証言している(59〈公〉)。)とする点は、被告人において、そのような事実が全くなかつたのであるから否定しとおしたものであると主張する。しかしながら、所論援用にかかる被告人〈公〉(56・61及び乙14)等によれば、この間の経緯に関する被告人の供述は、被告人において、一〇月五日のコーチヤンとの会談の事実を否定したところ、取調検事から陰謀に関する情報を福田のところへ電話しただろうと執拗に追及され、押問答となつたため、弁護士にその情況を説明して相談し、当該部分のコーチヤン回想等は事実に反するところがあるから、その旨後日明らかにするので、この際検事の言う通りに従えとの助言を受けて、検事の言うことに合わせたとの趣に止まるものであつて、右弁解にかかる供述の情況に即せば、福田からの電話の件は、まさに取調検事から被告人の陰謀への関与に対する追及の糸口として、当初から何回も聞かれたと自ら説明している事項であるから、その弁解どおり、取調検事との無用の押問答を回避すべくその言いなりに認めたことが真実であるとすれば、当然この点に関しても取調検事の追及に沿つた形で〈検〉が作成されている筋合のものである。然るに、被告人は〈検〉の供述記載において、右の件につきあくまで否定しているところ、その理由について、電話はしてないからしてないとはつきり言つたし、情報提供を否定しとおした点は自己の供述のままに〈検〉が作成された旨供述しているのであるが(乙17)、他方で右電話の件に関して第一回取調時より繰返し追及を受けたとしていること(被告人は、電話しただろう、電話しただろうと言われたとしている(56〈公〉)。)と対比すれば、押問答を回避すべく検事の言いなりになつたとしても、この部分については、なお再三追及を受け続けることとなるのであるから、前記〈公〉弁解に反する結果となつて、前後矛盾を来し、にわかに措信し難いものと言わねばならない。因に、被告人は、かかる矛盾を指摘されるや、右電話の件については、弁護士に相談しなかつたので、その助言にも従わなかつたともするのであるが(乙17)、右は被告人が〈公〉で供述する取調検事の追及方法に鑑み、助言を求めるきつかけとして当然弁護士に相談したものと考えられるから、到底措信できない。結局、陰謀に関する〈検〉の供述記載に関しては、被告人の〈公〉等における種々の弁解を前提としても、弁護士の助言に従い取調検事の言いなりになつた部分と弁護士の助言にもかかわらず、あくまで自己の供述を押し通した部分とが併存する(乙17)との極めて不自然な事態を想定せざるを得なくなり、これについて何ら合理的な説明はされていないし、それ自体前記被告人〈公〉における取調検事の言うとおり認めたとの弁解に背馳する結果となるのである。すなわち、被告人において弁護士の助言を受け、後日コーチヤン回想等の信用性は十分弾劾できると考えて、取調検事の言うままに従つたのであれば、同じ陰謀に関する事項中一定部分に限つて否定すべき必要性は何ら窺えないうえ、〈検〉中否認にかかる部分が取調検事において最も追及したと考えられる被告人自身の陰謀への関与の有無及びその状況に限られていることは、仮に執拗に追及された事項に関しては、検事の言いなりになつたとする弁解のとおりとすれば、かかる部分こそ当然第一に肯認する内容の〈検〉が作成されて然るべきことに照らして明らかなとおり、被告人の弁解と全く矛盾する事態であつて、その弁解の措信し難いことを示すものである。のみならず、その結果前示被告人〈検〉の供述記載が、被告人〈公〉及び安保、板山各〈公〉等に照らし、取調検事において被告人に対する取調の際の基礎資料として使用したものと窺われるコーチヤン証言と、その主要部分において専ら被告人自身の関与を否定する点で大巾に食い違つた内容となつていることは、右両検事による被告人の供述態度、情況に関する証言をも併せ考えるとき、翻つてその供述記載が真実被告人の自発的な供述に基づくものであることを窺わせるに十分である。

以上の次第であつて、板山検事に対しては、弁護人の助言に反して、その調査結果等を主張するなどして(この点は概ね板山検事もその〈公〉で是認している。)記憶がない旨供述を翻したとの被告人63〈公〉(最終的には安保検事に対すると同様に認めたとするが、その最終的な供述に至るまでの変遷過程についての〈公〉は不自然であり措信し難い。)等その他の被告人〈公〉等を参酌しても、その〈公〉にかかる供述の経緯、情況は到底措信し難く、所論は採用の限りでない。

6 渡辺慫慂についての関係証拠の存在<争点〈8〉>

(一) 被告人において昭和四七年九月中旬ころ、全日空渡辺尚次副社長に対し、田中角榮から聞いたハワイ会談におけるニクソン大統領の意向を伝える形をとるなどして、婉曲に全日空のL―一〇一一型機導入を勧めた事跡を窺わせるに足る証拠として、右面談の当事者たる被告人及び渡辺尚次双方の〈検〉が存する。

(二) すなわち、渡辺〈検〉には、被告人から全日空にトライスターを採用して貰いたい旨頼まれたとして、ハワイ会談が行なわれて間もない昭和四七年九月中旬ころ、多分、被告人に言われて私が国際興業本社に出向いたと思うが、同所応接室で午前九時か一〇時ころ被告人と会つたことがある、その際、被告人から、ハワイ会談の折に、田中角榮が被告人のホテルを利用したことについての自慢話があり、続いて、実はその折、ニクソンから全日空がトライスターに決めてくれるといいんだがと言う話があつたそうだよ、この間角さんに会つたらそう言つていたよという話があつた、言い方は婉曲だつたが、被告人としては全日空にトライスターを採用してくれということを言おうとしたのだと思つたし、当然私が若狭社長にその言葉を伝えるだろうと期待していたと思う旨の供述記載がみられる(51・8・9付〈検〉)。

(三) 更に、被告人〈検〉中にも

〈1〉 昭和四七年九月か一〇月ころ、国際興業で渡辺に会つた時に、田中・ニクソン会談の際、ニクソンが日本でロツキード社のトライスターを導入して貰えば結構だがと田中総理に言つていたそうだということを話したように思いますが、その記憶がいまひとつはつきりしないので、よく思い出しておきます(51・9・17付〈検〉)、

〈2〉 先般申したように、昭和四七年の九月か一〇月ころ、渡辺が国際興業へ来たときにニクソンが田中先生にロツキード社のトライスターを買つて貰うと有難いと話していたそうだと話した記憶がある、渡辺に話したことだけは間違いない、私から全日空に対して圧力をかけるようなことは何一つしてないし、渡辺へも、別に目的があつて話したものではなく、何かの話のついでにこんなことがあつたそうだと教えただけです(51・9・21付〈検〉)、

〈3〉 ニクソン会談の件を渡辺に話したのは、この際全日空にトライスターを買わせることが(日米)両国のためにもなることだということを理解してもらうためでした、しかし、全日空に対し圧力をかける気持で渡辺に話したものではない(51・9・24付〈検〉)、

〈4〉 私は全日空にトライスターを購入させることが日本のためにもアメリカのためにもなることだと理解し、昭和四七年九月か一〇月ころ渡辺と国際興業で会つた時、田中・ニクソン会談でニクソンが田中総理に日本でロツキード社のトライスターを購入して貰えば良いのだがと言つていたそうだと話したことがありました、しかし、それは日米両国のためになるということを理解して貰うためであり、全日空に圧力をかけるという気持で話した訳ではないことを理解して貰いたい(51・12・1付〈検〉)

との供述記載が存する。

(四) 以上のとおりであつて、前示認定の経緯に右(二)、(三)の供述をも信用できるものとして勘案すれば、被告人において昭和四七年九月中旬ころ、全日空にL―一〇一一型機購入を勧めるべく、田中角榮から聞いたとするニクソンの意向を渡辺に話したこと及び渡辺も被告人の右発言は、全日空でL―一〇一一型機を採用して貰いたいとの意向を婉曲に表示したものと理解したこととの事情を認めることができる。これに対して、弁護人は、前記1(一)(1)〈8〉のとおり、かような事実は認められないとして、右(二)(三)掲記の被告人及び渡辺の各〈検〉の信用性を極力争うので、以下項をかえて、その主張の当否を検討する。

7 渡辺尚次の供述記載の信用性<争点〈8〉続一>

(一) 弁護人は、渡辺〈検〉に対し、これと相反するか又はこれを修正する渡辺〈公〉(21、22)中の、〈イ〉被告人と雑談中に田中角榮とニクソンがハワイで会つたとき、田中が被告人の経営するホテルに泊つたという話が出たような気がする、〈ロ〉検事からそれに関連して飛行機の話が出なかつたかなどと何回も尋ねられているうちにそういえば泊つただけの話ではいかにも尻きれとんぼのような気もしたし、記憶がはつきりしないので何回か応答しているうちに、理屈の上からはそういうことも考えられる、あるいはそんな話が出ても不思議ではないという気がしてあるいは聞いたかも知れない、しかし記憶ははつきりしないと検事に述べた、〈ハ〉昭和四七年当時、新聞、経済誌等にハワイ会談の話が載り、その際ニクソンがトライスターのことを田中角榮に依頼した旨の記事などを会社で種々読んだ記憶があり、それと混同したのかも知れない、〈ニ〉記憶としては、はつきりしないと述べたが、取調検事に押し切られ、最後は已むを得ず調書に署名したことを骨子とする各供述を援用し、前記6(二)掲記の渡辺〈検〉の供述記載はすべて検事の誘導、暗示によりなされたものである旨主張する(なお、渡辺〈公〉(甲(一)197、198、199、201、202)にも同様の弁解が窺われる。)。

しかしながら、渡辺は、右〈公〉においても、同人の〈検〉同様、被告人から田中角榮の宿泊したホテルに関する話が出たことは認めつつ、被告人からL―一〇一一型機の採用を勧められたことについて、それくらいの話が出ても不思議じやないと思うが、それではどういうことで話があつたかとなると一向にはつきりしない旨証言しているのであつて、〈検〉の供述記載を完全に否定する供述には出ていないものであり、そのこと自体現に渡辺への慫慂を強く否定している被告人に対する審理の最中(21、22〈公〉)での証言であることをも併せ考えると(渡辺〈公〉に徴すれば、例えば財界の怪物である旨の〈検〉中の表現をことさら緩和した言い廻しに変更している個所など被告人に対する遠慮を如実に示している供述態度が顕著に認められるのは、その証左である。)、〈検〉における供述記載の信用性を窺わせるに足る一個の資料と言い得る。然るところ、関係証拠とりわけ石川〈公〉によつて右供述記載の供述経過を見るに、昭和五一年八月四日の取調において、渡辺が同四九年一月の若狭の田中私邸訪問を被告人がアレンジしたものであると供述したところから、石川検事において、親密な間柄にあると考えられた被告人・渡辺間の各種依頼事項につき逐一尋問するうちに、その過程において、一例として、実は、被告人から田中角榮と同じような言い方でトライスター購入を依頼された旨供述するに至つたもので、その供述事項自体あらかじめ取調検事において想定していたものではなく、またその供述経緯も自然であるうえ、その際、被告人からの採用依頼状況を具体的に供述する(被告人から例のキンキンした声で頼まれたとするなどその供述内容は極めて具体性に富む。)のみならず、同じ機会に田中がハワイ会談の際、米政府が同人の宿泊先として設営していたホテルに泊まらず、自分の経営しているホテルに泊まつたので米国側は困つたらしいよとの被告人の自慢話も出ていたと供述するなど、その供述内容は実際に被告人から言われた者でなければ到底供述し得ない程の迫真性に富んだものが窺われる。更に同検事において八月八日に再確認したところ、同一内容の供述を繰返したので翌九日に〈検〉を作成したものであることが認められる。かような供述の経緯、状況並びにホテルに関するハワイ会談の裏話はもとより、渡辺において被告人からトライスター購入を依頼された事実及びその内容等も右渡辺の供述によつて初めて明らかになつた事項であつて、当時取調検事において渡辺を誘導すべき何らの資料も有していなかつたこと(この点は渡辺〈公〉に即しても明らかである。)に照らせば、右供述記載が取調検事の誘導あるいは押付けによつて得られたものでないことは明らかである。

然るところ、渡辺の前記弁解供述は、次のような点でいずれも到底措信し難い。すなわち、第一に、渡辺において昭和四七年当時閲読していた各種報道との記憶の混同を言う点(〈ハ〉)は、ハワイ会談に関する各種憶測記事と、被告人が田中角榮とL―一〇一一型機に関する話をすることとは全く関連がないのみならず、記事を読むことと自ら被告人から話を聞くこととは全く異質のものであつておよそ両者の記憶を混同するものとは考えられない。第二に、当初記憶が定かでなかつたところ、検事から何回も尋ねられるうちに、理屈の上ではそういうことも考えられる、そう言われればそうかも知れないと思うに至つたとする点(〈イ〉、〈ロ〉)は、そもそも具体的な事実の存否は理屈の問題ではなく記憶喚起如何に関するに過ぎないものであるところ、ホテル宿泊の話からトライスター依頼の件を理屈のうえから考えて認めた旨の弁解に至つては、それ自体極めて不合理なものである。第三に検事の取調における心理的威圧及び贈賄、背任等による刑事訴追への恐怖という心理状態等から、取調検事の誘導に乗り、あるいは押問答の末、検事の言い分を認め已むを得ず調書にも署名したとする点(〈ニ〉)は、例えば客観的事実として存在することが明らかな自己の手帳への自筆の記載等についてさえ、最後まで記憶がない、思い出せないとして否定するなど記憶の有無を明確に区別して供述していることに照らせば、渡辺においてそのような状況に置かれていなかつたことが明らかであるし、まして他人に関わりのあることについては慎重に供述していたと認められる同人が被告人、若狭、田中等政財界の重要人物に重大な影響を及ぼしかねない事項につき曖昧な記憶のまま検事に迎合してやむなく供述調書に署名したものとは到底考えられない。なお渡辺は〈公〉において、被告人から聞いた話の趣旨について検事からこれは婉曲的、間接的な依頼に決まつていると言われて止むなく調書に署名した、記憶に全くなければがんばつたがいろいろ言われると理屈の上からも聞いたかなという記憶が定かでない中にあつて署名したとも供述しているところ、右は、それ自体、被告人からL―一〇一一型機に関する話を聞いたか否かの事実の存否の問題と、その話の趣旨を如何に捉えるべきかの評価の問題を混同するものであつて不合理な供述と言わざるを得ない。仮に後者の趣旨であると善解すれば、それは前者の存在を当然の前提とするものであるから、そのような議論がなされたとすること自体、渡辺において前者の事実の存在を認めていたことを示すものである。因に、被告人の話の趣旨については、全日空の大株主として、同社に多大の影響力を有する被告人が、同社における機種選定の最終段階にあり、その動向が注目されていた当時の状況下において、渡辺を国際興業に呼び、その際田中角榮から聞いたとして、ニクソンのL―一〇一一型機支持の意向をことさらその対象たる全日空の副社長に伝えた事情を勘案すれば、まさに〈検〉どおり、渡辺としても、右は被告人においても全日空がL―一〇一一型機を購入することを望み、その旨勧めた趣旨であると理解したものと認められるから、その〈公〉は、〈検〉の信用性を否定するに由ないものであると言わざるを得ない。

以上説示したところ及び保釈問題等に象徴される渡辺弁解の変遷状況等に鑑みれば、所論援用にかかる渡辺の弁解を採用できないことはもとより、石川〈公〉の信用性を論難する弁護人の主張がにわかに採用し難いものであることも明らかである。

(二) 弁護人は、これに対し、渡辺〈検〉の中で、被告人からの依頼の件を報告されたとしている若狭がこの件につき何ら供述しておらず明確に否定していること(若狭50〈公〉)を指摘する。しかしながら、渡辺〈検〉の関係部分に照らしても、当時渡辺から被告人の話について報告を受けた若狭において軽く聞き流した状況が窺われ、かような当時の経緯、状況に加うるに、右は若狭自身供述している(〈検〉、甲(一)253)ところの首相官邸での田中角榮からの話の如く自ら直接体験したものでもないことをも併せ考えると、若狭が渡辺から報告を受けた事情に関して鮮明な記憶を有していなかつたとしても、必ずしも不自然ではなく、そもそも右の一事を以て直接当事者たる渡辺の供述する事実を否定する根拠とは認め難いものである。

また弁護人は、渡辺〈検〉中ニクソンの言辞とされる部分において「全日空」と記載されていることを極めて不自然であるとするが、右は被告人から全日空関係者たる渡辺に対してなされた話の中での、ニクソンの意向について述べた部分における表現であること、渡辺にとつてその関心の対象としては全日空しかなかつたこと、被告人も全日空副社長の渡辺に対して話しているのであるから、ことさら他社のことをも含めて言う必要のない事項であること、後記8(五)説示の如く「全日空」と限定したこと自体に被告人らの意向を含ましめたものとも考えられること等を考慮すれば、とりわけ不自然とも言えないものである。

(三) 以上の次第であつて、渡辺〈検〉の信用性を論難する弁護人の主張は、いずれも理由がなく、同〈検〉中の前記供述記載は、極めて特異かつ重大な事項で、とりわけ渡辺の立場に照らし、強く印象に残る事項についてのものであつて、同人と被告人らとの関係等に鑑み、ことさら被告人らに不利益なことが明らかな虚構の事実を作出すべき必然性は全くない事情の下で、渡辺において初めて明らかにした事項であり、その内容とするところも真実体験した者でなければ窺われない事実を含むものであることその他前示の如き諸般の事情に鑑みれば、十分信用するに値するものと言い得る。

8 被告人の捜査段階における供述の信用性<争点〈8〉続二>

(一) 弁護人は、被告人の前記6(三)の供述記載は、被告人の任意の供述ではないとして、被告人は取調当時高血圧症及び狭心症により長期に亘つて病床に伏していたもので、その病状は極めて重篤であり、加えて治療のため投与されていた各種鎮静剤等の作用も相乗して、体力的にも精神的にも到底正常な状態とは言えず、検事の取調に十分対応する能力を欠いていたもので、かような病状下になされた供述については、少なくとも一般的にその任意性に強い疑いが存する旨主張するとともに、被告人〈公〉における、渡辺にそのような話はしていないと否定したが、聞き入れて貰えず、執拗に責められ、いつまでも押問答が続き身体が辛く根負けして、あれほどの人達(渡辺、若狭)が話しているのならそうかも知れませんねと相槌を打つたものであるとの供述を援用しつつ、被告人において自己の記憶に基づいて述べたものではなく、事実に反する供述であるとしてその信用性をも争う。

(二) よつて検討するに、関係証拠によれば、被告人が本件取調(昭和五一年九月一七日から翌五二年一月一一日まで)当時、高血圧症、狭心症(冠状動脈循環不全症)のため、安静にするようにとの医師の指示の下に各種治療を受け、自宅二階の寝室(約三〇平方メートル)内のベツドに昼夜伏していたものであり、この間の取調がすべて臨床質問の形式で行なわれたものであることは明らかであるが、他方かような病床にある者を取調べたからといつて、直ちにその検察官に対する供述が任意性を欠き、あるいは信用性に疑いを容れるものとは言えないことも明らかであつて、要は、取調当時の被告人の病状、それに伴う精神、肉体状態と取調の態様、方法、供述の情況等を総合的に判断して決すべきものである。

そこで先ず、差当つて前記各供述記載の任意性、信用性の判断に必要な限りで、安保、板山両検事による各取調当日における被告人の病状を見るに、被告人の主治医として当時被告人の治療に当つていた医師山口三郎記載の診療録(符109はその写)及び同人の診断、加療の都度直ちにその内容を聞いて記載していたメモに基づくものとして、同人自身、自己の作成した前記診療録よりも記載の正確性が高いとしている両検事作成の捜査報告書(甲(三)44ないし61)によつて、その取調当時の血圧(収縮期/拡張期)及び脈搏の各々最高値を摘記すると、九月一七日、二三八/一二八、一一八、同月二一日、二一六/一二〇、一〇二、同月二四日、二三四/一三〇、一二六、同月二七日、二二六/一二四、九六、同月二九日、二三二/一二八、一〇四、一〇月一八日(この間、九月三〇日から一〇月一五日まで順天堂大学附属病院に入院、各種検査等を行なう。)二一八/一二八、九四、同月二〇日、二一〇/一二四、九六、同月二二日、二一〇/一二四、九六、同月二九日、二〇四/一一八、九六、一一月二日、二三〇/一三〇、八八、同月一八日、二一八/一二四、九〇、同月一九日、二一〇/一二二、八二、同月二二日、二三四/一三九、一〇六、同月二四日、二三〇/一二八、九〇、同月二七日、二一八/一二八、九〇、同月二九日、二一八/一二八、八八、一二月一日、二〇六/一二二、八六であり、この間必要に応じ、酸素吸入、アポプロン、フエノバールの注射等各種治療処置がとられていることが認められる。然るところ、〈イ〉当公判廷における前後一二回に亘る供述時(各供述が任意になされたことが明らかであつて、かつ、被告人の当事者とりわけ検察官の質問に対する応答状況等に照らし、質問の趣旨を理解し、その追及に適切に対応、反論するだけの十分な精神作用を有していたものと認められる。)においてすら、加齢による多少の血圧の平均的上昇を顧慮するとしても、短時間で二六〇以上の最高血圧に達し、脈搏も一〇〇を超えて、度々酸素吸入、アポプロン、フエノバールの注射等取調当時と同様の処置を施されている(従つてかような各種数値、加療措置のみから供述の任意性に疑いを差し挾むことは相当でない。)こと、〈ロ〉被告人において取調の前後にもしばしば右と同程度の血圧上昇、頻脈、不整脈等の状態を呈し、のみならず検察官による取調より病状に与える影響が低いとされる(山口58〈公〉)国会等からの医師団派遣の際には、右をはるかに超える状況を呈し、狭心症の発作すら起こして緊急加療処置を施されていること(九月八日、二四六/一二〇、一一月一日、二五〇/一三六、昭和五二年一月一六日、二六〇/一二六)(因に、山口証言中にみられる各医師団の取調施行についての感想は、当時の被告人の病状推移下における医師団来訪に伴う特に異常な症状を前提としたものと考えられる。)、〈ハ〉当時、被告人の治療に心血を注ぎ、その症状に即してしばしば被告人宅に泊り込み治療に当つていた山口医師が、九月一七日、二一日、二四日、一二月一日と本件各〈検〉作成当日をとつてみても、いずれも右の如く泊り込み治療に当つた形跡は窺われず、被告人の症状自体、取調によつて重大な悪影響を受けるなどしてかような特別措置をとるべき必要が存する程のものではなかつたと考えられること、〈ニ〉狭心症の発作は取調の前後を通じ、それと関わりなく起きていたものであつて、取調そのものによる直接の影響とは考えられないこと(被告人において心身共に安静平穏な状態にあつたとされる前記入院中においても四、五回の発作が発生している(山口57〈公〉)ことよりしても、このことは明らかである。)、〈ホ〉山口医師の所見によれば、被告人が各種薬剤の作用で意識障害あるいは混濁状態になつたことはなく、また当時の被告人の状況に照らしても投与薬による副作用が発現していたとは認められないこと、〈ヘ〉とりわけ一二月一日付〈検〉に関しては、一旦入院し各種検査を受けた結果、動脈瘤の疑念も解消し、容態が安定、落着いたとして退院した後の取調に基づくものであること等、関係証拠によつて認められる被告人の病状に関する諸般の事情を総合すると、取調当時の被告人の病状及び投与薬の影響を以て被告人の供述の任意性に疑いが存するものとはなし得ない。

これに対して、弁護人はそもそも、二月一六日の国会証言後、九月一六日に至るまでの被告人の病状の推移、経過等からして当時の被告人の病状は極めて重篤であつて、体力的精神的にも検事取調に十分対応することができ得ない状態であつたにもかかわらず、検察官の強い要請により臨床取調が施行された旨主張する。

しかしながら、被告人〈公〉に徴しても、ロツキード事件に関する捜査、とりわけ田中角榮及び全日空関係者に対する捜査の進展及びコーチヤン回想の内容等に鑑み、被告人は弁護士の助言等を受けて、本件取調にかかる主要な事項について、早晩検察官による取調があるものと予測し、弁護士において被告人からの事情聴取、各種事項の調査あるいはその結果の被告人への報告等を開始し、被告人においても検察官の取調に備えていた形跡が窺われるのである。然るところ、関係証拠によれば、被告人は前記国会証言後暫く病床に臥し、ついでやや恢復したため国際興業へも出社する状態にまで至つたものの、七月中旬ころから再び病状が不安定となり、七月二〇日の発作以来臥床したきりとなり、ことに同月末から八月中旬にかけては容態も悪化し、山口医師において連日被告人邸へ泊り込みその治療に専念するが如き状態であつたところ、その後持ち直して比較的快方に向つたものであること(このことは、診療録九月一一日欄の国会医師団来宅以来また八月六日ころの(重態)状態に戻つた様だとの記載よりも明らかである。)、然るに九月八日の国会医師団派遣の際やや重症の狭心症発作を起こしたものの、九月一五日ころには再び病状も落着き小康状態に戻つたこと(診療録同日欄の今日は気分がよさそうだとの記載はそれを示す。)、この間九月一三日から、検察官より中島寿秀を通ずるなどして被告人に対する取調の申込があり、被告人の意向によりこれに応ずることとし、山口医師も、北村順天堂大学医学部教授とも相談のうえ、これを了承したとの経緯が認められる。以上によれば被告人自身が取調受諾を自ら申し出たこと、その病状に責任をもつ主治医において取調時間等の条件付(これらが結果として概ね遵守されたことは山口〈公〉によつても明らかである。)でこれに応じて取調受諾を許可したことが明らかである。これに加えて、その後の取調がいずれも任意捜査としてなされたもので、終始一貫して被告人が日夜起臥していた自室で行なわれ、隣室には被告人の申出等により、いつでも適切な医療措置がとれるように山口医師、家族が常時待機し、更に弁護士、被告人の部下等も別室に待機していた当時の周囲の状況、取調各回毎に主治医として被告人の病状を最もよく把握し、その推移に責任を持つ山口医師が、その取調の可否の判断に全面的に従うとの取調検事の申入れの下に、被告人を事前に診断し、取調実施を了承した場合に限つて取調がなされているうえ(現実に山口医師の意見により取調を中止した事跡の存在することは、例えば一一月前半における約半月間の取調中断等によつて明らかである。)、取調に当つても同医師の申入に従い、連続しては三〇分ないし四五分程度に止めて適宜休憩を取り、この間医師による被告人の容態の診断、治療がなされ、同医師の取調続行可との判断の下に初めて取調を続行する(例えば、九月二七日には、同医師の意見を聞いて途中で取調を中止している。)など被告人の病状に十分配慮しつつ慎重な取調がなされていること(このことは、各回の実際の取調時間が短時間に止まること及び取調検事において被告人に限つて、山口医師から被告人の病状経過、加療内容等を聞き、その病状に関する詳細な捜査報告書を取調の都度作成していたことからも十分窺われるところであり、山口医師もこの点を認めている。)等関係証拠によつて窺われる当時の実際の取調の状況によれば、被告人に対する取調は実質的に、従前よりの被告人の病状の経過及び取調開始後は取調自体の被告人への病状への影響等をも把握、勘案した主治医における被告人の病状を十分顧慮した適切な監督の下において実施されたものと認め得る。

以上の次第であつて、かような被告人の当時の病状及びそれを十分配慮したうえでの取調の実施状況に加えて、取調の間中山口医師が隣室に控えて被告人の容態を終始観察し、弁護士も同邸内に待機していたこと並びに検察官の山口医師らに対する申入れの内容及びそれが遵守されていたことに鑑みれば、被告人は弁護士による適切な法律的助言及び主治医による医学的判断の下に、いつでも取調を回避し得たものであり、かつそのことを十分知悉していたと考えられるにもかかわらずこの間の取調に応じたことよりすれば本件取調はまさに任意の取調であつたものと評価し得る。従つて、被告人が当時病床にあつたことは、そのため却つて自宅での近親者、助言者の実質的な付添いの下での比較的短時間の取調という実態を呈したことを含めて、前示の如き周囲の配慮、情況によつて十分補われたものと言うべきであり、かような点を一切捨象して当時の病状(それも取調自体によつてことさら悪化したものとは窺われない。)と健康人のそれとの比較、あるいは病床での取調であることを以て、よつてその供述の任意性に強い疑いが存するとの所論はその理由なきに帰するものと言わざるを得ない。

なお、弁護人は、血圧等の数値の比較による判断は狭心症という病気の性質に鑑み極めて皮相な見方であるとも主張しているが、まさにそれ故にこそ取調検事においても必ず山口医師の診断、了承を経たうえで十分配慮しつつ取調を開始、続行していたものである。とりわけ山口医師においてはこの種疾患に対する豊富な学識・経験及び長年に亘る被告人に対する病状の観察、治療の成果を踏まえて、右のような狭心症の性質、被告人の特性等をも十分考慮に入れたうえで取調の可否を判定していたものと考えられ、これに加えて被告人において取調毎に弁護士にその内容を報告し、その適切かつ効果的な助言、補佐の下に取調に対処していたことをも併せ考えると、取調に十分対応することが無理であつた旨の所論は採ることができない。

(三) 以上の次第であつて、被告人〈検〉の信用性についての判断は専ら被告人、取調検事らの〈公〉及び〈検〉の内容等によつて窺われる被告人の供述状況その他の事情によつて決すべきことである。

然るところ、弁護人は、被告人の供述状況につき、取調に当つた安保、板山両検事の証言に対して種々論難するので順次検討する。

先ず安保検事の〈公〉に対する主張につき検討する。

(1) 弁護人は、第一に、被告人において、渡辺にニクソン会談の話をした件に関する被告人の供述状況についての安保証言の信用性を駁撃して、被告人が自ら偽証を認めるような供述を簡単にする筈はなく、その供述内容を後退させたことについての追及がなされていないことも不自然であるとする。

しかしながら、前示の如く安保検事は、とりわけ第一回の取調であることに鑑み、被告人の病状に十分留意のうえ、しばしば休憩を挾みつつ合計一時間五〇分足らずの取調時間内において、一一枚に亘る〈検〉を作成するだけの供述を得ていることなどに照らせば、被告人〈公〉の如く何回も否定したが種々押問答の末ついに根負けしたとする程、渡辺、若狭の供述を引き合いに出した押問答が繰返されたり、執拗な追及がなされたものとは考えられず、またそれ故にこそ、一旦なした供述を記憶がはつきりしないと後退させたままでの供述記載に止まつたものと考えるのが相当である。また偽証を自認するが如き供述を簡単にする筈がないとの所論は、まさに単なる推測に止まるものであつて、他に第一回面談の際、福田がコーチヤンを紹介したとする点など国会証言と反する内容を供述し、この点については後にそのことを追及されるや、国会証言当時は記憶になかつた旨的確に対応していること(51・9・21付〈検〉)等に鑑みると、理由がない。

(2) 次に弁護人は安保証言中、〈1〉取調が二、三回で終わるとは告げてない、〈2〉被告人も早く取調を受けてすつきりしたいとのことであつた、〈3〉取調と休憩時間について三〇分ないし一時間で休憩すると打合せた、〈4〉取調中隣室へのドアを少し開けておいた、〈5〉第一回、第二回〈検〉は、被告人の面前で作成したとの各事項に関する供述は信用し難い旨論難するところ、所論指摘にかかる各事項は、取調状況に関連するものであるとは言え、その細部に亘る周辺的事情に関するものであつて、それ自体被告人の供述状況に直接の関係を有しないものであることが明らかである。更に、例えば〈1〉に関して見るに、関係証拠によれば安保検事は、被告人に対する取調に先立つて、その可否、病状の調査等の目的のため九月一三日中島、同月一五日山口、同月一六日弁護士とそれぞれ話合つたことが明らかであるところ、所論主張にかかる取調回数は二、三回で終わるとの安保発言について、〈イ〉中島はその話は弁護士から聞いた(51〈公〉)、〈ロ〉山口は当初被告人本人から聞いた、〈ハ〉被告人は山口及び弁護士から聞いたと各々供述しており、三者いずれもが食い違い、結局誰が最初に安保検事から聞いたものであるか全く不分明である。〈2〉については、山口医師も、九月一五日ころの状況につき被告人本人においてスツキリして入院したいと希望していたし、一一月二二日の取調に関して自らいずれ避けて通れない取調なら治療しながらでも早く済ませてしまうことが被告人本人のためにも最も良いと思つたし、本人も早く取調を終了させたいと強く希望していた旨証言していること、検察官において九月一五日の山口との面談当日に同人の発言内容として作成した捜査報告書(甲(三)45)にも右証言と略々同旨の内容が記載されていることに照らせば、安保検事としてはその証言の如く認識していたものとも十分推認できるのであつて、同人において証言の際ことさら虚偽の事実を述べたものとは認められない。〈3〉については、山口〈公〉及び安保検事から引継を受けた際の状況に関する板山〈公〉によれば、概ね三〇分間位取調べたら一回休みをとる方式で取調べるものとの話合いが事前になされたものと認められるところ、実際の取調の状況に照らすに連続一時間に亘るが如き取調はなされておらず、山口医師自ら事前の取決めは大体守られたし、状況に鑑み取調の中断を申入れたことはないとしているのである。

以上の次第であるから所論指摘にかかる安保証言によしんば、多少の記憶違い、誤り等が存するとしても、その事項の重要度、被告人の供述状況自体との関連性に鑑み、これを以て被告人の供述状況自体に関する安保証言の信用性を否定するには未だその理由がないものと言わねばならない。

(3) 更に弁護人は、隣室で待機中の山口医師が〈1〉第二回取調(九月二一日)の際、病室から「田中さんから聞いたでしよう」などと言う安保検事の大声が聞こえて来た、〈2〉第三回(同月二四日)のときにも、安保検事の大きな声が聞こえ始めたのでまたかなと思つていると、同検事が飛び出して来て「ちよつと興奮させちやつたからすぐ治療してくれ」と言うので中に入つて治療した旨供述していること(〈公〉)を引用して、質問を受けた事項の存在を否定する被告人を同検事が執拗に追及したものである旨主張する。

しかしながら、〈イ〉安保証言によつても明らかなとおり、被告人の病状及び隣室には医師等が、階下には弁護士がそれぞれ待機している状況下での取調であることを十分意識し、配慮に努めていた安保検事が(板山〈公〉によれば、同人も安保検事の取調があまり丁寧なので驚いたことが認められる。)山口証言の如く閉まつたドアを通してはつきり判別できるような大声を続けて出すが如き取調をするものとは到底考えられず、被告人自身この点につき何ら供述していない(従つて、取調の都度毎回その内容を弁護士に報告する際にその旨告げた事跡も窺われない。)こと、〈ロ〉診療録、報告書に徴しても、第二回取調の際の取調中の被告人の病状は比較的安定しており、山口証言にみられる状況に沿うが如き被告人の興奮等に伴う異常な状態の変化の形跡は認められないこと、〈ハ〉山口医師は第三回取調の際の状況に関して、右は診療録中の午後三時五〇分の狭心症発作のときのことであるとしているが、他方同人自ら午後三時三五分からずつと被告人の治療に当つていたとしているところ、当日は午後三時二七分取調終了後は、休憩、引続き〈検〉作成が行なわれていたことが明らかであるから、山口証言の如き時点においては既に取調を行なつていなかつたと認められること、〈ニ〉更に山口証言にかかる右被告人の突然の興奮の事態は、関係証拠に照らすに九月一七日第一回取調の際における午後二時五分ころのマスコミ報道に関して発生した事態を指すものであり、同証人において第一回の出来事を第三回の際の出来事の加く取り違えて証言しているものとみられること(弁護人は、山口〈公〉、診療録によれば、山口証言は真実であるとしているが、山口は〈公〉において第一回取調の際はスムーズに行つた旨証言するものの、現に診療録に照らしても、二三八/一二八と第二回、第三回の最高値を上回る最高血圧を呈していることからすれば、信用し難い。)等の諸事情に鑑みれば、所論は採用するに由ないものである。

(4) 弁護人は、また、51・9・24付〈検〉中、田中角榮との会談に関する供述記載は、〈1〉会談に至る経緯、会談時の具体的状況等に関する供述がない極めて不自然なものであり、真に本人の供述であるか疑わしいと主張するが、被告人〈検〉は例えば渡辺との会談状況についても同様であつて、限られた取調時間の関係等に照らせば(因に、安保検事は第一回から第三回取調までの間、各回ごとに〈検〉作成に至つているところ、各回の実質取調時間は、いずれも数回の休憩をはさんだ中で、一時間二〇分弱から二時間強程度であり、被告人が病床にあつたことをも考え併せると、到底被告人〈公〉の如く、同一事項につき押問答を繰返したり、執拗に追及しうる情況ではなかつたことが明らかである。)、被告人の病状との関連において、専ら重要な事項その中でも核心的と考えられる部分についてのみ記憶喚起等に努めて供述を求め、その限りにおいて〈検〉を作成したとしても、当時の実状に即して必ずしも不自然ではないこと、ことに田中角榮に関する供述は、九月一七日、同月二一日、同月二四日と徐々に供述が特定具体化しているものであつて、所論指摘の51・9・24付〈検〉の供述記載は、前二通よりはるかに具体的な供述となつているうえ、被告人も実際に訪問したことを認めている官邸あるいは私邸その他の場所ではなく砂防会館の田中事務所で話を聞いたとしていること、更には特に用事がなくとも時々会つていたとしているところ、ハワイ会談の話も雑談の折りに出た話であると述べていること等に鑑みれば所論はにわかに採用し難い。〈2〉更に弁護人は同じ事項に関して、政治家の話は遠回しにいうことが多い旨の供述記載について、それ自体不自然であつて、被告人〈公〉のとおり政治家一般の話として答えたことを田中角榮に結びつけたものに過ぎないと主張する。よつて検討するに、被告人自身〈公〉においても政治家の物の言い方について、当時安保検事の質問に対して、〈検〉記載の如き供述をなしたものであること自体は認めているところ、関係証拠により窺うことができる当時安保検事において被告人の供述を求めるべく想定していた取調事項について、未だその担当部分を残していた時点で、しかも短い取調時間の間にことさら政治家一般の話のやり方を尋ねたものとは到底考えられず、右自体田中からの話の存否、内容に関連して、その趣旨を明確にするための取調の過程の中でなされた供述と十分推認しうるのである。

(5) また弁護人は、検察官による供述の押付けの例として〈1〉コーチヤン表敬訪問前に児玉から連絡があつたような気がする旨の供述記載と〈2〉表敬訪問に際しての福田に関する供述記載を挙げる。

先ず〈1〉について検討するに、コーチヤンにおいて七月八日の嘱託尋問(第3巻)以後は、実質的に児玉の紹介、関与を訂正する証言を重ねており、この間の経緯は〈嘱〉の入手状況からみて九月一七日迄には検察官も十分承知していたものと考えられ、また児玉も九月一四日に従前の供述を実質的に改め、コーチヤンの被告人に対する表敬訪問への関与方を否定している(51・9・14付〈検〉甲(一)218)ことに照らせば、右両者の供述に沿う被告人の51・9・17付〈検〉での供述記載を、ことさら所論指摘のような右両者の供述と食い違う内容に変更させるべく執拗に追及したものとは到底考えられず(この点は51・12・1付〈検〉に関しては一層強い意味でそう言い得る。)、所論は採用し難い。

次に〈2〉に関して、弁護人は51・9・17付〈検〉における福田から電話があつた旨の供述記載は、被告人と福田が既に知己の間柄にあつたとの予断を抱いていた検事が強引に作成したものである旨主張するが、仮に所論の如くであるとすれば第二回取調における51・9・21付〈検〉以降の各〈検〉では、これと矛盾し、被告人の真意に合致すると弁護人が主張するところの供述記載がなされていることが明らかであるから、結局所論は、却つて第二回取調以降の供述については被告人の真意に基づくものであることを論証することとなるのである。ところで、関係証拠によれば、被告人は福田の表敬訪問への関与について、取調前に中島から聞いていたとしているところ、第一回取調で初めて福田の名が供述に顕われる場面においては、「福田太郎からの電話」と供述すること自体とりたてて不自然とは言えず、またその供述記載自体に即しても、被告人と福田間で従前面識があつたことを前提とするものでないことは、右電話の件のすぐ後に、取調検事に対する誰の紹介もなしに会うことも不自然ではないとの供述記載が見られること(福田と親しい間柄ならば、現にその福田がコーチヤンの訪問に関して架電してきているのであるから、福田の紹介となるはずである。)からも明らかである。

以上の次第であつて、51・9・17付〈検〉と9・21付〈検〉における福田に関する供述は、要するに、被告人が第一回取調に際し、あらかじめ中島らより当時福田から電話があつたことを確認するなどしていたため、そのままに供述し、次いで第二回取調の際、改めて福田との関係を尋ねられて初対面と言い出したものと考えられるに過ぎず、所論は採ることができない。

(四) 板山検事の取調状況に関する証言についても弁護人は、種々主張している。

(1) 先ず、板山〈公〉によれば、一〇月一八日から一二月一日まで前後一二回に及ぶ取調に際して、安保検事作成の〈検〉の内容に関し、その事項について改めて初めから被告人に聞き直していつたところ、安保検事作成の〈検〉に記載されている供述と殆ど同じような供述をしたというのであるが、弁護人は、板山において他方で田中との話の状況等については言い渋つた旨前者とその趣旨を異にする不明確な証言をしている旨主張するが、板山〈公〉に照らすに、後者の証言は、安保検事作成の〈検〉の内容を再確認した(これに関する証言が前者である。)うえで、更にその状況等について詳細に聞いていく方針で臨んだ取調に関するものであるから、かかる細部に亘つてまでははつきりした供述がなかつたとの趣旨に過ぎず、何ら異とするに足りない。

(2) 次に弁護人は、いわゆる渡辺慫慂の問題について、国会証言当時はそのことについて記憶なかつたとの被告人の供述をとりあげて〈検〉に録取しなかつた旨の板山証言につき、虚偽陳述罪捜査において、証言当時の記憶を追及しないなどとは全く考えられない事態であつて、これはそもそも被告人において渡辺慫慂に関する事実関係を認めていなかつた事実を示すものである旨主張する。

しかしながら板山〈公〉をまつまでもなく被告人〈検〉自体からも明らかなとおり、被告人は取調に際して記憶がない、はつきりしない等の趣旨の表現を各所で使用していたものであるところ、板山検事において、国会証言当時は記憶になかつた旨の被告人の弁解を〈検〉に録取しなかつた理由としては、その弁解が虚偽であるとの心証を抱いていたためであることが、同検事の証言よりも明らかであり、事実関係自体をも否定するものではなかつたため、未だ二〇万ドルの授受の有無等その他の重要事項については、その事実関係自体を否認している状況下において、ことさら本件事項のみに関して証言時の記憶について執拗な追及を重ねる措置に出なかつたものと推認される。更に、例えば51・12・1付〈検〉においてもその事実関係の存在自体について曖昧な供述に終始していた東亜国内航空の田中勇社長紹介の有無に関する事項については国会証言当時の記憶を尋ねていないこと(被告人70〈公〉)からも明らかな如く、そもそも板山検事において国会証言当時の記憶を被告人に尋ねたこと自体、当時被告人がその事実関係を認めていた事情を示すものであるし、同検事が証言当時の被告人の記憶の問題を深く追及しなかつたのも、それだけ事実関係の存在が明白であると確信していたことに基づくものと考えられ、そうだとすれば被告人の弁解を〈検〉に録取しなかつたことの当否はともかくとして、これを以てそもそも被告人において事実関係自体を実際には認めていなかつたものとすることはできない。

(五) 弁護人は(一)掲記の被告人〈公〉こそ真実であると主張する。よつて検討するに、被告人は〈1〉田中角榮からハワイ会談に関する話を聞いたとの事項については、検事と押問答し、聞いたことはないと何度も言つたが根負けした、根負けしてそうだつたかも知れないと言つたかどうか記憶がない、記憶に反することが調書に書かれたとは認識していない、〈検〉の読み聞けは受けたが耳に入らなかつた(56〈公〉)、読み聞けの声は耳に入つたが内容がよく理解できなかつた(61、62〈公〉)、押問答になつたが最後まで否定した、この関係についての〈検〉の供述記載についてはこの裁判が始まつて〈検〉を読むまで判らなかつた(63〈公〉)などと弁解しているところ、他方、〈2〉ハワイ会談に関する話を渡辺に話したとの事項については、何度も押問答をした結果順次に9・17付〈検〉、9・21付〈検〉、9・24付〈検〉の各供述記載のように変遷していつた、そういうことは話していないと述べた(56〈公〉)、話してないと言つたら安保検事から「そんなことないよ、渡辺も話しているし、若狭もそれらしい裏付けがあるんだからよく思い出してくれんか」と言われ、「あれほどの人達が言つているのならそうかもしれませんね」と言つた、いつまでも押問答やつても仕方ないと根負けしてしまつた(63〈公〉)と供述している。

しかしながら、右〈1〉、〈2〉の各事項はハワイ会談におけるニクソン大統領のロツキード社推奨の弁を田中角榮、被告人、渡辺と順次引継ぎ伝えていつたとするところの、相互に密接に関連しあう一連の事実関係についてのものであるところ、被告人〈公〉(61、63)及び各〈検〉の供述記載自体に照らせば、先ず右〈2〉についての取調がなされ、その事実を被告人が供述したところで、次にそれではその話を誰から聞いたかという形で〈1〉に関する取調がなされていつたことが明らかであり、取調期間中相互に関連させながらの取調がなされたものと認められ、〈1〉、〈2〉ともに同様に押問答をしたとしていながら、最終的に前記の如く異なる結果となつたとすること自体にわかに理解し難いものがある。

すなわち、被告人の右〈公〉によれば、押問答となり、結局根負けして相槌を打つた部分(〈2〉)については、当然その供述記載が自己の記憶、認識に反する内容のものである旨認識していた筈であるが、これについて、被告人は取調の都度その内容を弁護士に報告していたところ(57、61〈公〉等)、〈検〉の内容に関しては被告人の話したことをそのとおり書いてあると思うので、こういう質問に対してこのように答えたのでそう書いてあると思うと報告していた(57、62〈公〉)、〈検〉は被告人の言つたとおり書いてあると信じていた(65〈公〉)旨供述しあたかも取調において根負けしてしまつたことを全く顧慮しないが如き認識の下に〈検〉を捉え、その旨弁護士に報告していたと言うのであつて、弁護士に報告したところの〈検〉の内容に対する認識が正しいとすれば、そもそも押問答の末根負けして自己の認識、記憶に反する供述となつた旨の弁解自体成立の余地がなくなることとなる。もつとも他方において被告人は検察官から〈検〉の読み聞けはしてもらつたが、その内容がよく理解できなかつた(55、56、61、62〈公〉)としているが、それにもかかわらず調書に署名した理由についての合理的な説明は見受けられない(乙15、16)。のみならず、被告人は取調検事が〈検〉を作成している時間(各捜査報告書に照らせば概ね二時間前後)中は山口医師の治療を受けつつ休養しているのであつて、取調終了後〈検〉作成、読み聞け前後に亘る被告人の容態は安定していることが認められるうえ、各取調毎に〈検〉の内容も含めて取調の内容を弁護士に報告していることに照らせば、読み聞けの内容も十分理解し得たものと認められる。加えて、51・9・21付〈検〉の記載及び各事項毎の内容並びに安保〈公〉によれば、同日〈検〉読み聞け後、被告人より、同日の取調で供述した児玉から金を貰つたことがないとの事項が〈検〉化されてないとの積極的な申出がなされたため、同〈検〉に第五項として、前四項と無関係の被告人の申出にかかる事項を追加録取した経緯が認められる。以上によれば、被告人が〈検〉の内容を理解していたものと優に認めることができる。

なお弁護人は同日分に関する捜査報告書にその記載がないことを以て右追加録取の事実を争うが、同報告書はその記載内容からも明らかなとおり専ら被告人の病状に伴う取調の経緯を記載しているのであり、追加録取の申立については〈検〉の記載上明らかであるから、右報告書に特段の記載のないことを以て追加録取の申立の事実を否定することはできない。

更に被告人は、前記〈1〉、〈2〉双方の事項に関して、安保検事と押問答し、いずれについても最後までそういうことはないと押し通した、自分が言つたとおりに調書は作成してくれているものだと思つていた、裁判が始まつて〈検〉を初めて見て驚いた、読み聞け、署名の段階までは自分の言うとおりの調書になつていると思つていた(乙16、17)旨弁解供述するが、それ自体前記〈1〉、〈2〉の〈公〉及び読み聞けが理解できなかつた旨の〈公〉と前後矛盾するもので、しかもその供述の経過を見るに、度々の変遷を繰返しているうえ、安保検事による第二回以降の取調あるいは少なくとも板山検事による取調の際には、その過程において、従前の被告人の供述内容は、安保検事作成の〈検〉の内容よりも、一層詳細に亘る事項について供述を求める前提として示され、当然自ら承知し得た筈であつて、それにもかかわらず〈検〉内容を自己の言い分どおりと誤信していたとする点などに鑑みれば、到底措信できない。

次に前記〈2〉のように、被告人において渡辺供述を引用して執拗に追及する検察官に根負けして相槌を打つたものとすれば、本来渡辺〈検〉と被告人〈検〉とは基本的に一致する筈であるところ、両者は、〈2〉の事項に関する最も重要な部分たる渡辺への話の内容中においてすら「全日空」(渡辺)「日本」(被告人)と相異しているうえ、被告人〈検〉には、まさに右会談の周辺状況とも言うべきハワイ会談の際、田中総理が自己のホテルを利用した旨の被告人の自慢話も欠落しているなど、相互にかなりの差異が見受けられる。

弁護人はこれに対し、もともとニクソン大統領が「全日空」云々と言つたとすること自体極めて不自然であるとして渡辺〈検〉の供述記載の任意性を争うとともに、相異点の存在を重視することに反論する。しかしながら渡辺の供述はあくまで被告人の口を通して聞いた、ニクソンの言辞についての田中角榮の話なのであるから、被告人においてはもとより、田中の段階で、全日空にL―一〇一一型機購入を勧める趣旨を含めて、もともとより広い表現であつたところを全日空と限定して話したことも十分考えられるのであつて、むしろ渡辺としては当時、ニクソン大統領の言としながらも自社の名前を特定しての話であるところから、そこに被告人の意向が反映しており、婉曲に購入を勧めているものと忖度したものと理解できる。そうだとすれば、かような当時の理解の下に渡辺において「全日空」と限定して供述することも何ら不自然ではないし、そのことは翻つて被告人〈検〉のこれと異なる供述記載がまさに渡辺〈検〉を認めさせられたものではなく被告人自らの供述に基づくものであることをも示すものである。

次に、〈1〉〈2〉の各事項に関する被告人の供述記載は前記6(三)〈1〉ないし〈4〉の如く、順次変遷かつ具体化しており、この間の記憶喚起等による被告人の供述の進展状況を明確に示すものであると言い得る。

弁護人は、これに対しても、右変遷は押問答の末止むを得ず相槌を打たされた過程を示すものであると主張するが、被告人は、〈公〉において連日同じ事項について押問答をしたというのであるから、所論はこの点において既に失当であるし、何よりも押問答の末止むなく検事の言うとおりに認めたとの〈公〉が正しいとすれば、かように記憶の有無、鮮明さの程度を分別した内容の供述記載になるものとは考えられない。

更に、被告人は、公判審理開始後、間もない段階で、別件公判廷において、安保検事とは押問答をした記憶がない旨証言しているところ(乙14)、被告人自ら、後に右は証言が終ろうとしたとき突然聞かれたので急に思い出せなかつたので、そう言つたが実際はいろいろと押問答をやつた(55〈公〉)旨及び勘違いというかちよつと思い出せなかつた(乙16)旨弁解し、弁護人も同様にその供述の信用性を争う。しかしながら、右はその供述に至る問答の経緯に鑑み、被告人において質問の趣旨、安保検事の取調状況を明確に意識しつつ答えたものであつて、前記弁解の如く、最後に突然聞かれたものではないし、安保検事の取調等に関しても種々聞かれたうえで、板山とは押問答をしたとの証言だが安保ともしたのかとの問いに対し安保検事とは押問答をやつたかどうか記憶はないが、板山とはあつたと思う旨、両検事を対比しつつ供述しているものである。所論は右供述中板山との間ですら、単にあつたと思うとしか答えていないことを捉えて、十分意を尽くしていないものとするが、板山検事との押問答については既にそれ以前に種々供述しており、右の問自体そのことを前提として安保検事との押問答の有無に特定しての質問の趣旨であるから、所論の如く比較の問題ではなく、言葉不足と言うべきものでもないことは明らかである。更に約二か月後の尋問の機会に再確認されながら訂正していないこと(乙15)をも考え併せると右は、少なくとも安保検事との間では記憶に鮮明に残るほどの押問答はなかつたことを示すものと認められる。

加えて、被告人の〈検〉中には、被告人自ら〈公〉において認めるように、コーチヤンとの会談への児玉の同席あるいは金員受領の有無等、毎回繰返し押問答となつても、ないものはないと最後まで否定し通した事項の存すること、第一回コーチヤン訪問に際しての紹介者の存否の件など取調検事による理詰めの質問に対しても的確に対応していること、前記〈1〉、〈2〉関係の事項中、供述している部分と密接な関連をもつ部分についても、例えば田中角榮から全日空への意向の伝達を依頼された件、あるいは被告人において全日空の機種選定へ圧力をかけたこと等については、いずれも再三質問を受けながら否定したままであること、あるいは被告人において渡辺に話した動機につき、それが日米両国のためになると考えたからである旨の弁解を強調していること等諸般の事情をも総合すると、前記〈1〉、〈2〉の弁解はいずれも措信し難いものである。

(六) 以上の次第であつて、前記6(三)〈1〉ないし〈4〉の被告人〈検〉の供述記載は、安保、板山〈公〉等の関係証拠に照らすに、いずれも被告人の任意の供述であると認められ、かつ、その内容が虚偽陳述罪等の関連で自己に極めて不利益なことはもとより、被告人と親交の深い政財界の有力者にも累を及ぼしかねない事項に亘るものであるうえ、弁護士との間の事前準備、調査、報告、助言等をも含めた取調に対する慎重な被告人の応対状況に鑑み、かかる事情を了知しながら、不用意に虚構の事実を述べるものとは到底考えられない。のみならず、その内容は、本件会談の相手方当事者である渡辺の供述とも略々合致するところ、被告人が田中角榮から聞き、渡辺に伝えたとするハワイ会談におけるニクソンの話を渡辺はもとより、本件会談に関しては第三者たる全日空社長若狭得治において別の機会に直接田中から聞いた事跡が窺われ(若狭51・8・11付〈検〉、甲(一)253)、かつ、その各種会談が余人を交えぬ密室的状況下でのものであることに照らすとき、右はいずれも実際経験した者でなければ到底語り得ない事柄に属するものと考えられるところ等よりすれば、被告人の供述の信用性は極めて高度というべきである。

9 渡辺慫慂に関するその余の主張について<争点〈8〉続三>

(一) 弁護人は、被告人において、田中角榮の話を単に渡辺に紹介し、伝えただけでは渡辺に対しL―一〇一一型機の全日空における購入を慫慂したものとすることはできない旨主張する。

しかしながら、前示のとおり十分信用できる被告人〈検〉、渡辺〈検〉に照らせば、被告人はコーチヤンからの全日空へL―一〇一一型機を売込むべく働きかけてほしい旨の依頼をうけ、かつ同社へ同型機を購入させることが日米両国のためになることと考えたところから、その旨理解して貰うべく渡辺に対して田中から聞いたとして同人にL―一〇一一型機購入を望む意向を示した趣のニクソンの話を伝えたこと、渡辺において、右は婉曲な言辞ではあれ、被告人としては、全日空にL―一〇一一型機を採用して貰いたい旨言おうとしたものであると理解したことが認められる。かかる当事者双方の認識に、関係証拠により認められるところの新機種選定の最終段階にあつた当時の客観的状況並びに右面談自体の状況、被告人、渡辺各々の立場、とりわけ大株主であり社賓でもあつた被告人の全日空に対する影響力及び被告人の発言中に登場する人物の地位、被告人との関係等をも総合勘案すると、被告人の渡辺に対する前示発言は所論主張の如く単なる伝言に止まらず、まさに被告人自ら渡辺に対して全日空のL―一〇一一型機購入を婉曲に勧めたものと認めるのが相当である。

(二) 次に、弁護人は、昭和四七年九月中旬ころの田中角榮と被告人及び被告人と渡辺の面談状況についてコーチヤンが何ら証言しておらず、そのメモ日記にも記載していないことは、かかる面談の存在しないことを示すものである旨主張する。

しかしながら、右の各面談とりわけ前者は、コーチヤンの販売活動それ自体とは直接関係のないことであり、かつ、その性質上被告人において、外国人で未だ二回しか面談していないコーチヤンに対し、ことさら報告するべきものとも思われないことからすれば、所論指摘の如き事態は特段不自然ではないし、前示4(二)説示の事情及び一〇月五日面談の際の被告人とコーチヤンのやり取りの中で、被告人からコーチヤンに対し、個別には示さなかつたものの、同人のためにあれほどの援助をした旨指摘している(〈嘱〉第3巻205頁。なお、この証言は、一〇月五日の議論に際してのその過程における被告人の自己の行動に関する発言として極めて具体性があり、信用性に富む。)ところ、他に何ら特質すべき被告人の援助活動も窺えないことからすれば、被告人自身右面談を念頭において、かかる発言に及んだものとも考えられること等をも勘案すると、所論は理由なきに帰するものである。

10 虚偽陳述の犯意<争点〈9〉>

(一) 弁護人は、〈1〉仮に、被告人、渡辺各〈検〉記載の如き面談の事実が存在するとしても、本件事項に関して認められる客観的事実としては、被告人においてコーチヤンの依頼と直接には関係なく、自己の立場で渡辺に対し全日空にL―一〇一一型機購入を慫慂する話をしたことである、〈2〉従つてその関係で考慮すべき被告人の国会証言は、自分の立場でL―一〇一一型機購入依頼の件を第三者に話したか否かについてのものに限られるところ、被告人は右事項に関しては「ないと思いますが、私も記憶はないのですが。」と陳述するに止まり、要するに記憶がないからそのような事実もないと思う旨証言しているに過ぎない(この点に関する公訴事実中の、自分の立場で全日空の何人にもL―一〇一一型機を買つてやつてくれないかというようなことを話したことは一切ない旨の被告人の国会証言の記載は、誤りである。)、〈3〉他方、板山〈公〉及び被告人〈公〉によれば、被告人は、国会証言当時、前記事項に関する記憶がなかつたものと認められる、〈4〉よつて本件事項に関する被告人の国会証言は、その当時の記憶のままに陳述したものに過ぎないから、何ら虚偽陳述したことにはならない旨主張する(前記1(一)(2))。

(二) よつて検討するに、先ず〈1〉については、所論は被告人〈検〉中の全日空にL―一〇一一型機を購入させることが日米両国のためになることだと理解して渡辺に話した旨の供述記載(乙6、13)を援用するものと解されるところ、確かにコーチヤン〈嘱〉(第3巻202ないし211頁等)に徴しても被告人はコーチヤンから依頼されたことのみを以て、同人らの販売活動等を援助したものではなく、自らそれが同機種中最上の航空機であり、その購入が日本のために良いことだと考えた場合においてその活動を援助したものと窺われる。しかしながら前記各〈検〉においても、各々右摘示事項の直前に「コーチヤンから全日空への売込みを依頼されていたこともあり」云々と供述していることからも明らかなように、被告人において渡辺へ話をするに至る経緯においては、コーチヤンの依頼がその契機をなし(被告人は、コーチヤンの表敬訪問をきつかけとして初めてL―一〇一一型機に関心をもつたものである。)、かつ、それが、渡辺への話をした動機ともなつていることに照らせば、所論主張の如く、コーチヤンの依頼による影響なしに純粋に自己の立場のみから話したものとは到底認めることはできない。

なお、所論は「コーチヤンの依頼とは直接関係なく」云々として、あたかもコーチヤンの依頼のみによつて渡辺へ話した場合と、それ以外の場合を分別するかの如くであるが、後者の場合が即自分の立場で話したことにならないのはもとより、後記説示の如く、そもそも被告人の国会証言自体、所論の如き場合分けをしているものとは到底解されないのである。

(三) 次に〈2〉についてみるに、被告人の国会証言(告発状添付の予算委員会議録第一四号甲(一)112)中、一応所論に沿うかの如き分別をして証言しているのは、僅かに坂井委員からの〈イ〉「そこを正確にしてください。コーチヤン氏から頼まれたということでもつて、他に漏らしたことはない。それはそのまま聞きましよう。コーチヤン氏を、この際は外しましよう。コーチヤン氏から頼まれたということは別といたしまして、あなた自身の立場で話をされたことはございませんか。」との質問に対する「ないと思いますが、私も記憶はないのですが。」との陳述のみであつて、それ自体、同委員との間での〈ロ〉(問)コーチヤンから依頼された件(トライスター売込みの話)について、あなたの口から第三者、誰にでも話したことはないか、(答)別にありません、〈ハ〉(問)それではコーチヤン氏のそうした要請については一切あなたの胸にしまつて聞き流し、誰にも言つていないということか(答)そのとおりでございます、〈ニ〉(問)もし、あなたからそのようなことを聞いたという人があらわれたときには、あなたはどういう責任をとられるのか、(答)別に私は、そうしたコーチヤンに頼まれたということで話したことはありませんとの各問答に引続いてなされた陳述であることが明らかである。その証言の経緯に鑑みると、当初所論指摘の如き場合分けをすることなく、L―一〇一一型機売込みに関しては誰にも話していないと完全に否定する趣旨の陳述をしていたところ(〈ロ〉、〈ハ〉)、坂井委員から特に再度の確認を求められるなど追及を受けた結果、「コーチヤンから依頼を受けたことにより」云々と、あたかも限定するかの如き一時しのぎの答弁(〈ニ〉)をなしたため、更に追及されて、止むを得ず、前記〈イ〉の如き自信のない証言に至つたものと認められ、特に意識的に従前の一連の証言を訂正する趣旨の積極的な意味をもつ証言として評価することは妥当でない。加えて、右〈ロ〉、〈ハ〉はもとより、本件事項に関するその余の証言を見ても、いずれもいかなる限定をも、つけないことを当然の前提として、〈ホ〉新機種選定に関し、特定の航空機推薦、反対等の意見を述べたことは、ただの一度も全日空の何人に対してもない、〈ヘ〉ロツキード社のトライスターを推薦したことはない、〈ト〉コーチヤンの売込み依頼は聞き流し、全日空の個人にも、機種選定、ロツキード社のエアバスを買つてくれないかというようなことは一切申し上げてない、〈チ〉全日空に対してエアバス売込み督促、推薦したとかいうようなことは一度もない(荒舩委員長)、〈リ〉トライスター売込みに関し、全日空の方へ話したことはない(塩谷委員)、〈ヌ〉コーチヤンの全日空への売込み(助言)依頼に対し、わかりましたとは言つたが、そのまま全日空の方へは何ら申し上げてない(東中委員)と証言しており、いずれも何ら限定することなく、どのような経緯、立場の下においても、およそ全日空関係者へL―一〇一一型機売込みに関する話は一切していないとの趣旨の陳述であり、特に右〈ホ〉、〈ヘ〉はコーチヤンについて何ら質問を受けずもとより証言していない段階での証言であるうえ、前記〈イ〉証言後においても、〈ル〉別に向こう(全日空)へ頼みに行つてもいない(河村委員)、〈ヲ〉話すとすれば、若狭社長にでも話そうかとも思つたが、別に話はしなかつた(永末委員)と証言し、特に所論指摘の如き場合分けをした上で証言しているものとも認められない。

以上の次第であるから、本件事項に関する被告人の国会証言を全体として勘案し、その趣旨を考察するときには、要するに被告人としては(如何なる立場にせよ)L―一〇一一型機を買つてやつてくれなどと全日空関係者に話したことはないという趣旨に止まるものであつて、前記〈イ〉証言もその部分のみをとりあげて考察することは相当でないのであるから、右と同趣旨以上に出るものではないと解するのが相当である。

(四) 更に〈3〉については、確かに所論指摘の証拠中には、被告人において国会証言当時本件事項につき記憶が存しなかつたとの記載も存するものの、本件事項はニクソン、田中という当時の日米最高首脳をも包含し、かつ被告人において、自ら本来の業務と直接関連しない全日空のエアバス級航空機導入に関与したという極めて特異かつ重大な事柄を内容とするものであるうえ、その国会証言当時はまさに全日空のL―一〇一一型機購入にからむ疑惑が広く国民一般の注目を集め、マスコミ等においても連日大きく報道されていた状況にあり、被告人自身も新聞記者等から本件事項に関して度々質問、取材を受けていた事情に照らせば、関係者が親しい間柄の者であることとも併せて自らその当事者として十分認識を新たにしていたものと認められること、本件事項自体に関しては、国会証言以降取調時まで記憶喚起の因となる資料等を被告人において承知していなかつたと窺われるにもかかわらず、第一回取調時より既に認めるが如き供述をしていること、被告人自身取調検事に対し国会証言当時の記憶忘却について自ら主張した形跡が窺われないこと、国会証言に当つては他の質問事項に関してはしばしば記憶がないなどと陳述しており、被告人において事実の存否と記憶の有無を明確に意識しつつ、それに応じて証言しているものと認められるところ、本件事項については、昭和四七年当時、コーチヤンと会談し、同人よりL―一〇一一型機の売込みについての援助方依頼を受けたこと自体は度々確認しておきながら、全日空の何人に対しても話したことは一切ない、一度もないなどと明瞭に断言していること(各委員からの再三に亘る質問に対し、前記〈イ〉を除き、いずれも判然と否定していることに照らせば、かような各証言がすべてその趣旨を誤つて陳述したものとは到底考えられない。)その他諸般の事情をも総合するに、被告人において国会証言当時本件事項に関し、渡辺にL―一〇一一型機購入を勧めた事実につき記憶を失つていたものとは到底認められず、それにもかかわらず前示の如き否定証言に終始していることよりすれば、被告人が故意に虚偽の陳述をなしたものと優に認定できる。

二  P―3C型機売込援助方要請及び児玉との協議関係

1 弁護人の主張

弁護人は、判示事実中、標記事項に関する部分について、被告人に対する虚偽陳述罪の成立を争い、概ね次のように主張する。

(一) 先ず、客観的事実の存否に関し、〈1〉被告人は、コーチヤンからP―3Cについての説明を受けたことも、同航空機を日本政府に売却するについての援助を要請されたこともない、〈2〉被告人は、児玉と、P―3Cの売込みについて協議したことはない、〈3〉被告人は、コーチヤンに対し、児玉の追加報酬の増額を勧告したことも、援助を約束したこともない旨主張し、その根拠として、右〈3〉の事実に関するコーチヤン、クラツター両名の〈嘱〉の内容は、いずれも曖昧で具体性に欠け信用できないのみならず、その他の関係者たる福田及び児玉が、いずれも右〈1〉ないし〈3〉の如き会談について全く供述していないことを挙げる(弁論要旨227頁ないし245頁。)。

(二) 次に、被告人の記憶に関し、被告人には、そもそも昭和四八年七月ころ、国際興業本社応接室で、児玉同席のうえ、コーチヤンと面談した記憶がないところ、仮に右面談の事実及びその際コーチヤンから被告人に対し、P―3Cの売込方について援助を要請されたことがあつたとしても、被告人は、当時極めて多忙で、雑多な来客との応待を重ねており、極く短時間の自己の事業と何ら関係のない内容のものであつた右会談につき、それより約二年半経過した国会証言時にその記憶を全く消失していたとしても不思議ではないし、従つて国会証言に際しては、何ら記憶がなかつたため、否定証言をしたに過ぎず、虚偽陳述の犯意を欠く旨主張する(弁論要旨13頁、245頁ないし248頁)。

しかしながら、当裁判所は、関係証拠を仔細に検討した結果、前示罪となるべき事実記載のとおり、被告人には、P―3C関係についても虚偽陳述の事実が認められるとの結論に達した。以下、所論に対する判断を示すこととする。

2 本件会談の状況

先ず、P―3C売込援助方に関して、昭和四八年七月下旬ころ、被告人、コーチヤン及び児玉らの間でP―3C売込みへの援助依頼、手数料増額等に関する会談が行なわれたか否か及びその状況、内容等を検討する。

(一) 前掲関係各証拠とりわけコーチヤン〈嘱〉第2巻(81頁、125頁、126頁)、第3巻(208頁ないし215頁、310頁ないし323頁)、第5巻(548頁、549頁)、クラツター〈嘱〉第5巻(415頁ないし422頁)、コーチヤンの外国人出入国記録調査書(謄)(甲(一)11)、社有自動車行動表(符20)及びマーケツテイング・コンサルタント契約修正第四号契約書(写)(符143)等を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(1) ロツキード社は、遅くとも昭和四〇年ころから、日本政府に対するP―3C販売活動を開始していたところ、右売込みに関する競争の対象と考えられるものとしては、川崎重工等による国産の次期対潜哨戒機製造のみであつたこと。

(2) そこで、コーチヤンは、先ず児玉に対し、対潜哨戒機国産化が、その開発等に非常な経費がかかり日本にとつて結局不利益である一方、P―3Cは世界で最も進歩した極めて優秀な対潜哨戒機であり、日本がP―3Cを購入することが、防衛、経済面等全般に亘つて日米両国にとつて利益となること等を理由としてP―3C売込みを図るように説明し、児玉は、これに応じてクラツターとの間で、右P―3C販売計画援助に関する暫定的契約を結び、ロツキード社に対する支援活動を行なつていたこと。

(3) コーチヤンは、全日空に対するL―一〇一一型機販売計画が成功した後、被告人からも、右P―3C売込みについて、L―一〇一一型機売込みに関してと同様の援助を得ようと考え、昭和四八年七月二三日から同月二九日まで来日した間に、クラツターとともに、国際興業本社に、被告人を訪ね、同社応接室で児玉同席の下に、被告人と会談したこと(以下「四者会談」という。)。

(4) 右席上、コーチヤンは、被告人に対し、P―3Cの性能等に関する説明をし、それが世界で最も進歩した航空機であつて、技術的にみて日本が自ら開発、製造することは非常に経費がかかるうえ、相互安全保障条約の下で日米両国が同じP―3Cという対潜哨戒機をもつことは、大変な利点であることなどを指摘して、P―3Cの日本政府への売込みについて、L―一〇一一型機売込支援の場合と同様に情報収集、説得活動等の援助をしてもらいたい旨依頼し、これについて被告人は児玉とも協議したこと。

(5) 右席上、被告人は、従前クラツターとの間で取決められていたP―3C売込みにかかる児玉への手数料の額は適正でなく、増額すべきであるとの児玉の主張に同調してコーチヤンに対し、ロツキード社が日本政府に対するP―3C売込みを成功したいならば、児玉に対する手数料を増額するように口添え説得したこと。

(6) 然るところ、コーチヤンは、被告人の右手数料増額勧告は、P―3C販売活動に対する援助の意向をも包含するものと推測し、これに同意したものであるが、かような経緯から、コーチヤンらは被告人が援助を約束したものと理解したこと。

(7) その後、右四者会談の結果を踏まえた児玉、クラツター間の交渉の末、同年七月二七日付で、日本政府に対するロツキード社のP―3C販売活動について、コンサルタント(児玉)は同社を援助するため特別の努力と時間を提供し、売込みに成功した場合総計二五億円の支払を受ける旨のマーケツテイング・コンサルタント契約修正第四号契約書が、右日付ころ作成されたこと。

以上の事実を認めることができる。

(二) ところで、弁護人は、右(一)の(3)の四者会談の存在そのものは、正面から否定してはいないものの、クラツター証言(弁論要旨235頁以下)並びに福田及び児玉の各供述(同241頁以下)について論ずるくだりにおいては、その存在に疑義があるかの如き口吻を用いるので、念のため、この点について先ず検討する。

四者会談の存在については、〈イ〉コーチヤン、クラツターの両名が、全く別個の機会に(証言のきつかけとなつた質問内容も、明らかに異なる。)、右両名及び被告人、児玉の四者によるP―3Cに関する会談の存在及びその状況につきそれぞれ証言しているという事実並びにその証言内容に鑑み、これを肯認するに十分であるのみならず、〈ロ〉右証言の正確性は、社有自動車行動表(符20)の記載という客観的証拠の存在によつても裏付けられているのであるから、これに疑義を差し挿む余地はないものと言うべきである。

すなわち、四者会談が行なわれたと認められる国際興業本社は東京都中央区八重洲六丁目に所在するものであるところ(中島寿秀51・11・26付〈検〉(甲(一)2)等)、昭和四八年一月から同五〇年三月分までを示す右行動表の記載に徴すれば、本件会合に際しての来日より後の同期間中における八回の来日(その内、来日当日もしくは翌日出国している極く短時間の滞在を除けば、三回の来日(コーチヤンの出入国記録調査書))の機会に、延べ三回コーチヤンが「八重洲口」に赴き、一時間前後同所に滞留したこと(昭和四八年一〇月四日、午後三時一〇分から一時間、翌四九年六月一八日午後七時五〇分から一時間、同月二二日午前八時三〇分から一時間、いずれもコーチヤン外二名)が明らかである。然るところ関係証拠に照らしてもコーチヤンが一週間前後の短時日の訪日期間中、足繁く訪問すべき対象としては、八重洲口には国際興業本社しかないものと考えられること(なお、後記七月二八日分も含めた四回の「八重洲口」行は、いずれも同所に暫く駐車後、コーチヤンを含めた往路と同人数が大手町等へ戻つていることに照らして、旅行等の目的で東京駅へ赴いたものでないことが明らかである。)、ことに昭和四九年六月の分については、同年六月四日付書簡(符49)の記載によればその訪日中に被告人と会見したものと窺えるところ、前記記載を除いて被告人との会談を示唆すべき行動は認められないこと、その他諸般の事情をも総合するに、右各記載はコーチヤンが国際興業本社に被告人を訪ねたことを示すものであると認めざるを得ない。そうだとすれば、本件会合がなされたと認められる昭和四八年七月二三日から同月二九日までの在日期間中の同月二八日、コーチヤンがクラツター(関係証拠に照らし当時東京にいたことが明らかである。)と窺われる外一名とともに午前九時三五分に「八重洲口」に赴き、約三〇分間、同所に滞留したことが同行動表の記載から明らかであつて、この事実は、四者会談の存在を裏付けるに十分である。

(三) 次に、本件訴因の一部を構成する前記(一)の(4)の被告人と児玉との間の協議に関しても、弁護人は、その存在に疑問を投げかけるかの如くであるが、四者会談の席上、コーチヤンからP―3Cの性能等につき説明するとともに、その日本政府に対する売込みについての援助を要請したところ、後記のとおり、被告人から、コーチヤンに対し、児玉に対する手数料増額の主張がなされた経緯が窺われるのであつて、単にP―3Cに関する説明、援助依頼を受けたに過ぎない被告人が、自己に対する報酬を要求するのであれば格別、突如として児玉に対する手数料増額を申し出るというのは何としても不自然極まりないのであつて、かかる申出をなす背後には、必らずや児玉との間にコーチヤンの右援助要請に関する協議が存在すること(そもそも、かかる協議なくしては、被告人において、P―3C関係についてロツキード社から児玉に対し手数料が支払われること、そして、その額が過少であることを知り得べくもないのであるから、これについての増額要請などあり得よう筈がない。)を十分に推認し得るところである。そして、このことは、コーチヤンが彼(児玉)と私はP―3C購入によるメリツトで被告人を説得した旨、児玉と被告人間でP―3Cに関する話合いがなされたことを明言していること(〈嘱〉第3巻314頁)、また、クラツターも、右四当事者間の会談で被告人に対しP―3Cに関する説明をした席上、児玉は、P―3Cの売込みに関する協力を得ようとして被告人と話し合つた旨証言していること(〈嘱〉第5巻416頁)に照らしても、優に肯認できるところである。

(四) 弁護人は、前記(一)の(5)に関し、被告人がコーチヤンに対し、児玉の手数料を増額すべきであると申し入れたことを窺わせるに足る証拠としては、ただコーチヤンの証言が存するのみで、それも極めて抽象的かつ曖昧なものであり、これを以て前記事実を認めることは到底できない旨主張する(弁論要旨244、245頁)。

よつて、この点に関するコーチヤン〈嘱〉を検討するに、コーチヤンは、〈1〉先ず、昭和五一年七月七日の嘱託尋問において、ロツキード社から児玉に対する手数料の支払に関する種々の質問を受けて証言を重ね、一旦、被告人の面前で児玉に対する支払の問題が議論されたことは思い出す限りないとの証言をした後、暫くしてから、自ら前の答を拡充したいとして、自分はL―一〇一一型機の関係に限定して考えていたが、P―3Cについては、その将来の販売に関する契約を締結する前に、被告人の前でも手数料に関する議論が起こつた旨言い出し(第2巻81、82頁)、〈2〉更に、同日午後、右会合の状況に関する尋問に際して、右の話合は、一九七三年に被告人の会社で児玉同席のうえ行なわれた、その話合の基本は、従前ロツキード社が児玉との間で結んでいたP―3C関係契約につき、被告人と児玉が、それは適当でなく、ロツキード社がP―3Cを販売したいならば手数料を増やすべきであると主張したことであり、被告人は、クラツターがあまりに渋すぎるとの児玉の意見を支持したので、私達は手数料の額を引き上げることとし、現在ある契約書を作成したが、それに基づく支払は何もされていないし、直接被告人との間の契約はない旨証言し(同125ないし127頁)、〈3〉翌七月八日にも、被告人のP―3C売込みへの援助に関する尋問に際して、前記会合では、児玉に対する手数料について話し合われ、被告人に対する手数料の話合いはなかつた、その際被告人は、P―3C計画についての援助のため、クラツターが児玉と暫定的に取決めていた以上に金を支払うよう主張した、その話合いの結果そのころ修正四号契約書が作られた旨(第3巻208ないし215頁)、〈4〉更には、同年八月三〇日にも、当時のコーチヤンの心理状態についての質問に対し、前記話合の際、被告人が私に対し、児玉に対する適正な手数料提供に同意していないと説得して、P―3C売込みの成功のため、児玉への手数料を私が増額すべきであると勧告した旨(第5巻549頁)それぞれ証言しているのである。

かように、この点に関するコーチヤンの証言は、当初何ら質問されることなしに自ら進んで証言を始めたものであつて、この間何ら、メモ、日記等その証言の参考資料となるべきものを示されたり、誘導されたものでもないのに、その後も数回に亘り各々異なる方向からの質問に際して、その都度、略々同趣旨の内容を証言していること、被告人自ら直接コーチヤンに対し、児玉の手数料の件を交渉し、その増額を要請した事例は、この一点だけであり、コーチヤンにとつて極めて異例な出来事として強く印象に残つたものと考えられること(コーチヤンが直接関係のない質問に対してまで、自ら進んでこの点につき証言していることは、その顕れと認められるし、同人の証言等によれば、児玉はL―一〇一一型機売込みについても被告人の協力を得るためとして、手数料五億円の増額を要求し、この関係では被告人はコーチヤンとP―3C関係よりはるかに多く会談しているにもかかわらず、被告人において右L―一〇一一型機売込み関係では自ら何ら児玉の手数料増額の要請をしていないと認められ、更にコーチヤンが、被告人自身に対する手数料支払に関する話合い、約定は一切なかつたと繰返し証言していることと対比すれば、本件証言が作為的になされたものとは到底解されない。)等、その経緯、内容に鑑み、極めて信用できるものであり、これにその証言どおり、前記会合ころの日付で修正四号契約書が作成されていることをも勘案すると、前記(一)の(5)の事実は優にこれを肯認できるものである。

なお、弁護人は、コーチヤン証言を抽象的であるとしてその信用性を論難するが、その証言中には、クラツターが渋すぎるとの児玉の発言等、実際に会談に同席しない限り窺い知れない具体的状況が見られるのみならず、前掲各証拠によれば、前記会合は、被告人において児玉に対する手数料の増額方を勧告し、コーチヤンにおいてその方針を了承したに止まるもので、手数料額等詳細の確定は、他の各契約同様コーチヤンからクラツターに任せられ、その後の児玉・クラツター間の折衝によつて細部に亘る取決めがなされて修正四号契約書として作成されたものと認められるのであるから、右会合状況、話合いの内容が手数料の実際額等に関してやや具体性を欠くとしても、もとより何ら異に解すべきものではなく、所論は理由がない。

(五) 次に、弁護人は、前記(一)の(6)に関し、被告人がP―3C売込みについての援助を約束したとは到底認められないとして、〈1〉コーチヤン証言によつては、被告人の援助約束を認定できないし、〈2〉クラツター証言は一層曖昧であり、〈3〉福田、児玉は、前記会談に関する供述すら全くしていない旨主張する(弁論要旨228ないし243頁)。

よつて検討するに、そもそも本件公訴事実中P―3C関係は、被告人において、コーチヤンからP―3Cについて種々説明を受け、同航空機売込みについての援助を要請されたにもかかわらず、コーチヤンからP―3Cオライオンという言葉を聞かされたことは全然ない旨虚偽の陳述をしたという趣のものであり、コーチヤンの援助要請に対して、被告人が協力を約束したか否かは、本件訴因とは直接関係のない事柄である。確かに、コーチヤン〈嘱〉に照らしても、被告人がP―3C売込みを援助する旨明言したことを認めるに足る証言は存せず、クラツター〈嘱〉によつても同様であるが、他方、コーチヤン証言によれば、被告人がコーチヤンに対し、P―3C計画についての援助のため、児玉への手数料支払の増額を勧告し、コーチヤンは、被告人が右の主張をしたこと自体から、その中に被告人の援助約束の趣旨が包含されているものと考え、手数料増額を同意し、その後被告人が、政財界の知人に対しP―3Cの性能の優秀性等を説明したものと推測していることが認められ、また、クラツター証言によれば、前記会談後、被告人がP―3C売込みを援助してくれるものとコーチヤン、クラツターらが理解していたことが認められるのであつて、これにコーチヤンから被告人に対しP―3Cについて説明し、日本政府によるP―3C購入が日米両国にとつて利益になると説得した(コーチヤン〈嘱〉第3巻315頁)うえで、その売込みについての援助を依頼した会談の席上、逆に被告人の方からP―3Cに関する児玉の手数料増額方の主張がなされたことを併せ考えると、少くとも右会談の席上、被告人がコーチヤンの依頼に応じてP―3C売込みを援助するものと受取られるような態度を示したことは明らかである。

なお、弁護人は、コーチヤン証言によれば、同人は被告人のP―3C売込みのための活動内容を全く知らず、そもそも関心すら抱いていなかつた様子が認められる旨主張する(弁論要旨234、235頁)が、所論援用にかかるコーチヤン証言は、修正四号契約の正式作成(又は実施)前に被告人がP―3Cのため何らかの努力をしたかとの質問に対するものであるところ、前示の如く、前記会合の際初めてコーチヤンから被告人に対しP―3C売込みについての援助方を依頼したものであつて、同会談と修正四号契約書の作成との間に殆ど時日が置かれてないことに照らせば、右契約書正式調印前の被告人の活動内容について、コーチヤンが全く知らないとしてもむしろ当然のことで、何ら怪しむに足りないものであり、所論は前提を誤つているものと言わざるを得ない。

更に、弁護人の福田〈検〉に関する前記〈3〉の主張は、福田が本件会談に参加していたことを当然の前提とするものであるところ、コーチヤン、クラツターの各〈嘱〉を仔細に検討しても、福田が本件会談に同席したことを窺わせる証言はないのみならず、コーチヤンにおいて、被告人との会談に際して、あるとき、福田が病気だつたので、被告人の通訳が参加したことがあつた旨証言していること(第2巻79頁)及びクラツターにおいて、児玉と会うとき、福田以外の人がいたこともあつた旨証言していること(第4巻282、283頁)に鑑みれば、そもそも所論の前提自体不確定であると言わざるを得ず、これに福田の各〈検〉をみるも、本件会合についての明確な否定供述は窺えないことをも勘案すると、前記認定事実を覆すに由ないものである。また、弁護人援用にかかる児玉の〈公〉(ことに54・10・25付及び54・11・8付)及び〈検〉(ことに甲(一)218、306)における否定供述は、関係証拠によつて明らかなL―一〇一一型機売込みに関する被告人を含めたコーチヤンらとの会談の事実あるいはP―3C売込みについての協力依頼を受けた事実(〈公〉のみ)等基本的事項についてまでも一切否定しようとする趣のものであつて、到底信用し難い。

なお、被告人〈公〉等に窺われる同様の否定供述も、前示の如き諸般の事情に鑑み、到底措信し難いものといわねばならない。

(六) 以上の次第であつて、P―3C関係事項について、その客観的事実の存在を否定する弁護人の縷々の所論(前記1(一))は、前示(一)の認定事実に反する限り、いずれも理由のないことが明らかであつて採用の限りではない。

3 虚偽陳述の犯意

弁護人は前記1の(二)記載の如く、被告人の「コーチヤンからP―3Cオライオンという言葉を聞かされたことは全然ない」旨の陳述について、〈1〉被告人は国会証言当時、コーチヤンからP―3Cの売込みについて援助を要請された記憶がなかつた、〈2〉従つて、被告人は記憶を失つていたため否定証言をしたに過ぎず、虚偽陳述の犯意を欠く旨主張している(弁論要旨245ないし248頁)。

よつて検討するに、先ず被告人が国会証言当時、コーチヤンからP―3Cについて説明を受け、その売込みに援助を依頼されたことにつき記憶を失つていたものとは到底認められない。すなわち、所論も指摘する如く、単にコーチヤンからP―3C売込みの援助を要請され、これを聞き流したのならばともかく、被告人は、それに止まらず、前示の如く、自ら積極的に右コーチヤンの依頼に関して、児玉と協議し、児玉の手数料増額をもコーチヤンに対して主張し、その旨同意させようと種々説得を尽し、その結果コーチヤンもこれに同意し、被告人らの意向に沿う形で修正四号契約書が作成されている(被告人は、当然この結果についてもコーチヤンあるいは児玉らから報告を受けたものと推認し得る。)のであつて、そうだとすれば、被告人がP―3Cについて相当程度の関心を抱いていたことを十分窺うことができるのである。しかも、被告人がコーチヤンの援助依頼に対応して、それに関する手数料増額を自ら要求したことは、僅かに本件一回だけであるから、本件会談の状況が被告人にとつて特異な事態として強く印象に残つていたであろうことも容易に推認できる。従つて、かような本件会談の状況、経緯に照らし、被告人において、P―3Cの売込みに関して、コーチヤン・児玉らと話し合つたことの記憶が、国会証言当時も残存していたこと、ひいては右会談の記憶に関連して、コーチヤンからP―3Cに関して話を聞いたことの記憶も存していたものと優に認めることができる。

のみならず、所論の如く、被告人の国会証言が、記憶喪失のため虚偽陳述の犯意なくなされたものとは到底認められない。蓋し、関係証拠によれば、被告人は、本件国会証言に際して、各委員からの種々の質問に対し、再三記憶がない旨の答弁を繰返しているところ、本件P―3C関係の陳述は、コーチヤンからP―3Cオライオンといつた言葉を聞かれた覚えはないかとの単純かつ明瞭な質問に対して、「全然ありません」と明確に否定する内容のものであつて(甲(一)112告発状添付予算委員会議録)、右陳述前に塩谷委員からの児玉がロツキード社とP―3Cの契約を結んでいることは知つているかとの質問に対して「全然知りません」とこれについても明白に否定する証言をしていることをも併せ考えると、右陳述は、コーチヤンからP―3Cという言葉を聞いたことは全くない旨の積極的かつ明確な否定の趣旨に理解され、それが自己の記憶に反する内容であることを、十分意識したうえでなされたものと認められるからである。

弁護人は、本件会合から国会証言まで二年半も経過しているのであるから、被告人の記憶が全く消失してしまつたとしても不思議ではない旨主張するが、被告人が、現に国会証言に際して、本件会合より約一年前のL―一〇一一型機売込みに関するコーチヤンとの会談について、その内容もある程度証言していることに徴してもその理由がないことは明らかである。また、P―3Cが被告人の事業に直接関係しないものであることは所論の如くであるとしても、前示のとおり、被告人が自ら積極的にそれに関する手数料増額交渉等に関与していることに鑑みれば、この点に関する所論も採用するに由ないものと言わざるを得ない。

以上の次第であつて、前示認定に反する被告人〈公〉等はいずれも措信できず、結局P―3C関係について、国会証言当時の被告人の記憶消失を理由として、虚偽陳述の犯意の存在を否定する弁護人の所論(前記1(二))も、理由のないことが明らかであつて、採用することができないものである。

三  ロスアンゼルス国際空港におけるクラツターとの間の二〇万ドル授受関係

1 弁護人の主張

弁護人は、判示事実中、被告人は、真実ロスアンゼルス国際空港においてクラツターからロツキード社の児玉に対する支払金員の一部である二〇万ドルを受領したものであるにもかかわらず、判示国会証言に際し、かかる事実に言及しているコーチヤンの米議会における証言は事実に反する旨虚偽の陳述をなしたとの点につき、被告人が右二〇万ドルを受領したとの客観的事実の存在を極力否定し、(一)検察官がその主張に沿うものとして援用する関係証拠、ことに〈1〉クラツター及び〈2〉コーチヤンの各〈嘱〉並びに〈3〉歳谷鉄及び〈4〉麻野富士夫の各供述の信用性を争い、また、〈5〉検察官において右授受に至る間の一連の経過事実として主張するものの中には、何らの裏付証拠を有しない推測が含まれるとして、証明不十分を主張するとともに、(二)より積極的な否認の根拠として、〈6〉児玉・被告人間の支払原因の不存在からして、本件授受はそもそも有り得べくもないこと、並びに、〈7〉クラツター日記一一月三日欄の本件授受とは両立し得ない事項の記載、〈8〉ロスアンゼルス国際空港における乗継に際しての時間的余裕の欠如、〈9〉同空港内における被告人一行の集団的行動の態様の諸点に鑑み、本件授受は物理的に不可能と目すべきであること、更には、〈10〉本件二〇万ドルの実際の流れとして、被告人に対する交付以外の可能性が疑われること等、多岐に亘る論旨を展開している。

そこで、以下、各論旨につき、項を分けて順次仔細に吟味することとする。

2 本件二〇万ドル授受についての関係証拠の存在

(一) 本件二〇万ドル授受前後の状況に関しては、以下に列記するような事項の存在を窺わせる証拠(その主要なものを各項末尾に摘記する。)が存する。

(1) 被告人は、昭和四八年(以下、同年中の事項については、月日のみを以て表示する。)九月末ころ、国際興業秘書室長中島寿秀に対し、従前から買収交渉に当つていた米国ネバダ州ラスベガス所在のサンズホテル買受けの件につき関係者からの要請に応じて同交渉のためラスベガスに赴くべく渡米日程の検討を指示したこと(証人中島40〈公〉)。

(2) 中島は、国際興業副社長長澤良とも相談のうえ、一一月二日羽田をたち、途中ホノルルから、夜行便に乗り継いで、翌三日土曜日の早朝(現地時間。米国内の事項に関しては以下同じ。)ロスアンゼルスに到着し、暫時休憩後、更に飛行機を乗り継ぎ、同日午前中にラスベガスに赴き、同日中にサンズホテル側関係者と買収交渉を行なう日程をたて、その旨被告人の了解を得たこと(同前)。

(3) 一〇月に入り、児玉はクラツターに対し、被告人からの要求であるとして、L―一〇一一型機に関するマーケツテイング・コンサルタント契約に基づいて、ロツキード社が児玉に支払うべき手数料の一部二〇万ドルを米国内で被告人に渡すよう手配して欲しい、領収証は出す旨要請したこと(クラツター〈嘱〉第5巻353頁以下、第7巻583頁以下)。

(4) クラツターは、右要請受入の諾否をコーチヤンに照会したところ、その要請は受け入れられる、米国のロツキード社側で被告人に交付する旨の回答を得たので児玉にその旨連絡したこと(同前、コーチヤン〈嘱〉第7巻604頁以下)。

(5) 一方、被告人は、前記日程をサンズホテルに伝えたところ、同ホテル側から、買収交渉は一一月四日の日曜日に行なつてもよいとの意向を示されたため、同日程を、ホノルルで一泊した後、翌三日に同所を、午後四時五分ロスアンゼルス国際空港着予定のユナイテツド航空一一四便で発ち、直ちに、同日午後五時ロスアンゼルス国際空港発のウエスタン航空六便に乗り継いで、ラスベガスに向い、翌四日にサンズホテル側との交渉を行なうように変更したこと(証人中島40〈公〉)。

(6) 一〇月二六日、クラツターは、ロツキード本社のR・I・ミツチエル宛テレツクスで、一〇月二九日から一一月四日の間にクラツターを含めた東京駐在社員の旅行予定はない旨連絡していたこと(符137)。

(7) 児玉は、一〇月末ころ、JPR社に電話し折から海外出張中(一〇月二六日から一一月七日まで)であつた福田に代わつて電話に出た同社常務取締役歳谷鉄に対し、被告人が、米国に行く件でクラツターに会いたい、米国でクラツターから受取りたいと言つているので、君の方でクラツター及び被告人と連絡を取り、クラツターを被告人のところへ連れて行つてくれと依頼したこと(歳谷〈検〉、19〈公〉)。

(8) 歳谷は、早速同じビル内のロツキード社東京事務所に赴き、クラツターに対し、児玉からの連絡の趣旨を伝え、クラツターの申出に応じて、その場で国際興業本社に電話し、当日かその翌日に被告人と面会する約束を取り付け、右約束の日時に、クラツターとともに国際興業本社を訪れたところ、一階の事務所に入つたところでクラツターから先に帰るように言われ、JPR社に戻つたこと(同前)。

(9) クラツターは、右の経緯により、授受への直接立会の要請を受け、一〇月三一日午前中にロツキード社財務部副部長L・T・バロウに電話して、二〇万ドルの資金準備方を確認したうえ、コーチヤンに対しても、電話により二〇万ドルの米国内での授受につきクラツター自身が交付に立会うよう要求された件について話し合い、コーチヤンからロスアンゼルスへ赴くことの承諾を得るとともに、そのころE・H・シヤツテンバーグの立会をも要請したこと(前示クラツター〈嘱〉第5巻、第7巻及び第6巻482頁以下。前示コーチヤン〈嘱〉第7巻、クラツターの一九七三年版日記写(弁(二)77))。

(10) 次いで、一一月二日、クラツターは午後七時発のヴアリグ航空八三一便で羽田を発つて同日正午ころロスアンゼルスに到着し、他方、被告人は同行者約二〇名とともに、同月二日午後一一時五五分発の日本航空七二便で羽田を発ち、同日ホノルルに到着し、同所のホテルで一泊したこと(前示クラツター〈嘱〉、中島〈公〉)。

(11) この間、日本における市場開拓、販売活動等の業務を行なつていたロツキード社の子会社たるLAIは、一〇月三〇日付で、支払原因をL―一〇一一マーケツテイング・サービス(前記コンサルタント契約において児玉の職責とされている事項である。)として、額面二〇万ドルの小切手一通(受取人デイーク社名義)を振出し、これに、LAI財務部長などとしてロツキード社の海外市場開拓活動の財務を担当し、日本におけるクラツターの各種支払資金の手配、調整等にも当つていたシヤツテンバーグにおいて、同小切手の振出人欄及びその振出請求書にサインし、同小切手は一一月一日に支払済となつていること(符88、89)。

(12) 一一月三日、クラツターは、ロスアンゼルス市内のLAIの事務所に赴き、同人の前記要請で授受に立会うこととなつたシヤツテンバーグと落ち合い、同人とともに同人が準備していた現金二〇万ドル入りの黒皮アタツシユケースを携帯して、自動車でロスアンゼルス国際空港に向い、同空港のユナイテツド航空が使用するサテライト7において、被告人一行搭乗にかかる同航空一一四便のホノルルからの到着を待つていたこと(前示クラツター〈嘱〉)。

(13) 他方、被告人一行は、ホノルルを一一月三日午前九時発のユナイテツド航空一一四便で出発してロスアンゼルスに向い、多少遅延して午後四時一八分ころロスアンゼルス国際空港に到着したこと(前示中島〈公〉)。

(14) クラツターらは、右一一四便が到着したロスアンゼルス国際空港サテライト7ゲイト76に被告人を出迎え、シヤツテンバーグがあらかじめ手配していた同サテライト内でゲイト76から約二六メートルの至近距離にあるユナイテツド航空のプライベート・ルーム(接客用個室。当時はVIPルームとして使用していた。)に被告人を案内して行つたこと(前示クラツター〈嘱〉)。

(15) 同個室内でクラツターは、被告人に初対面のシヤツテンバーグを紹介した後、前記アタツシユケースとその鍵を渡してその中身の確認を求め、被告人において一旦同ケースを開披して米ドルの紙幣が在中していることを確認したうえで、早々に同ケースを持つて同個室を出たこと(前示クラツター〈嘱〉)。

(16) この間、被告人一行の出迎え、接遇に当つていた日航ロスアンゼルス空港支店員麻野富士夫は、ゲイト76からサテライト7中央部のエスカレーター方向へ暫く歩いたところ、被告人の姿が見当たらないので、同行者達とともに、暫時同サテライト内で被告人が来るのを待つていたこと(麻野〈検〉)。

(17) 次いで、被告人一行はロスアンゼルス国際空港から同日午後五時発のウエスタン航空六便でラスベガスへ向い、同夜を含めてサンズホテルに三泊して所用をすませた後、同月八日に帰国したこと(前示中島〈公〉)。

(18) 一方クラツターは、同月一三日に帰国後、そのころ児玉名義の右二〇万ドル相当の日本円五三〇〇万円分の領収証(二六五〇万円二通)を受領し、右二〇万ドルは児玉・ロツキード社間のマーケツテイング・コンサルタント修正一号契約に基づき、ロツキード社において児玉に対し支払うべき追加手数料のうち、全日空が購入契約を締結したL―一〇一一型機七号機分の一二万ドル及び同八号機分の三分の二にあたる八万ドルの手数料として支払処理されていること(領収証カラー写真(甲(一)203)、クラツターの「摘要」写(甲(一)207))。

(19) その後シヤツテンバーグは、一一月二六日付でクラツターに対し、同年中のクラツターの支払状況に関して、同月三日に一ドル二六五円で換算した二〇万ドルが支払われた旨の書簡を出し、クラツターも翌昭和四九年一月四日付の返書で、昭和四八年一一月三日に二〇万ドル相当の金員を受領及び支払した旨答えていること(報告書添付の前記シヤツテンバーグの書簡写(甲(一)251)、クラツター〈嘱〉第7巻624頁、副証七号)。

(二) 以上の各事項に関する証拠が十分信用に値するものであるならば、各事項に沿う事実の存在を肯認することができ、ひいては、本件訴因につき、その証明がなされたものと言うことができる。

ところで、右に列記したところから一見して明らかなように、各事項に関する証拠のうち、その大半の事項に関連し、内容においてその核心とも言うべき二〇万ドル授受の事実に直接かつ具体的に触れているのは、右授受の一方の当事者であるクラツターの〈嘱〉であり、間接的にこれを裏付けるものとして、コーチヤンの〈嘱〉、歳谷鉄、麻野富士夫の各供述がある。右授受の事実の存在を強く否定する弁護人は、これらの各供述の信用性を極力争い、多岐に亘る論旨を展開してこれを駁撃しているので、以下、項を分けて順次判断する。

3 クラツター証言の信用性(その一、総論的判断)

前示のとおり、クラツター証言は、本件二〇万ドルの授受に至る経緯、授受当時の状況を直接、具体的かつ詳細に示すものとして、本件事実関係解明の鍵とも言うべき最も重要な位置を占めている。証拠の信用性を争う弁護人の論旨も、同証言の弾劾を中心に展開されている。

個々の証言事項についての信用性の判断は後に譲ることとし、ここでは先ず、同証言の信用性一般に関する総論的判断を示すこととする。然るときは、同証言は、(一)そのなされるに至つた経緯、(二)体験者でなければ知り得ないような事項に関する客観的事実との符合、(三)虚構であると仮定した場合に生ずる矛盾不合理等の諸点に照らし、高度の信用性を有するものと認められる。以下各点につき分説する。

(一) はじめに、本件二〇万ドルの授受に関する供述がなされるに至つた経緯、すなわち、それは、尋問者も予期しなかつた事項につき、客観的資料に基づき、全く自発的になされたものであるという点に着目する必要がある。

クラツターが、同人に対する嘱託証人尋問手続において、本件二〇万ドル授受の事実に関し初めて供述したのは、昭和五一年九月二三日の尋問期日においてであるが、当時、日本の捜査当局は、本件二〇万ドルがロスアンゼルス国際空港において被告人に交付されたとの容疑を全く探知して居らず(そのことは、別件被告人児玉譽士夫に対する同年六月四日付外国為替及び外国貿易管理法違反被告事件の起訴状において、本件二〇万ドルに相当する金員の支払として、本邦内における邦貨による児玉に対する支払事実を主張していることからも窺われる。)、クラツターに対する尋問事項中にも具体的に明示していなかつたのであるから、嘱託尋問の実施を担当したロバート・G・クラーク検事としても、右容疑を知る由もなかつたのである。

本件証言の端緒となつたのは、クラツターにおいて、ロツキード社の日本におけるコンサルタントに対する支払につき、特別会計としての資金の受入、支払状況その他につき、その都度克明に記帳していた「摘要」(Recap)と題する書面(甲(一)204、207)の記載事項の説明を求められたことである。

問題の記載事項は、「摘要」二枚目表の一九七三年一一月三日付の

〈イ〉 受領欄の“EHS 200K”

〈ロ〉 支払欄の“V53. OR”

〈ハ〉 備考欄の“200K<2R 26.5 ea>#7 2/3 #8”

の各記載である(因に、クラツターの証言及び「摘要」の他の記載事項を総合すれば、右各記載の意味は、〈イ〉“Received from E.H. Schattenberg 200 Kilo dollars”(E・H・シヤツテンバーグより二〇万ドル受領)、〈ロ〉“Checked, Disbursed 53.0 Million Yen, Receipt”(照合済、五三〇〇万円支払、領収証有)、〈ハ〉“200 Kilo dollars<2 Receipts, 26.5 Million Yen each>No. 7, two-thirds of No. 8”(二〇万ドル<領収証二通、各二六五〇万円>七号機、八号機の三分の二)であると、それぞれ解読し得る。)。

右記載事項自体からは、この支払が、ロツキード社と児玉間のマーケツテイング・コンサルタント修正一号契約に基づく同社が全日空に売却したL―一〇一一型機七号機及び八号機分の手数料の一部に関連するものであることは窺知できるとしても、それが、日本国内において邦貨で児玉に対し支払われたものでないという事情までは判明しない。

ところが、クラツターは、右〈ハ〉及び〈ロ〉の記載事項の意味についてそれぞれ説明した後(〈嘱〉第5巻352頁)、クラーク検事から右〈イ〉の「EHSのイニシヤルに続く二〇〇K」の意味を問われるや、

(答)「そうですね。とくにこのときの授受に際しては、私は、児玉氏から、同氏への手数料の支払を小佐野氏に対してすることを、要求されたのです。児玉氏に対して支払うべき金額の手数料を小佐野氏に支払うよう手配することを、ですよ。」(同353頁19行以下。)

と供述し、初めて右支払が被告人に仕向けられたものであることを明らかにしたのである。そして、支払額が二〇万ドルで、米貨で支払われたことを確認した後、クラーク検事の

(問)「もしも、あなたのおつしやるとおりだとすれば、一九七三年一一月三日に、あなたは、二〇万ドルを小佐野氏に差上げたか、あるいは、小佐野氏に渡して貰うために児玉氏に交付したということになりますね。」(同354頁2行以下)

との質問に対し、自ら右二〇万ドルの授受に関与した事実を率直に認め、右授受はロスアンゼルス国際空港のユナイテツド航空の建物内でなされ、シヤツテンバーグも立会つたこと等、自己の体験した授受時の具体的状況、更には、児玉から前記要求がなされてから右授受に至るまでの交渉経緯につき詳細な供述をなしている。

右供述が全く自発的になされたものであることは、右供述経過からも、また、予期しない供述に驚いたクラーク検事の質問振りからも、十分看取できるところである。そして、本件授受が、〈イ〉その場所が日本国内でなく、米国内であり、そのためにクラツターが態々帰米していること、〈ロ〉その対象が邦貨でなく、米貨二〇万ドルであること、〈ハ〉その相手方が児玉でなく、被告人であることの三重の意味において、クラツターが数多く経験して来たコンサルタントへの支払の中で唯一異例のものであり、同人にとつてもとりわけ印象深い出来事として記憶に残つたであろうことは、推認するに難くない(そのことは、さきに引用したように、クラーク検事から「摘要」受領欄の“EHS 200K”の意味を問われた際、“Particular transac-tion”という表現を用いて答えている点にも、そのニユアンスを窺い得るし、また、同月二九日の尋問期日において、クラーク検事が、丸紅、児玉、小佐野等、「日本国民」(Japanese Nationals)に対する現金授受について質問したのを聞き咎め、「日本通貨」(Japanese Currency)と言われたのかと思つたと弁解したうえで、「小佐野氏に交付したのは、日本通貨ではありませんでした。」と問わず語りに答えているのも(第7巻627頁12行)、本件授受の特異性の印象が強かつたことを示すものと考えられる。)。そうだとすれば、右供述は、単に自発的になされているというに止まらず、提示された「摘要」の記載から直ちに甦えつた特異な授受に関する当時の記憶を率直に吐露したものとして、高度の真実性を保有するものと評価できるのである。

(二) 次に、クラツターの供述内容が、実際に起つた事実を体験した者でなければ知り得ないような事項につき、他の証拠によつて認められる客観的事実と符合している点も、看過できないところである。

すなわち、本件授受当時、クラツターが在任地である日本を離れ、帰米中であつたことは、自身の体験に属することであるから、暫く措くとしても、〈1〉被告人が、同日ユナイテツド航空便で、ホノルルからロスアンゼルス国際空港に到着したこと、〈2〉被告人には、五人以上の日本人の同行者があつたこと、〈3〉クラツターとともに、E・H・シヤツテンバーグが被告人の出迎え及び二〇万ドルの授受に立会つたこと、〈4〉右授受の場所は、ユナイテツド航空の建物内で、ジエツトウエイ(航空機の乗降口と待合室とをつなぐ通路)と同じ階にある同社の接客用個室(Private room)であること、〈5〉被告人は、右授受の際、急いでいる様子であることが窺われたこと、その他の事項については、〈イ〉クラツター以外の多数当事者が関与しているのであるから、もし虚偽の陳述をなしたとすれば、関係者の裏付捜査により直ちにそのことが露見する危険性があるうえ、〈ロ〉これらの事項に関しては、仮に実際に体験していない者が想像で供述するとすれば、右と異なる様々の可能性を想定し得る(たとえば、弁(一)13報告書によれば、当時、ホノルルからロスアンゼルスに到着する便を運航していた航空会社は一一社を数える。)のであるから、偶々客観的事実と符合する唯一の場合を選択して供述することは至難の業であり、ことに、かかる事項の数が増えるほど、その困難性は飛躍的に高まるのであつて、そのすべてが的中する可能性は極端に少なくなるものと考えられるところ、前記〈1〉ないし〈5〉の諸点に関するクラツター証言は、殆ど他の証拠によつて認められる客観的事実と符合しているのであるから、その信用性は極めて高いものと言わざるを得ない。

ことに、本件授受の場所に関するクラツター証言の信用性については、特筆に値するものがある。

すなわち、クラツターは、九月二三日の証言において、右授受の場所に関し、はじめは、ロスアンゼルス国際空港のユナイテツド航空のターミナル・ビル内であるとのみ供述し(第5巻354頁13ないし20行)、次いで同社の個室の一つであると述べた(同358頁16行)のであるが、クラーク検事の「その個室というのは、ユナイテツド航空の保有する「レツド・カーペツト・ルーム」ですか。」との問に対しては、「部屋の名は知りません。」と答えている(同406頁22ないし25行)。同月二九日の尋問に際しては、クラーク検事は、ロスアンゼルス国際空港のユナイテツド航空のターミナル・ビルの平面図三枚(副証69号)を用意して、右個室の所在を特定しようとしたのに対し、クラツターは、右平面図一枚目のメザニン・レベル(中三階)には、「レツド・カーペツト・ルーム」(ラウンジ・エリア内の[△1]のマーク及び注記[△1]参照。)の所在が明示されているにもかかわらず、「それは、私の記憶するところでは、旅客が飛行機の乗降に利用するジエツトウエイと同じ階にある小さな個室だつたと思います。」とはつきり証言したのである(第7巻598頁24行ないし600頁11行)。

これによつて見れば、クラーク検事は、クラツターの証言する個室とは、右ターミナル・ビル中三階にある「レツド・カーペツト・ルーム」ではないかと想定し(副証69号によれば、他に証言に該当するような個室は見当らないから、右想定自体は無理からぬところである。)、クラツターの記憶喚起に努めたのであるが、同人は、右個室がジエツト・ウエイと同一階にあるとの自己の記憶に固執して譲らなかつたことが窺われる。

ところで、ロバート・G・クラークの供述書(甲(一)217)、ウイリアム・L・リツチマンの〈検〉(甲(一)213)、検察官小林幹男外三名の実況見分調書(甲(一)212)によれば、〈1〉クラツターは、右証言の翌年である昭和五二年六月二四日、クラーク検事とロスアンゼルス国際空港サテライト7のユナイテツド航空ターミナル・ビルで落合い、同検事に、本件授受の場所について指示説明したこと、〈2〉その個室は、ジエツトウエイと同一階の、右ターミナル・ビルの増築部分にあるが、証人尋問当時同検事が同証人に示した平面図(副証69号)は旧いもので、右増築部分が記載されていなかつたこと、〈3〉右個室は、実況見分当時(昭和五三年九月四日ないし同月七日、現地時間)にも現存し(添付写真53ないし57参照。)、ユナイテツド航空の乗務員の会合や説明会のために使用されているが、本件授受の行なわれた一九七三年一一月当時は、ユナイテツド航空のVIPルームとして使用されていたものであることが、それぞれ認められる。

してみれば、クラツターは、本件授受の場所が「レツド・カーペツト・ルーム」ではなかつたかとの、当時としては無理もなかつたと思われるクラーク検事の誘導尋問にもかかわらず、それがジエツトウエイと同一階であつたとの自己の記憶をいささかも曲げることなく、結果的には客観的真実に符合することが明らかとなつた供述をしているのであつて、このことは、同人の記憶の正確性、その証言の信用性を雄弁に物語るものと言えるのである。弁護人は、嘱託尋問に際し、副証69号を示されながら、クラツターが、本件個室の所在を特定し得なかつたことを論難するが(弁論要旨396頁)、前記のように、副証69号には、本件個室のある増築部分が記載されていなかつたのであるから、図面上指示できないのは当然のことである(クラツターは、クラーク検事が副証69号を示し、質問の前提として図面について説明しかけたのを途中で遮ぎり、「このパブリツク・レベルとあるのは……(“Public level,”is this……)」と発言しかけ、引続き記録外での話合いが行なわれているのであるが、右経過は、クラツターが副証69号の三枚の平面図のうち、三枚目に編綴してあるパブリツク・レベル(ジエツトウエイと同一階)の図面を逸早く見分し、それが現場と相違していることに気付き、思わず前記発言(原文は明らかに疑問文である。)に及んだものであることを窺わせるに十分である。話合いの後、クラーク検事が、クラツターの口頭による説明で尋問を打切り、個室の所在個所を図面上指示させようとしなかつたのは、話合いの過程で、図面の不備を指摘されたことを暗示するものである。)。所論の非難は当を得ない。

(三) 最後に、本件授受を否認する弁護人の所論を押し進めれば、右授受に関するクラツター証言は、すべて架空の出来事を述べていることにならざるを得ないので、部分的には右(二)の論点と表裏の関係にあるものも含まれるが、クラツター証言が虚構の作り話ではないかとの可能性につき、検討しておこう。因に、弁護人は、クラツターは何らかの必要から本件二〇万ドルを被告人に押しつけた疑いが濃厚である旨の主張を繰返している(弁論要旨344、470頁。そうであるとすれば、当然の帰結として、前記(一)の証言の自発性も、その信用性を保障するものではないということにならざるを得まい。)。

本件二〇万ドルの授受が架空であるとすれば、クラツターは、右授受のため、ロスアンゼルス国際空港に出向いたことも、同所で被告人と出会つたこともないこととなる。遡つて、児玉から前示のような要求を受けたことも、右要求に関し、コーチヤン、L・T・バロウ、E・H・シヤツテンバーグらと折衝したこともないこととなろう。しかし、以下に述べる如く、右のような仮定の成立たないことは明らかである。

第一に、右仮定のとおりであるとすれば、クラツターは、昭和四八年一一月三日に被告人がホノルルからユナイテツド航空便でロスアンゼルス国際空港に到着するとの旅行日程を知らなかつた筈であり、ましてや同行者の有無、人数、被告人の急いでいる様子等、同空港到着時における被告人一行の具体的状況を知るに由なく、これらにつき客観的事実に合致する証言をなすことは不可能である(被告人も、クラツターが被告人の旅行日程を何故知つていたのか、思い当る節はない(71〈公〉)と述べるのみである)。

第二に、クラツターは、同年一〇月二六日付R・I・ミツチエルあてテレツクスにより、同月二九日から同年一一月四日までの間、旅行予定はない旨の連絡をしていたにもかかわらず(符137)、これを変更して同月二日のヴアリグ航空便で急遽ロスアンゼルスに飛んでいるのであるが、〈1〉クラツターの日記(弁(二)77)の記載を見ても、同月三日の本件授受立会の件がないものとすれば、同月四日までの間には緊急を要する案件は何ら窺われず(あるのは、ゴルフに関する記載のみである。)、さきのテレツクスによる連絡を変更してまで帰国を急いだ理由が見当らないのみならず、〈2〉嘱託尋問に際しては、本件授受には当初他の者が立会うことになつていたが、直前に児玉の要請で自分が立会うこととなつた旨証言しているところ(第5巻356頁)、実際にこのような事実がなかつたものとすれば、前記テレツクスを示して訊かれた訳でもないのに、その存在及び記載内容を具さに記憶していて、これと矛盾することのないよう、テレツクス発信時点では旅行予定がなく、その後変更されたことを説明できるような作り話を創作したこととなり、いささか不自然の感を免れ難い。

第三に、前示の如く、歳谷鉄及び麻野富士夫は、本件授受に関するクラツターの証言を一部裏付ける供述をしているのであるが、右麻野はクラツターと全く面識がないのであるから、右両名間で供述を合わせるための通謀がなされる可能性はなく、また、右歳谷とクラツターとの間には面識のあることが認められるが、両名間の通謀の可能性につき検討するに、歳谷が供述しているのは、同年一〇月末ころ、被告人の意向を伝える児玉からの依頼電話に基づき、クラツターを国際興業本社に案内したという事実であつて、かかる事実については、クラツター証言では何ら触れられていないのである。クラツターが、歳谷をして自己の作り話と符合するような虚偽の供述をなさしめたものとすれば、何故、自ら証言もしていないような事項について、歳谷に供述するよう指示したのか、甚だ不可解である。歳谷及び麻野は、それぞれ実際の体験に基づく供述をなしているものと考えざるを得ない。

第四に、クラツターが本件二〇万ドルを被告人に押しつけるために虚構の事実を述べているものとすれば、その虚構は何時考え出されたものであるか。昭和五一年の嘱託尋問に際してというなら、次のような無理がある。〈1〉本件授受が行なわれたというのは、昭和四八年中のことである。何人といえども、既に発生した過去の事実を改変することは不可能である。事実関係そのものでなく、それについての証拠あるいは証拠の表わす意味を改変することは、全く不可能とはいえないにしても、第三者の手中に存する場合や他の証拠との整合性を考えると、事実上大きな制約を受けることとなる。従つて、動かし難い過去の事実及び証拠を洩れなく探知し、これらと一点の矛盾をも生じないような架空の筋書を後日案出することは、容易にできることではない(この困難は、虚構の事実を考え出したのが、いわゆる会社ぐるみでなく、クラツター個人の発案であるとすれば、一層大きなものとなる。)。〈2〉のみならず、既存の証憑書類(ロツキード社・児玉間のマーケツテイング・コンサルタント契約書、「摘要」の記載、児玉領収証の存在等)から、本件授受は、児玉に対する手数料の支払として処理されていることが窺われるところ、〈イ〉実際もそのとおりであるとすれば、既に嘱託尋問においてコーチヤン、クラツターらが児玉に対する多数回、多額に及ぶ金員支払の事実を認めている以上、この一回二〇万ドルに関してのみ、事実を曲げて被告人に押し付ける必要は毫も見当らず、〈ロ〉仮に実際は然らずとするも、そのことを秘匿するためであれば、証憑書類の指し示すとおり、児玉に対する支払のままとするのが最も簡便な方法であり、あるいは、児玉への授受に常時介在し、嘱託尋問当時既に死亡していた福田太郎の名を利用することも考えられ、いずれにせよ、ここで仮装工作の対象に被告人を選ぶべき必然性はない。〈3〉この虚構が、たとえば裏金の存在を秘匿するため、ロツキード社全体で仕組まれたものとすれば、それまで既に二度六回に及ぶ証言を終えていたコーチヤンが何らこれに触れていないのは不合理であるし、逆に、クラツター個人が、自己の不正行為を隠匿する等の目的で、勝手に捏造したものであるとすれば、コーチヤン、バロウ、シヤツテンバーグらの関与を認める供述をなすのは偽証発覚の高度の危険を冒すこととなるうえ、何よりも、コーチヤンが、後日、クラツター証言を裏付ける供述をしている事実と矛盾することとなる。

第五に、それでは、昭和四八年当時から、本件二〇万ドルを被告人に押しつける策謀がなされていたものとすればどうか。この時点においては、後日、米議会等でロツキード問題が取上げられるような事態はよもや予見していなかつたものと思われるから、仮装工作の必要があつたとするなら、それは、ロツキード社内外の会計監査や監督官庁に対する報告等に備えてのものと思われる。然るところ、〈1〉前示の如く、本件支払についても、他の多くの支払の場合と同様、コンサルタントである児玉に対する手数料の支払であることを示す証憑書類は存在しているのであるから、何故本件の一回についてのみそれでは不都合とされ、被告人に対する支払であるかの如く仮装する必要があつたのか、理解し難い(この当時は、同社としては被告人の協力を期待する立場にあつたのであるから、被告人を陥穿にかけることを企図するなど思いも及ばないところである。)のみならず、〈2〉真実そのような必要があり、仮装工作を行なつたとするなら、証憑書類それ自体から被告人に対する支払であることが看取されるような工作を行なうのが通常であり、そうしなければ無意味であるのに、それが行なわれた形跡はない。クラツターの証言による補足をまたなければ、そのことが分からないというのでは、到底その目的を達し得ない。

以上のように、クラツター証言が虚構であると仮定すれば様々な矛盾、不合理を生じ、これらは、同証言が真実を述べるものと考えたときに、初めて解消されるのである。

4 クラツター証言の信用性(その二、各論的判断)

次に、個別的な各証言事項に関する弁護人の所論につき、順次検討を加えることとする。

(一) 先ず、弁護人は、クラツターが児玉から本件二〇万ドルを被告人に手交するよう依頼された旨の証言につき、〈1〉その場に当然立会つた筈の福田の供述中に、この件につき全く触れるところがないのは不自然である、〈2〉クラツター自身の証言内容も曖昧で具体性に乏しい旨主張する(弁論要旨325ないし332頁)。

右〈1〉の点に関しては、福田(昭和五一年六月一〇日死亡)が生前この点に関する供述を残していないことは、なるほど所論のとおりであるが、同人に対する取調は、昭和五一年二月二六日から同年五月二八日までの間、既に病床に在つた同人の病状を常時顧慮しつつ、その間隙を縫つて行なわれたものであるから(証人山邊力17、20〈公〉、同小林誠一郎17〈公〉)いきおいその取調対象も、当時までに捜査当局において探知し又は関心を抱いていた事項を優先的に取上げることとなり、捜査当局から発問される以外の事項につき福田の側から進んで供述する余裕も体力も乏しかつたものと考えられるところ、前示のとおり、捜査当局が、本件二〇万ドルと被告人との関連を探知したのは、福田の死亡後である同年九月二三日以降のことであるから(前記3の(一)参照。)、同人が、質問を受けなかつた右事項に関し進んで供述を残さなかつたとしても、さして怪しむに当らない。要するに、クラツターの本件二〇万ドルに関する証言は、福田の死亡により、あるいは得られたかも知れない裏付供述を得る機会を失つたと言うに止まり、その沈黙によつて積極的に証明力を減殺されることはないのである。なお、弁護人は、福田は、本件授受に関連する昭和四八年一一月三日付の児玉領収証二通を提示されて質問を受けているのであるから、本件授受の事実が実際あつたものとすれば、福田からその話が出ない筈はないと主張するが、所論引用にかかる同人の51・3・5付〈検〉(甲(一)84)では、同人は、専ら領収証の英訳文を作成したときの状況について質問を受け、これに対してのみ供述しているに過ぎないものであることが窺われ、しかも、その際、従前の供述を改め、これについては領収証記載の日付と英訳を頼まれた日時が相当離れているかもしれないと供述していることよりすれば、この点に関する福田の積極的な供述が存しないことを以て、クラツター証言の証明力を減殺するに由ないものである。

次にクラツター証言は、児玉からの依頼の趣旨については、明確に供述しており、かつ、実際の授受の状況については具体的かつ詳細に証言しているものであつて、これと比較して依頼状況自体は相対的に重要性に乏しく、かつ、本件授受に関してだけでも、その準備、手配のため多数の連絡、打合せがなされていることに鑑みれば、所論は理由がない。

(二) 次に弁護人は、ロツキード社の児玉に対する手数料支払義務に関する証言について、〈1〉修正一号契約書に照らせば、七号機(引渡日昭和四九年一二月一六日)、八号機(同、昭和五〇年一月一六日)についての手数料は、いずれも引渡の際に支払われるとされているのであるから、各々一年以上も前に先払いしていることとなるが、これについて、クラツターは、二〇万ドルの出金の根拠は手数料の先払いではなく、カリフオルニア州バーバンク市のロツキード本社から既に手数料債務が発生しているとの連絡を受けた旨不合理な説明に終始している、〈2〉一九七四年一月二六日付クラツター作成のメモ(コーチヤン〈嘱〉第4巻副証28)の記載によれば、同日付の時点では七号機、八号機分の手数料は依然として未払とされている旨主張している(弁論要旨332頁以下)。

しかしながら、右〈1〉の点についてみるに、所論援用にかかる児玉へ支払うべき手数料債務発生をバーバンクのロツキード本社から聞いた旨のクラツター証言は、本件二〇万ドルについてのものではなく、一般的な飛行機引渡日の連絡の有無に引続き、同じく一般的に児玉への手数料支払義務発生の了知方について証言しているものに過ぎない(〈嘱〉第6巻484頁)。

そして、このことは、右に引続き本件二〇万ドル関係に限定して、児玉から本件被告人への支払を依頼された時点までにバーバンクのロツキード社から児玉に対する当該五三〇〇万円の手数料債務が発生したと聞いたことは記憶にない旨の問答がなされていること及びその内容に照らしても明らかである。むしろ本件二〇万ドルの授受については、支払時期の点にも問題があるのでシヤツテンバーグの立会を求めたほか(クラツター〈嘱〉第6巻485頁)、別途児玉の支払要求をロツキード本社に取次ぎ、承認されたというのであつて、前記契約条項を含めた一般論の適用がないものとも考えられるのであるから、所論はその前提を誤るものと言うべきである。

次に〈2〉について検討するに、関係証拠によれば、確かに〈イ〉副証28は、一九七四年一月二六日付のクラツター作成にかかる手書きメモであり、その中でコンサルタント(複数)に対する支払義務として、一九七四年一月九〇万ドルとの記載の下に、七号機から一四号機までの分(一機一二万ドル)九六万ドルと記載されていることが窺われ、なお、〈ロ〉コーチヤンがこれについて、その日付にはまだ引渡されていなかつた八機に対するもので、これから支払われるものであると証言していること(〈嘱〉第4巻393頁)も見受けられる。しかし、右〈イ〉については、同メモを含めた同種のメモ、書面類は、コーチヤン、クラツター間においてL―一〇一一型機販売活動に関する各種手数料の率あるいは総経費額等を予測して算出、把握するため再三作成していたものであることが認められ(コーチヤン〈嘱〉第4巻380ないし389頁)、副証28のメモについても、総計及び率が最後に計上記載されていることに徴すれば、その作成目的は専ら、作成時点におけるL―一〇一一型機販売関係費用としての各種手数料の総額等を算定するためと考えられるのであるから(コーチヤン自身同メモ中の全日空に対する四〇万ドルの記載については、必ずしもそれが支払われたことを意味せず、予想かも知れないと証言して(〈嘱〉第4巻388頁)、実際支払の整理、把握のためのものではないことを示している。)、計算の便宜(七号機はともかく八号機についてはその三分の二とされており、半端である。)及び整理の都合上、一般原則に即して記載作成し、本件二〇万ドルの如き特異例外的な支払については、ことさら明記しなかつたものとも考えられ、これに作成者とされるクラツターの証言が何ら存しないこと、右〈ロ〉については、コーチヤンの前記証言は七号機ないし一四号機の八機が一九七四年一月二六日ころまでに未だ引渡されてないことを唯一の基礎として従つて未だ支払われてないとする一般論的な趣のものであり、同人自身、本件当時ですら二〇万ドルが児玉への手数料の一部として支払われたことは推測していたに止まり、その具体的な支払根拠については明確に了知していなかつたこと(もつともこのこと自体は、コーチヤンにおいて、総体的な手数料支払及びその額を把握するに止まり、自ら会計処理等に当つていたものではないから何ら異とするにはあたらないものである。)よりすれば、副証28の記載自体及びそれ以前に示されていた手数料関係の各種計算メモの記載につられた証言とも考えられることを併せ勘案すると所論摘示の理由によつては、未だクラツター証言の信用性ひいては本件授受の存在を否定するに由ないものである。

なお、この点につき付言するに、そもそも関係証拠に照らせば、本件二〇万ドルの支払根拠として、七、八号機相当分が充てられていることが認められるものの、右は本件二〇万ドル支払の後、クラツター、シヤツテンバーグらにおいて相談のうえ、その支払根拠として会計処理の必要上充当したものと認められる。蓋し、およそ、児玉の性格及び従前の金員授受の状況に照らすと同人が自ら七号機分及び八号機の三分の二に相当する分(以下「七、八号機分」という。)と指示して支払を要請するものとは到底考えられず(クラツターのこの旨の証言はロツキード社内部における後日の会計処理及びこれに対する児玉の承諾等の前後の事情を混同したものとも窺える。)、むしろ事の実体としては、児玉の強い要請を受けて、引渡前とはいえ、既に全日空との間で一〇号機までの売買契約が成立済(昭和四八年五月三一日締結)であつて、やがて引渡されることが確実であるところから、一応右要請に応じた支払を先行させ、後日その支払原因としては、コンサルタント契約の内容に即した調整処理をすることとして、一旦支払をなしたもので(現に同様の処理をしたものとして、一九七五年三月四日の児玉に対する五〇〇〇万円の支払が窺われる(クラツター〈嘱〉第7巻584、585頁、コーチヤン〈嘱〉第7巻610、611頁等。)。)、七、八号機分との支払根拠は、後日ロツキード社内部での会計処理上、これを以て本件二〇万ドルに充当させることとしたものと考えるのが相当だからである。これに対し、弁護人は、手数料前払の請求があり、これに応じなければ、取引不成立の危険があるときに限つて手数料前払を承認した旨のコーチヤン証言(〈嘱〉第6巻565ないし568頁)を引用し、当該七号機から一〇号機については、かかる危険はなかつたのであるから、先払の必要性は認められない旨主張している(弁論要旨339頁)。しかしながら、コーチヤンは、所論援用の如き証言に引続いて、成功の確信が強まつていたこと(七、八号機に関する限り、既に確定的な契約が締結されていたのであるから、成功済と言うことができる。)及び既に資金準備ができていたことの理由から、児玉に対する手数料を前払した旨証言し、更に、L―一〇一一型機計画関係で児玉に対する前払は非常に融通がきいたとも証言している(〈検〉第7巻610、611頁)のであつて、所論は理由がない。

因に、ロツキード社において、児玉に対する手数料の一部として本件二〇万ドルを支払つたこと及びそれにつき事後的にせよ七、八号機分手数料として処理したことは、修正一号契約に基づく手数料支払義務と「摘要」その他の関係証拠に顕われた児玉に対する各支払額とを対比照合するに、本件二〇万ドルを七、八号機分の手数料とした場合に始めて整合性を得ることによつても明らかである。すなわち、仮に、本件二〇万ドルを七、八号機分手数料と切離して考え、あるいは、そもそもその支払の事実自体を否定した場合、二〇万ドルという多額の、しかも一号機(個別的には七号機)以降一〇数号機まで各機毎の手数料支払がきちんとなされている(ことに八号機については昭和五〇年に至り、その三分の一分の手数料が九、一〇号機分と一括して支払われている。)中で、その中間の七、八号機分二〇万ドルについてのみ何ら支払がなされていないという極めて不合理な事態となるのであつて、支払者側たるロツキード社から受取人たる児玉に至るまで、多数の関係者が関与している手数料支払につき、かような事態が長年月そのまま放置されたとすること(関係証拠に照らしても、このことが問題とされた形跡は何ら窺われない。)は、到底認め難いからである。

(三) 更に、弁護人は、児玉から、二〇万ドル支払の要求を受けてから一一月三日の授受に至るまでの経緯に関するクラツターの証言が極めて不明瞭かつ曖昧であり、福田のクラツターが米国でのドルによる支払は不可能であると言つた旨の供述とも齟齬する旨主張する(弁論要旨345頁以下。)。

しかし、本件授受に関して、クラツターは、児玉からの支払要求、そのロツキード社コーチヤンへの取次・承認、自己の渡米、交付立会という主要な経緯については明瞭にその内容、状況を証言しているのであつて、授受のための細部に亘つた準備諸手続の詳細については、短期間に多数の内外関係者と頻繁にやりとりしたことが窺える当時の状況に鑑みても、これを明確に識別記憶し、かつ証言し得てないとしても、とりたてて不自然というべきものとは考えられない。また、所論引用にかかる福田〈検〉の供述記載は、それ自体からも明らかなように、昭和四七年中に、日本円六億円の支払に関する話合いの最中における、児玉の一般的な質問に対し、クラツター限りでその場で答えたものに過ぎず、それ故にこそ翌昭和四八年の本件児玉の具体的要求に対しては、クラツターにおいて直ちに承諾の回答をすることなく、一旦ロツキード社に問合せ、その了承を得たうえで、始めて児玉に許諾の返事をしている経緯が窺え、米国政府に対する授受の報告についてすら言及している(〈嘱〉第7巻590頁等)のであるから、何ら不合理なものではなく、所論は理由がない。

(四) 次に、クラツターは、本件二〇万ドル授受の状況については、具体的かつ明確に証言しているにもかかわらず、弁護人は、なおもその時刻、場所及び授受の方法、状況について重大な疑問がある旨主張する(弁論要旨379頁以下。)ので以下検討する(但し、時刻の点については後記10において検討する。)。

先ず、弁護人は、授受の場所につき、クラツターが嘱託尋問の際その所在位置を具体的に特定指摘できなかつたにもかかわらず、約一年後にはクラーク検事に対し特定指示し得たことを不可解であると論難するが、その当らないことについては、さきに詳細説示したとおりである(前記3の(二)参照。)。

すなわち、クラツターは嘱託尋問においても、二〇万ドル授受を行なつた部屋の状況については、ユナイテツド航空の小さな特別の個室であつた旨ある程度具体的に証言している(それが客観的事実と符合することは前示のとおりである。)ものであつて、立つたままのあわただしい(〈嘱〉第5巻359頁)極く短時間の授受のために使用しただけで、しかも被告人と同行し、被告人への二〇万ドル交付についてのみ専ら関心があつた当時の事情の下では、授受がなされた個室の状況についてそれほど印象に残るものとも考えられず、右の程度の証言に止まつたからといつて特段異とするには当らないし、場所の特定については、一貫してユナイテツド航空の建物のジエツトウエイと同じフロアである旨証言していたところ、翌昭和五二年六月二四日に至り、クラーク検事と同行して同サテライトに赴き、ゲイト76付近にある接客用個室を特定指示したものであり、まさにジエツトウエイと同じフロアにあり、当時それがユナイテツド航空のVIPルームとして使用されていた事実に照らせば、右証言は十分信用できるのである。弁護人は、僅か一年たらずの間におけるクラツター証言の変遷を論難するが、裁判所における、しかも当時の状況と異なりVIPルームの存する継ぎ足し部分の記載の落ちている平面図を示されたうえでの尋問では明確な指示・説明ができなくとも、実際その現場に赴けば、記憶を喚起あるいは明確化し、容易に特定指示しうる事態も十分考えられるのであるから特段疑問とすべきものではない。むしろ嘱託尋問に際して、一階上のフロアにあるレツド・カーペツト・ルームではないかとの誘導的質問を受けながら、これを肯認しなかつたクラツターの態度に思いを致すべきである。

次に、所論は、麻野〈検〉との齟齬を挙げるが、そもそも麻野供述は、ジエツトウエイからエスカレーターの方に二、三〇メートル歩いた時には既に被告人はいなかつたので、その辺で待つていたとしているに止まり、被告人の動向を直接供述するものではなく、その移動経路と前記個室が離れていたとしても特に不自然ではないし、麻野において被告人を同行者と暫く待つていたとする点に比較すれば、その具体的な地点如何は軽微な事項に属することに照らして、明瞭かつ正確な記憶が残存していないとしても、とりたてて異とするに足りない。

次に弁護人は授受の状況・方法に関して、第一に英会話の全くできない被告人が唯一人で高額の現金の授受を行なつたとすることは到底考えられない旨主張するが、まさに英語に堪能でない被告人が唯一人で高額の現金授受を行なうことになつたからこそ、あえて当初の要請に付加して、相手方として従前より面識あるクラツターの立会を重ねて要請したものであるから理由がない。因に、クラツターは本件授受の際、被告人はただ「ありがとう」といつただけである旨具体的に証言している(〈嘱〉第7巻601頁)。また弁護人は第二に、クラツターが本件授受に限つて被告人から受取りを徴していないことは極めて不自然である旨主張する。しかしながら、所論指摘にかかる被告人以外の者との金銭の授受に関しては、いずれもロツキード社側の人間としてはクラツターしかいない場面であり、関係証拠とりわけクラツター・シヤツテンバーグ間の各書簡等をみるに、クラツターは金銭支払に関する領収証等を専らLAIで経理を担当するシヤツテンバーグの下に支払の証憑ないし会計処理のため送付し、両人の間でそのつき合せないし手持資金の確認等をしばしば行なつていることが窺えるのであつて、そうだとすれば、クラツターにおいて各種受取りを徴するその主目的は、専らシヤツテンバーグへの説明のためであると考えられる。然るところ、本件授受に関してはまさにクラツターにおいてあらかじめ自ら特にシヤツテンバーグの関与立会を求め(〈嘱〉第7巻592頁等)、その立会を受けていることが認められるのであるから、重ねて被告人から受取りを徴する必要性は存しないもの(対児玉の関係では、児玉自らクラツターの立会を要請していること及び後日該当領収証が予定どおり発行されている事情等に鑑み、かかる受取りなどが必要でないことは、クラツターにおいて十分了知していたものと認められる。)であつて、所論は理由がない。

(五) 以上の次第であつて、クラツター証言の信用性を論難する弁護人の主張は、いずれも理由がないことに帰する。

5 コーチヤン証言の信用性

本件二〇万ドル授受に関して、コーチヤンは当初の嘱託尋問に際しては何ら証言に及ばなかつたものであるが、昭和五一年九月二九日再々喚問された際の嘱託尋問において、昭和四八年一一月三日ロスアンゼルス国際空港においてクラツターとシヤツテンバーグが被告人に二〇万ドルを渡したことは知つている、私はクラツターから児玉からのドル支払の依頼について報告を受け支払を承諾したし、それは児玉に対してコンサルタント契約によりロツキード社が支払義務を負うものの一部の履行としてなされたと思つている、クラツターから現金の交付が無事終了したとの報告も受けた旨証言し(〈嘱〉第7巻604ないし609頁)、本件授受の存在を認めているところ、弁護人は同証言は、細部に亘ると曖昧なものとなり、クラツターとの話合の方法等重要な事項について同人の証言と齟齬しているうえ、支払義務の点について従前の証言と食い違うにも拘らず、簡潔に帰すものであるとして、その信用性を争い、かような証言の推移からするとコーチヤンの右証言はクラツターと打合せて虚偽の供述をなした疑いが濃い旨主張する(弁論要旨417頁以下)。しかしながら、むしろ、両者の供述間に前記のような食違いの存することこそ、かかる疑いを払拭し、両者間の通謀の存在を否定する何よりの証左である(仮に両者間に通謀が存在したとすれば、コーチヤンは、同人の滞日記録、領収証及びロツキード社内部における会計処理等により客観的に明らかとなるべきクラツターとの打合せ状況、支払義務の根拠等について、同人の証言と符合する明確な証言をした筈である。)。本件授受の準備、実施の細目に直接携わることなく、クラツターから報告を受け、これに承認を与えるだけのコーチヤンの地位に鑑みれば、そもそも当時から同人が細目に亘る詳細な状況の把握に関心を有していたものとは考えられないのであつて、加えて前示の如く、同人においてことさら不明瞭な証言をなすべき必然性がないことをも併せ考えると、同人の証言が細部に亘ると曖昧になり、客観的事実と齟齬する点を含むということは、何らその信用性を毀損するものではなく、却つて同人が自己の記憶に忠実に正確な証言をしていることを物語るものである。コーチヤンの地位からすれば、その証言の価値は、片々たる些事についてまでクラツター証言と符合することにあるのではなく、大局において本件授受の存在を肯認する点に存するのである。

更に所論はコーチヤンが従前ロツキード社、あるいは児玉からの被告人に対する金員交付を否定ないし知らないとしていた点を捉え、前記証言との間の変遷を問題とするが、所論指摘にかかるコーチヤン証言(〈嘱〉第2巻等)は専ら被告人抱き込み費用として児玉が増額を要求した五億円に関しての一般論であると認められ、その後本件授受の如き個別、具体的な事項について特定した質問を受け、よつて記憶を喚起しつつ右事項に限つて従前の証言の趣旨を訂正する証言をしたものと推察でき、何ら不自然とは言えず所論は理由がない。

6 歳谷鉄供述の信用性

(一) JPR社常務取締役歳谷鉄は同社社長福田の部下としてその職務を補佐していたものであるが、51・11・24付〈検〉において、昭和四八年一〇月末から一一月初めころ、JPR社社長室に児玉から電話が入り、折から海外出張中の福田に代わつて出た自分に対して、被告人がアメリカに行く件についてクラツターに会いたいと言つているから、右両名と連絡を取り時間を打ち合わせて、クラツターを被告人のところへ連れて行つてくれと言つた、このとき児玉はアメリカでクラツターから受取りたいとかクラツターにもアメリカに行つてもらいたいと被告人が言つているなどと言つたような気もする、そこで早速クラツターにその旨伝えその申出に応じてその場で国際興業に電話して被告人との面会約束を取りつけ、その日時にクラツターと一緒に国際興業本社に行つたところ、一階の応接室に入る前に突然君は帰つていいと言われ、一人でJPR社まで歩いて帰つた旨供述し、19〈公〉において証人として出廷し、概ね右と同旨の証言をなし、ただ児玉からの電話の中で同人がアメリカでクラツターから受取りたいとかクラツターにもアメリカに行つてもらいたいと被告人が言つていると言つた件については、〈検〉供述当時は児玉がそのようなことを言つたような気もしたのでそう述べたが、その後いろいろな報道記事を読んで、その内容と自分の記憶とを混同した状態になつてしまつたので責任を持つて言えないし、国際興業へ出かけた時の交通機関もちよつと覚えてない旨付加して証言している。右の如き歳谷の供述は、本件授受関係者以外の第三者の供述であつて、児玉からクラツターに対する本件授受とりわけクラツター自身の立会についての依頼及び事前のクラツター・被告人間の打合せを示唆する重要な証拠と言うべきところ、弁護人はその信用性を種々論難する(弁論要旨428頁以下)。

(二) よつて検討するに、先ず弁護人は福田の海外旅行について児玉が認識していなかつたとする歳谷供述は、従前の児玉、福田間の間柄に照らし不自然である旨主張する(同438頁)。しかしながら歳谷供述を仔細に検討するに、同人は電話が社長室にかかつてきたこと及び自ら社長は不在である旨告げたことを根拠として、児玉は福田宛に電話をかけてきたのではないかと推測しているに止まるものであつて、歳谷が挙げる根拠を以てしては児玉に福田の海外旅行についての認識がなかつたものと断定することはできない。蓋し、児玉は福田の不在を知つていたとしても、他にとりたてて直接連絡架電をするが如き面識ある者がいない以上、一応社長室に電話をかけ、応待に出た相手が歳谷であることを確認したうえで、前記の如き依頼をしたとしても何ら不自然ではないところ、前示歳谷供述に徴しても、児玉は福田不在との歳谷の話を聞くや直ちに歳谷に依頼している状況が窺えるのであつて、かような経緯に鑑みると、むしろ、歳谷供述に即しても、児玉においてあらかじめ福田不在を了知していたものとも考えられるのであるから所論は前提を誤るものと言うべく理由がない。

(三) 次に弁護人は、児玉からの電話の内容に関する供述の曖昧さ及びその変遷の不自然さを指摘する(弁論要旨439、440頁)が、歳谷は〈検〉において供述していた児玉からの電話の内容を〈公〉においては責任をもつて言えないとしているものであつて、ロツキード事件を含めたロツキード社関係の各種報道を同社のために収集連絡するという歳谷の職務内容に照らして、〈検〉供述後、種々新聞報道等に接し記憶に混乱を来たしたとするその弁解理由は十分納得できるものである。弁護人は、この点〈検〉供述後に読んだ報道記事は児玉からの電話の内容とは無関係であるとするが、所論の如くしかく明確に本来の自己の体験の記憶と報道内容とを識別できないからこそ記憶に混乱を来たしたものと窺われるから理由がない(却つて検察官の誘導等により、歳谷が被告人ないし児玉に対して、ことさらに虚構の事実を申し述べたものであるとするならば、〈公〉前に〈検〉の当該部分を示されていること等よりして、この点についても〈検〉と同趣旨の証言に出るはずのものとも考えられる。)。

(四) 更に弁護人は、クラツターにおいて何ら歳谷供述に沿う如き状況を証言していない旨主張する(同440頁以下)ところ、クラツター日記(弁(二)77)の昭和四八年一〇月三〇日欄に午後五時から同七時三〇分まで児玉、歳谷とともに授受の状況について話し会つた旨の記載が存すること(〈嘱〉第7巻591頁)よりすれば、少なくともクラツターが本件授受の準備段階において歳谷と接触を持つたことは窺えるのみならず、当初の要請について児玉に対し受諾の回答をした後暫くして同人から連絡してきて、クラツター自らロスアンゼルスで交付が適切に行なわれるよう立会つてくれと言つてきた(〈嘱〉第5巻356頁)とのクラツター証言に照らすに、前示クラツター発の同月二六日付テレツクスにおける旅行予定なしとの連絡内容からみて、右児玉からの再度の要請は同月二七日ころ以降になされたものと解され、このころ既に福田が海外旅行中であつたこと(一〇月二六日から一一月七日まで。甲(一)85)、児玉は英語を話せないこと及びクラツター自身授受への立会を要求された時に歳谷が同席していたかも知れないとしていること(〈嘱〉第7巻591、592頁)よりすれば、右児玉からの連絡とは、児玉の依頼を受けた歳谷からの話を意味するものと考えるのが相当であり、そうだとすればクラツター証言は歳谷供述と全く相矛盾するものと言うを得ないものである。

なお、歳谷〈公〉の反対尋問中における三時に会う約束で来た旨の証言は、検察官の示唆に基づくものである旨の弁護人の主張は、もし然りとすれば、当然歳谷において検察官による主尋問においてその旨証言する筈のものと考えられるうえ、仮に所論の如くであるとしても同証言自体単なる国際興業への訪問時刻についてのものに過ぎず、歳谷供述の大筋には何ら影響しないものであるから、これを以てその信用性に疑いを抱かせるものとは言い難い。

(五) そもそも歳谷の地位、立場からみて、同人においてことさら児玉ないし被告人に不利益な事項を虚構してまで供述すべき事情は全く考えられないところ、歳谷の供述は、昭和四八年一〇月末から一一月初ころ(同人の母死亡の時期等との関連からみてその時期特定の経緯に関する供述は極めて具体的で信用できる。)児玉から電話を受けたその依頼の趣旨及びそれをクラツターに伝え依頼のとおり同人と国際興業まで同行した点については、一貫しており、その内容も真実経験した者でなければ語り得ない具体性に富むもの(とりわけ、国際興業に赴いたところ、いきなり帰れと言われて憤慨した旨繰返し述べているところは、異例な出来事についての自己の真実の心境を吐露したものと窺われる。なお弁護人は、この点についても、その状況に関する証言が曖昧であるとするが、歳谷はこの日を含めて二回しか国際興業本社を訪れていないのであるから、場所、人物等についての供述に判然としない点があつたとしても、とりたてて不自然というべきものではない。)であつて、信用性は高い。

7 麻野富士夫供述の信用性

(一) 日航ロスアンゼルス空港支店においてVIP接遇業務を担当していた麻野の〈検〉には、同人が一九七三年一一月三日ロスアンゼルス国際空港においてユナイテツド航空でホノルルから到着した被告人一行を出迎えた際、同航空サテライトのジエツトウエイ付近からエスカレーターの方向へ二、三〇メートル歩いたところ、そのときには被告人が同行者一行から離れ、いなくなつていたので同行者一行とその付近でぶらぶらしながら待つていた旨の供述記載が見受けられ、右はまさに被告人がロスアンゼルス国際空港における航空便乗継の合間に本件授受を行なつていたときの同行者一行の状況を示すものとして、被告人が一行から離れてプライベート・ルームに立寄つたとする認定の妨げとならない事情を物語るものである。

(二) 弁護人はこれに対し、右麻野〈検〉の信用性を争い、同人はVIP接遇係という職務上、被告人を何度も接遇しているのであるからその時々の出来事について正確に記憶していたか極めて疑問であるとし、他に出迎え接遇者がいたとする点、あるいは被告人一行の荷物の取扱い方法等についての供述にみられるその記憶は明らかな誤りであると主張する(弁論要旨456頁以下)。

しかしながら麻野は日航ロスアンゼルス空港支店現地採用のVIP接遇係として主要な顧客の空港での接遇に当つていたものであるところ、かような立場にある者として、日航の大株主で本件当時は取締役であつた被告人を出迎え接遇するに当り、かかる重要な顧客である被告人のロスアンゼルス国際空港到着を出迎え、同行者一行とともに案内、接遇する途中で肝心の被告人の姿を一時とはいえ見失つてしまい、止むなく再び被告人が現われるまで、その同行者達と暫くサテライト内で待つていたという自己の失態とも言いうる事態は、思いも寄らぬ唯一の異例な出来事として強く印象づけられ、明確な記憶として残るものと考えられるのであり、日常接遇業務に従事していたからこそ却つて本件については正確な記憶を有するものと考えられる。

もつとも、所論指摘の如く、本件一一月三日の出迎えの際、当時の秋山支店長、東支店長補佐も一緒に出迎えた記憶であるとの供述記載及び記憶では被告人一行は荷物を通し扱いにしていたと思うとの供述記載等は同日付タスデイリー(符51)及び池田孝〈検〉(旧甲(一)167)その他の関係証拠によれば誤りと認められる。しかしながら、弁護人において麻野の記憶が曖昧であるとして指摘する、どうしてもこの時に限つては途中からの記憶が戻らない旨の供述記載につき検討するに、右各証拠等に照らすと、同支店においては、麻野の本件出迎えに際しての被告人一行に対する接遇方法が、出迎えて更に乗継するにつき必要な世話をする趣の「MT」(Meet Transit)ではなく、単に出迎えて必要な世話をするとの趣旨の「MA」(Meet Arrival)とされ、かつ、かような指示に対して麻野からそのとおり実行した旨の報告がなされている事情が認められることよりすれば、むしろ麻野において出迎え前後の記憶はあるものの、その後の接遇状況についての記憶がよみがえらないとする点は、もともとかような世話をしていないものと考えられるのであるから当然のことである。却つて、検察官からの同行者一行のところへ戻つてきた後の被告人の態様(アタツシユケースを持つていなかつたかなどとの質問が繰返されたであろうことは想像に難くない。)等、出迎えの後の状況についての質問(麻野〈検〉四項以下の供述記載に照らし、かかる質問がなされたことは明らかである。)にもかかわらず、前記の如き供述に止まつていることは、それが真実に合致しているものであることよりして、麻野〈検〉の供述記載の信用性の高さを示すものであるし、荷物の取扱い等についての供述記載はもとより具体的記憶の存しない(被告人一行がウエスタン航空に乗継ぐ際荷物を受取つた記憶がない旨の供述は、本件に関する限りそこまでの世話をしていないのであるから当然の事理である。)事柄につき一般論として通常の取扱方を述べたものに過ぎないと認められる。その他各種状況に関する供述の不明確性を論難する所論は、およそ一般的な状況については、日常茶飯事の事柄であつて記憶の混同等が生ずることも十分考えられるものであることに比し、それらとは全く印象度の異なる被告人の姿を一時見失つたとの極めて異例な事項についての記憶ひいては供述記載の信用性を否定するに由ないものである。

8 裏付証拠がないとの主張について

(一) 弁護人は、本件二〇万ドルの授受に至る経緯として検察官が主張する事項中、〈1〉昭和四八年一〇月中旬ころ、児玉と被告人が二〇万ドル受領について話し合つた、〈2〉被告人は当初、ロスアンゼルス滞在中に受領するつもりであつたが、日程変更のためロスアンゼルス国際空港での乗継の短時間内に授受を行なわねばならなくなつた、〈3〉そこで被告人はクラツター立会を望み、児玉にその旨連絡した、〈4〉被告人とクラツターが二〇万ドル受領の打合せをしたとの各主張については、いずれも単なる推測に過ぎず、これを裏付ける証拠は何もない旨主張し(弁論要旨316頁)、ことに〈4〉については、本件授受はクラツターにとつて唯一の極めて異例な支払であつたと解されるにもかかわらず、同人がその打合せにつき何ら供述していないことは極めて不自然であり、却つて同人が〈イ〉被告人一行はホノルルから来たと思う〈ロ〉被告人一行の旅行日程を知らず、ロスアンゼルスに滞在しようとしていたものと推測していた旨証言していること(〈嘱〉第7巻601頁等)は事前の打合せなど存しなかつたことを示すものであるとする(弁論要旨377頁以下、487頁以下)。

(二) しかしながら、右事項は、いずれも本件授受に至る前段階たる準備過程における一事情に過ぎず、それが欠けることによつて本件授受自体が不可能となるものあるいは極めて不合理、不自然となるが如き必須の過程ではないものであるから、そもそもかような経緯を認定できないとしても、それによつて本件授受の事実の認定自体に直接影響を及ぼすものではない。

(三) しかのみならず、〈1〉については、現にクラツターにおいて、本件授受(一一月三日)の一〇日から二週間位前に東京で児玉から同人への手数料のうち二〇万ドルを米国で被告人に支払つてくれと要求された旨証言しているところ、クラツター日記(弁(二)76)の記載等をも併せみるに同人において、右の日時に略々合致する一〇月一五日及び同月二四日ころに児玉ないし福田と会談していることが認められ、その他関係証拠によれば一〇月中旬ころ児玉がクラツターに米国で被告人に二〇万ドル支払うよう要求したことが明らかに認められる。そして、その要求内容に鑑みると児玉が事前に被告人と何ら相談することなく、自己の一存で被告人への二〇万ドルの交付を要求したものとは到底考えられず(当初の要求及びこれに対するクラツターらロツキード社側の対応に照らせば、米国において被告人と従前面識のないロツキード社の人間が二〇万ドル交付に当たるものと予定されているところ、仮に被告人がこの間の事情を何ら了知していないとすれば、いきなり米国において見知らぬ人物から二〇万ドルの交付を受けるという事態を招来することとなり、極めて不自然、不合理である。)、とりわけ米国での交付を要求していることに徴すれば、児玉において被告人の渡米日程の概要は少なくとも把握していたことが明らかである。そうだとすれば、右クラツターへの要求に先立つて、被告人と児玉との間で、二〇万ドル受領についての話合いがなされたものと十分推認しうるのである。

(四) 次に〈2〉、〈3〉については、その後クラツターに対し、児玉から歳谷を介するなどして直接立会の依頼がなされているところ、クラツターにおいて、右要求は被告人が児玉にしたことは明らかであると明言していること(〈嘱〉第5巻356頁)及び前示の如き児玉から歳谷への電話の内容並びに前示当初の要請を変更してクラツター自身の立会を求めるようになつた原因としては、被告人一行の日程変更に伴う授受の時間的余裕の減少以外の理由が窺えないこと等に照らせば、これまた当初の要請同様、児玉において何ら被告人の要請によることなく、その一存でクラツターの立会を、とりわけ授受の直前になつて要請するものとは考えられないのであるから、被告人において前記日程変更等に伴い、児玉へクラツター立会の調整方を依頼したものと推認するのが相当である(クラツターにおいて、一旦当初の要請に対して、米国のロツキード本社側で直接交付を行なう旨の返答を児玉に伝えたところ、同人が何ら異議を申し立てることなくそのまま了解し、その後改めてクラツターの立会を求めてきた経緯に徴すれば、当初よりクラツター立会が要請されていたものとは到底考えられない。)。

(五) 最後に〈4〉については、確かにクラツター証言を仔細に検討しても、何ら被告人との事前打合せを窺わせるが如き証言はみられないものの、昭和四八年一〇月一九日、同月二五日付のクラツター発コーチヤン宛テレツクス等にはロツキード関係者が同月二五日ころ被告人を表示する暗号である“CURL(E)Y”と会談することを示唆する記載がみられ(符137テレツクス綴)、このころクラツターにおいて被告人と連絡をとつていることを窺わせるのみならず、クラツター日記(弁(二)77)一〇月三〇日欄における児玉・歳谷と授受の状況について会談した旨の記載及び児玉から被告人よりの要求として直接立会を依頼された旨の証言等に鑑みれば、本件授受に至る間とりわけ一〇月末ころには種々クラツターにおいて児玉らと授受に関して話し会つたことが窺われるのである。これに本件授受に関しては当初の要請に始まつて以来専ら児玉からの連絡を通して被告人の意向をも承知してきた経緯を考え併せると、嘱託尋問当時参照していた細部の準備経過についての記憶喚起の根拠となるべき日記によつても、児玉との会談を示唆する記載ばかりで被告人との会談を直接示す記載がなかつたこと等も手伝い、被告人との会合をこれと混同したものとも考えられる。そうだとすれば、弁護人主張の如く、クラツターが被告人との打合せについて全く証言していないことの一事を以て、被告人との打合せの事実自体はもとより、その前段階たる児玉からの依頼までも存在しなかつたと断定すべき理由はなく、とりわけ関係証拠上明らかに認定できる(クラツターのみならず歳谷供述によつても裏付けられている。)児玉からクラツターへの依頼をも一括して否認しようとするが如き所論は到底採用の限りでない。そもそも所論主張の如く、およそクラツターにおいて児玉からの依頼自体を受けたことがないとするならば、同人においてことさら当初の交付要求及びそれに対する了承回答後における突然のクラツター自身の立会要求と二段階に分別して(それだけ虚構発覚の危険が増すにもかかわらず)証言すべき必要性は全くないと考えられる。所論は時々刻々情勢が変動する事前準備の段階における二度に亘る児玉からの要請各々に関する打合せにつき、クラツターが偶々具体的な話合の内容を証言していないことを以て、その依頼、打合せ事実自体はもとより、具体的詳細に証言されている本件授受実行の事実までをも否定しようとするものであり、本末を転倒するものと言わざるを得ない。

次に所論は被告人一行がホノルルから来たと思うとしかクラツターが証言していないことは、実際に授受の打合せをしたとすれば不自然であり、更に被告人一行の旅行日程を全く知らなかつた旨の証言に至つては、クラツター自身が打合せの事実を否定しているものであるとする趣であるが、前者はクラツター自身の記憶が断言できるほど明確ではないことを示すものに過ぎないし、後者については、クラツターにとつてはロスアンゼルス国際空港における二〇万ドルの授受のみが関心の対象であることよりすれば、事前の打合せにおいても被告人の同空港への到着便(日時、場所)さえ特定明示されれば十分であり、その後の被告人一行の旅行計画等はもともとクラツターが了知する必要の全くない事項であることに鑑みれば、何ら不自然なものではない。

(六) 以上の次第であつて、前記所論はいずれも、本件授受の事実を否定する根拠とするには由ないものであつて、採用することができない。

9 児玉・被告人間の支払原因不存在の主張について

(一) 弁護人は、昭和四八年一〇月から一一月にかけての本件当時、被告人は児玉との間に何らの貸借関係もなく、他にロツキード社から二〇万ドルもの金員を受領するような理由は全くなかつたとして、児玉においてロツキード社から受取るべき報酬の一部が被告人に手交される所以はない旨主張する(弁論要旨315頁)。

然るところ、被告人も昭和四八年当時児玉と金銭的な貸借関係は全くなく、児玉が受取るべき金を代りに受取つたこともない旨(52・1・11付〈検〉(乙8)等)右に沿う供述をなし、児玉も同様の供述をなしている。

(二) よつて検討するに、確かに本件全立証に照らすも、昭和四八年一一月当時被告人において児玉がロツキード社から受取る手数料の一部二〇万ドルを受領すべき原因関係を認めるに足る直接かつ具体的な証拠はない。

しかしながら、本件事項についての虚偽陳述の成否の判断に当つては、客観的事実としてロツキード社から児玉へ支払われる手数料の一部を被告人が受領した事実の存否が問題となるのであつて、その事実が存した場合における縁由に過ぎない児玉・被告人間の原因関係如何は、それ自体直接の立証目的ではない。のみならず、関係証拠によれば、本件授受に至る背景事情として被告人は児玉と旧知の間柄にあつて、児玉が従前より秘密コンサルタントとして活動してきたロツキード社のL―一〇一一型機売込みに際しては、同人において、右販売活動に対する被告人の協力援助を得るためには従前の約定に加えて更に五億円の手数料増額が必要であるとコーチヤンに対して要求し、その旨承諾させ、その後結果的に右被告人関連の増額分手数料の支払も昭和四七年中に完了していること、この間被告人は児玉ともL―一〇一一型機売込み活動に関して種々協議、実行していること、本件授受の約三か月前のP―3Cに関する児玉の手数料増額の件については、児玉と話合いのうえ、被告人からも児玉のコーチヤンに対する増額要求を支持同調し、自ら同人に対しその必要性を自己の援助にからめて説得強調し、コーチヤンにその旨同意させていることが窺えるのである。これに、コーチヤンにおいて自ら前言を訂正してまで、本件授受のころまで被告人が児玉とともに引続きロツキード社を援助してくれていたと思う旨証言していること(〈嘱〉第7巻607、608頁)等も併せ勘案するとき、かような被告人と児玉間の関係及び児玉の手数料約定、受領の経緯に照らすに、とりわけ児玉がL―一〇一一型機売込み成功によつてロツキード社から受領する手数料が当初の成功報酬だけでも一二億二〇〇〇万円にのぼり(修正一号契約書)、うち五億円は被告人抱き込み費用として支払われることとされていたことに鑑みれば、五三〇〇万円相当の二〇万ドルを被告人が受領することとしたとしても何ら不合理と言うべきものではない(そうであるからこそ、コーチヤン、クラツター両名においても、被告人の活動状況等に鑑み、児玉からの本件支払要請の申入れがなされた際、何ら奇異に思わず、了承したものと推察できる。)。従つて所論は、本件授受自体を否定すべき適切な根拠とは認め難く、採用するに由ないものである。

10 クラツター日記一一月三日欄の記載に関する主張について

(一) 弁護人は、クラツターの一九七三年版日記写(弁(二)77)中の

“Saturday 11/3 4:30 SGCC 9 HOLES”

との記載を援用し、〈1〉右記載は、クラツターが昭和四八年一一月三日午後四時三〇分からSGCCにおいて九ホール(ハーフラウンド)のゴルフを行なつた趣旨と解すべきところ、〈2〉右「SGCC」とは、米国カリフオルニア州サン・ガブリエル市イースト・ラス・ツナス・ドライブ四一一番地所在のサン・ガブリエル・カントリー・クラブを意味するものであり(弁(一)63)、〈3〉同クラブとロスアンゼルス国際空港の駐車場(それ自体、同空港サテライト7のユナイテツド航空のターミナル・ビルからは、かなり離れている。)との間は、実際に七七年型ビユイツクを使用し、三つのルートを選んで走行実験したところ、距離にして二九マイルないし三三マイル、所要時間にして四七分ないし五〇分という測定結果を得ているのであるから(証人友田仲一37〈公〉)、〈4〉同日午後四時三〇分からSGCCにおいてゴルフのプレイをしているクラツターが、ロスアンゼルス国際空港サテライト7に午後四時一八分に到着した被告人を同所に出迎え、本件二〇万ドルの授受を行なうことは物理的に不可能である旨、クラツターのアリバイを主張している(弁論要旨350ないし394頁)。

(二) よつて検討するに、確かに、前掲クラツター日記写中には所論援用の如き記載の存することが認められ、また、SGCCの意味及びサン・ガブリエル・カントリー・クラブとロスアンゼルス国際空港との間の距離関係等については、所論〈2〉〈3〉に沿う証拠が存し、他に反証はないから、いずれも所論のとおりであると認められる。

従つて、クラツター日記中の前記記載を、所論〈1〉の趣旨に解釈し、それが真実を記載したものであると考える限り、所論〈4〉の結論は、いわば論理必然的に導かれることとなる。問題は、前記記載を、所論〈1〉の趣旨を表わすものと読むことの当否である。

弁護人はもとより、検察官においても、前掲日記中の“4:30 SGCC 9 HOLES”との記載を、一個の事項を表わす不可分一体のものと解して怪しまないのであるが、そのように解すべき必然性はない。むしろ、両当事者提出にかかる各種の関係証拠を仔細に検討するに、右“4:30”との記載を、その後の記載と一体とし、SGCCにおけるゴルフの開始時刻と見ることは、甚だしい不合理な結果を避け得ないのであつて、前記証拠を総合勘案すれば、両者は、以下に説示する如く、別個の事項に関する記載と見るのが経験則に照らし、最も合理的である。

すなわち、カリフオルニア州サン・ガブリエル市において、一一月三日午後四時三〇分にプレイを開始してハーフラウンドのゴルフを行ない得るかについては、重大な疑義が存するのである。この点につき、国際興業が全額出資している子会社であるハワイ法人京屋株式会社のロスアンゼルス支店長友田仲一は、ロスアンゼルスでは一一月三日ころの暗くなる時刻は午後六時ころである、SGCCのコースのクローズ時刻は、夏時間(四月の最終日曜日から一〇月の最終日曜日まで)の場合は午後七時(37〈公〉。但し、47〈公〉では午後六時三〇分と述べている。)、その他の場合は午後六時と聞いている。但し、一二月になるともつと早く閉める場合がある由である。SGCCのコースで一八ホールを回るには平均三時間四五分から四時間、九ホールの場合はその約半分の時間を要すると聞いた、カートを使わないでプレイする場合、クローズ時刻を過ぎてもプレイを継続できるということである旨証言している(37、47〈公〉)。右証言内容にそのまま従うとしても、一一月三日午後四時三〇分にスタートしてハーフラウンドのプレイをすれば、終了時刻は午後六時二三分ないし六時三〇分となり、暗くなる時刻でもあり、SGCCのコースのクローズ時刻でもある午後六時を過ぎてしまうこととなる。

のみならず、暗くなる時刻及びコースのクローズ時刻に関する友田の証言内容には必ずしも措信し難いものがある。

一九七三年一一月三日のロスアンゼルスにおける日没時刻は、午後四時五九分である(ちなみに、同夜は上弦の月で、月の出は翌四日午前0時五一分である。符58)から、日没後における薄明の時間帯を考慮に入れるとしても(ロスアンゼルス市、サン・ガブリエル市ともに北緯三五度に位置する。)、同日午後六時ころまで、ゴルフのできるような明るさが残つているものとは、到底認められない。

そして、友田の証言内容は、同人がSGCCの職員等に質問して得た伝聞が大半を占めているところ、一九六八年以降SGCCに勤務し、ゴルフコースのスターターをしているハロルド・キユリアは、ロバート・G・クラーク検事に対し、SGCCで二人組でプレイする場合、九ホールでは通常一時間半を必要とする、一一月においては、ゴルフコースは概ね午後五時、遅くとも五時三〇分にはクローズする、一一月に、二人組で午後四時三〇分ないしそれ以降にスタートして、九ホールのプレイをすることは、通常、不可能である旨、はつきりと供述しているのである(甲(一)215)。友田及びキユリアの職務内容、供述事項に関する体験の直接性、前記日没時刻からする考察との整合性等に照らすときは、友田よりキユリア供述の方が信を措くに足りることは明らかである。

なお、友田の言及しているところの、クローズ時刻後におけるカート無しでのプレイの継続の点については、キユリアにおいて、クラツターを個人的に記憶しているが、同人は、九ホール以上のゴルフをする場合には、必ずカートを借りていた旨供述していることに照らし、その可能性を否定せざるを得ない。

以上を要するに、クラツター日記写の一九七三年一一月三日欄の“SGCC 9 HOLES”との記載が、SGCCにおいてハーフラウンドのゴルフを行なつたことを表わすものと認められるとしても、同日午後四時三〇分からプレイをすることは物理的に不可能であり、従つて、右記載に先行する“4:30”との記載は、ゴルフ開始時刻を表わすものではないということになる(もとより、その記載形式等から見ても、これがその終了時刻を示すものでないことは明白である。)。

(三) 次に、やや別の角度から、この問題を更に掘下げて見よう。

先ず、〈1〉ハーフラウンドのプレイの可否は暫く措き、ともかく同日午後四時三〇分からSGCCにおいてゴルフを開始したものと仮定する。然るときは、右仮定事実と相容れないロスアンゼルス国際空港における被告人との間の本件二〇万ドルの授受はなかつたこととなる。そして、当日は、土曜日のことでもあり、日記の記載からもクラツターには他に何らかの用務があつたとは窺われない。とすれば、ここに重大なジレンマを生ぜざるを得ない。すなわち、日中の時間を自由に利用できた筈のクラツターが、ゴルフの開始時刻を、ハーフラウンドのプレイすら覚束ないような遅い時刻に設定する必要は毫もないこととなるからである。換言すれば、午後四時三〇分ゴルフ開始を仮定することは、そのこと自体によつて午後四時三〇分ゴルフ開始の合理性を失わせるという皮肉な結果を免れ得ないのである(もとより、これは、クラツター側の都合のみを前提とした推論であるから、ゴルフ場側の何らかの事情から、午後四時三〇分というスタート時刻しか予約できなかつたという可能性を無視することは、公平を欠くこととなろう。しかし、友田証言によれば、SGCCでは、特定のメンバーが前もつて好きなスタート時刻を独占することを防止するため、実際のスタート時刻の四八時間以前の予約受付は行なわない方針を取つていることが窺われるから、前日正午ころ帰米したクラツターが自ら又はあらかじめ第三者を介するなどして、より早いスタート時刻を予約するに何らの困難はなかつたものと考えられるうえ、スタート時刻の予定を組む立場にあるスターターの前記キユリアが、午後四時三〇分以降九ホールのプレイは不可能であると断言している以上、ゴルフ場側の都合でそのようなスタート時刻を設定する筈がないことに照らしても、前記可能性は、これを否定せざるを得ない。)。“4:30”との記載をゴルフ開始時刻と見ることによる不合理は、このような点にも顕われているのである。〈2〉翻つて考察すれば、そもそも、社内行事としてあるいは営業政策として催されたゴルフに社員としての地位に基づいて参加したような場合は別論として、個人的な娯しみのためのゴルフをした事実を日記に記録しておく場合に、その開始時刻まで記載しておくことは、さして重要なこととは思われない。少くともクラツターは、そう考えていたものであることは、一九七三年一〇月二九日から同年一一月二二日までを一葉に記載した本件日記写(弁(二)77)には、SGCC四回を含め日米両国にまたがり合計七回のゴルフに関する記載が見受けられるが、問題の一一月三日を除けば、時刻の記載してある例は皆無であること(弁(二)77以外のクラツターの各日記を見ても、記載した理由が直ちに判明するような若干の例以外に、時刻の記載を伴う例は殆どない。)に照らしても、明白である。そうだとすれば、問題の一一月三日のSGCCに関する記載も、とくにこのときのゴルフが開始時刻の記録を要するような特殊の催しであつたことがその記載自体からは窺われないので、他のすべての例と同様に、時刻の記載を伴わないものと見る方が素直であり、当該記載に先行する“4:30”の記載は、ゴルフとは別個の事項に関するものであると考えるべきである。〈3〉そこで、改めて問題の記載部分を仔細に検討すると、“4:30”と“SGCC”との間には、略々“4:30”の四文字の占める長さと同程度の間隔の存すること、クラツターは、関連性を表わすため、屡屡二個以上の語を横線(ダツシユ)で連結しているが(翌一一月四日欄の“golf”と“SGCC”との間にそれが見られるほか、弁(二)77中のゴルフ関係の記載に限つても、同月一七日、一八日、二二日欄の記載にその例が見られる。)、右“4:30”と“SGCC 9 HOLES”(この三語は、記載内容自体の関連性から、同一事項に関する記載であることが明白である。)との間には、このような関連性を表わす符号は存しないことが看取される。以上の記載形式に、本来時刻に関する記載は、その性質上、どのような事項とでも結び付き得る反面、それ自体では、特定の事項に限定して関連性を示す機能に乏しいのみならず、どのような事項の記載とも関係なく、独立して用いられる場合もあり得ることを併せ考えれば、右“4:30”と“SGCC 9 HOLES”の各記載が互いに関連なく別個独立の事項を表わすものとする見方にも十分合理性が認められ、両者が同一日の欄に順を追つて一行に記載されている一事のみを以て、軽々にその間に関連性ありと考えることこそ、却つて早計と言わざるを得ない。

(四) 以上、本件日記写中の“4:30”との記載がSGCCにおけるゴルフ開始時刻を表わすものとは認められないことを論証した。

本件二〇万ドル授受の事実と両立し得ない事実として主張された同日午後四時三〇分からのSGCCにおけるゴルフにつき、時刻と場所との結び付きが絶たれてしまえば、アリバイとしては崩壊せざるを得ず、さきに高度の信用性を有するものと判断した右授受に関するクラツター証言によつて事実を認定することの支障は取除かれたこととなるのであるが、ここで、ゴルフ以外の何らかの事項との結び付きによる他の種類のアリバイ成立の可能性をも念のため検討すべく、更に進んで、SGCCとは関係のないことが明らかとなつた右“4:30”との記載が一体何を意味するものであるかについても、考究しておくこととする。

クラツター証言が正しいとすれば、同人は、本件授受に関し、児玉からその要求を受けて以降、その実施に至るまでの間に、日米両国にまたがる関係者多数との間に数々の協議、準備、手配等を重ねて来たのであり、そのことについては、本件日記中一一月二日までの欄に、克明な記録が残されているのである。これに引きかえ、問題の一一月三日欄の記載が、一見して肝心の本件授受の実施に関する記載を何ら含まないかの如き観を呈しているのは、甚だ奇異の感を免れ難い。そのことと、被告人が同日ホノルルからロスアンゼルス国際空港に到着したのが同日午後四時一八分であり、ユナイテツド航空の接客用個室で本件授受が行なわれたとすれば、その時刻は概ね同四時二〇分から三〇分ころにかけてであると考えられること、一一月二日から同月一二日に至るクラツター滞米中の日記の記載のうち、帰日航空便の発時刻を除けば、時刻がとくに記載されている個所がこの一例に限られていることは、それが滞米中の最も重要な事項に関連することを暗示すると見られること、等の諸事情を併せ勘案すると、右“4:30”との記載は、ロスアンゼルス国際空港で本件二〇万ドルの授受がなされたおおよその時刻を示すものであるとの推定が成立する。すなわち、右記載は、本件授受と両立し得ない別の事実に関するものではなく、まさに本件授受そのものに関する記載であることとなり、一一月三日の欄に肝心の授受に関する記載を欠くのではないかとの疑点も解消する。

もとより、ある行為に関する記録を残す場合、その日時だけではなく、行為の行なわれた場所、その当事者、行為の種類等を併記するのが通常の方法であり、時刻のみを記載するというやり方は異例としなければならぬ。しかし、クラツター日記(「摘要」も然り。)の記載は、本人の性格が然らしめるのか、あるいは記録としての性質によるものか、当座の備忘のための必要最小限に限られる点に特色を有するのであつて、場所(たとえば“SGCC”)、人名(たとえば、“ACK”,“HF”)については、頭文字のみ又は暗号名を用いるのが普通であり、行為の種類についても、“Transaction”(授受)等と一語ですませるか、更には“telcon”(電話による会話)のような省略形を用いることが多く、しかも、一つの事項については、場所、当事者、行為の種類等のうちいずれか一つしか記載しないことが多いのである(たとえば、一一月五日から九日にかけての記載は、場所のみを表示している。)。かかるクラツター日記の特色を考慮しても、やはり時刻のみの表記はかなり異例であることに変りはない。しかし、それは、時刻のみの表記では、通常、ある事項を特定することが困難で、備忘の役を果し得ないことに基因するものと考えられるから、事柄の性質上、特定の日に特定の事項のあつたこと自体は極めて明白で記録にまつまでもないような場合には、その生起した時刻のみを記載しておくという方法も十分考えられ、本件はまさにその好例である。すなわち、本件二〇万ドルの授受に関しては、態々そのためにクラツターが東京・ロスアンゼルス間を往復しているのであり、一〇月二九日から一一月二日までそのための協議、連絡、準備、手配を重ね、かつ、そのことの克明な記録も残されている以上、授受当日の模様については、それが無事予定どおり遂行された限り、同人としては、その場所、当事者、行為の種類等に関する記録を残すまでもないところであり、一般に忘却し易い時刻に関してのみ、備忘のため日記に記載したものと考えても何ら不自然ではない。

そして、本件授受は、このときのクラツターの帰米の主要目的であり、従つて、一一月三日の出来事の中では最も重要な事項であるから、これを同日欄の冒頭に記載し、私事に過ぎないSGCCにおけるゴルフの件(本件授受後においては時間的に不可能であるから、これに先立つて行ない、ハーフラウンドで打切つたため、とくに“9 HOLES”の注記を施したものと考えられる。)は、その後に記載したものと考えるのが最も自然な見方である。

(五) 叙上の次第であるから、弁護人が前記(一)の冒頭で援用する本件日記の記載は、本件二〇万ドルの授受に関するクラツター証言と相容れない事実の存在を示すものではなく、却つて、右授受の存在を裏付けるものとすら言い得るのである。

最後に、クラツターが、本件授受の時刻を「正午前後の時間帯」(“around midday sometime”)であると思うが、一二時より前か後かはつきりしない旨証言していること(〈嘱〉第5巻358頁)に対する弁護人の批判(弁論要旨383頁以下)について検討する。もともとクラツターは、右証言に際し、「私の記憶する限りでは」とか、一二時の前か後か「はつきりしない」とか附加して断定的な表現を避けており、構文上“midday”を「正午」(noon)を表わすものと解するとしても、その前後に“around”と“sometime”とが附加されていることにより、全体の意味は「正午を挾む時間帯」ということで早朝深夜を除く「日中」(daytime)に近くなつているとも解される(もともと“midday”には、そのような語義も含まれている。)うえ、授受の準備、手配の段階では、その時刻は、場所とともに、当事者間の重要事項であることは疑ないとしても、ひとたび授受がつつがなく遂行されるにおいては、具体的形象を伴う場所に関する記憶と異なり、性質上長く記憶にとどめ難いのが通常であることに照らしても、授受の時刻に関するクラツターの記憶に多少の曖昧さが含まれることを以て、授受そのものの存在を覆えそうとするのは、不合理と言うべきものである(因に、弁護人は、クラツターが、本件日記の“4:30 SGCC 9 HOLES”との記載との抵触を避けるため、適当に“midday”と言つたのではないかと推論しているが、さきに引用した証言に際しては、本件日記は同人に示されていない――初めて示されたのは、同巻420頁記載の証言に関してである――ことに照らし、そのような作為がなされたものとは認められない。)。

(六) 以上の次第であつて、縷々の所論は、すべて排斥を免れない。

11 乗継間の時間的余裕に関する主張について

(一) 弁護人は、被告人らの一行約二〇名は、昭和四八年一一月三日定刻より一〇分以上遅れて午後四時一八分ロスアンゼルス国際空港サテライト7に到着し、ユナイテツド航空の携帯荷物受領所で一行の荷物を引取つたうえ、ウエスタン航空のサテライト5に徒歩で向い、同航空の携帯荷物受付所で各荷物の預入手続をした後、同サテライト三階の同航空チエツクイン・ブースに赴いて搭乗券を受取り、しかる後午後五時発の同航空六便でラスベガスへ発つたものであるが、多人数ということもあり、この間相当な時間を要し、かようなあわただしい乗継の間に二〇万ドルの授受を行なうが如き時間的余裕はなく、それ自体極めて不自然である旨主張する(弁論要旨403頁以下)。

(二) よつて検討するに、関係証拠によれば一応午後五時発のウエスタン航空六便に乗継ぐためには、その五分前までにサテライト5内の同航空出発ゲイトに到着すればよいことが明らかであるから、午後四時一八分到着後この間約三七分間の時間的余裕が存するところ、両当事者提出にかかる実況見分関係証拠によつて明らかな所要時間の実測結果中、最も時間のかかつたもの(友田41〈公〉、最上39〈公〉)によつても、ユナイテツド航空の携帯荷物受領所から右出発ゲイト手前のチエツクイン・ブースまでの所要時間は一三分二五秒程度であり、従つて計算上差引二三分三五秒の余裕があるのであつて、一方、ユナイテツド航空到着便から同荷物受領所までの所要時間が同じく最大八分四〇秒程度であること(但し、到着便からゲイト76までの所要時間は被告人一行の搭乗位置に鑑み二分程度と認めた。)よりすれば、結局一五分程度の時間的余裕の存することが認められる。他方、本件授受がなされた場所と認められる接客用個室は、ゲイト76から二六メートル程の至近距離で、しかもサテライト一階の荷物受領所へ向う方向のすぐ横に存すること及びクラツター証言により窺える本件授受の状況すなわち紹介の後、アタツシユケースと鍵を被告人に手交し、被告人において立つたままで一旦ケースを開披し、在中の現金紙幣を数えることなく一瞥して確認したうえ、同ケースごと持つて部屋を出たもので、この間被告人はありがとうと言つただけで何ら会話もなされなかつたことに照らせば、授受それ自体に要した時間は極めて短時間と解されることをも併せ考えると右乗継の間には本件授受を行なうだけの十分な時間的余裕が存したものと認められる。のみならず、同じく関係証拠によれば、荷物受領所のカルーセルにユナイテツド航空便乗客の携帯荷物が載り終わるまでには同便到着から平均一六分程度かかるものと認められるのであるから、到着後航空機内から直ちに同受領所に急行したとしても、即座に荷物を引取ることができるとは限らず(この点は、長沢、大橋、最上各〈公〉等によつても明らかである。)同行者一行の各荷物をすべて引取るまでには、なお八分前後同所に止まらざるを得ない事態も十分生じ得るのであつて、しかも被告人が再三、ユナイテツド航空からウエスタン航空への乗継便を利用し、この間の事情を熟知していたことが窺われることよりすれば、所論を以てしても、本件授受の存在を認める前示認定を覆すに足りないことは明らかである。

(三) なお、弁護人は、その所論の支えとして、被告人一行は多人数であつたため、携帯荷物の引取、預入、手荷物検査、搭乗手続等に相応の時間を要することを挙げるが、右主張中携帯荷物の引取に時間がかかるとすることは、本件授受のための時間的余裕を拡大するものに過ぎず失当であること明らかであるし、その余はいずれも荷物引取より後の過程であつて、かつその前提たる荷物引取までの間に、前示の如く授受を行なうだけの時間的余裕が殆ど必然的に発生するものと解されることに照らせば、的確な根拠付けとは言い難いのみならず、そもそも最上39〈公〉によれば、ウエスタン航空ではチエツクイン・ブースに搭乗客が残つていれば、その搭乗終了まで出発を待つことが窺えるのであるから、午後五時までに同所に到着すれば十分ウエスタン航空六便に搭乗できるものと考えられ、所論指摘の事情にかかる時間の費消をたとえ認めるとしてもこれによつても補われるものである。

更に弁護人は、クラツターの一〇分から一五分位被告人と一緒にいたと思う旨の証言を援用するものの如くであるが、クラツターの右証言は、それ自体根拠のない同人の大体の判断に基づくものであるところ(この証言は、授受の具体的状況について証言する前に、はつきりしないがと留保しつつなしたものである。)、同人が客観的かつ具体的に証言している本件授受前後の状況に照らすに授受自体は極く短時間の内にとり行なわれたものと認められ、これに同人において、被告人が座ろうともせず急いでいた様子であると証言しているところからすれば、クラツター自身も授受に要した時間が極めて短時間であつたことからかような印象を受けて、証言に及んだものと推認し得ることをも併せ考えると所論は採用の限りでない。

12 空港内の被告人一行の行動に関する主張について

(一) 弁護人は、本件渡米の際被告人に同行した長沢良(54・6・7付〈公〉)、中島寿秀(40〈公〉)、最上哲(39〈公〉)、大橋賢治(38〈公〉)及びロスアンゼルス国際空港で出迎えに当つた友田仲一(41〈公〉)の各供述を援用して、被告人は昭和四八年一一月三日ロスアンゼルス国際空港において、同行者一行と離れて単独行動をとつたことは全くなく、また外国人の出迎えを受けたこともない旨主張する(弁論要旨403頁以下)。

(二) よつて検討するに、右各証人は確かに所論に沿うかの如き証言をしていることが窺われるものの、いずれもにわかに措信し難いものである。

蓋し、先ず中島及び国際興業秘書室渉外課長最上の両名は、本件捜査段階においては、再三に亘つて検察官から取調を受けながら、ロスアンゼルス国際空港における第三者の出迎え状況及び乗継までの間の同行者の行動については具体的な記憶がない旨の供述に止まつていたものであるところ(中島51・12・28付〈検〉、最上52・1・8付〈検〉、「検察庁関係」と題するフアイル(符69)等)、〈公〉においては本件当時の状況につき具体的かつ詳細に証言しているのであつて、かような証言をなすこと自体不自然、不合理である。弁護人は、検察官取調の後種々の調査を行なつた結果記憶を喚起したとするが、日程、同行者等、後日の調査等によつて判明しうる事項についてはともかく、出迎えあるいは乗継間の被告人の行動等についてはそれ自体記憶喚起の因となるものもなく(記憶喚起の事情に関する首肯すべき証言は見られない。)、とりわけ前記両名らは、被告人に随行してしばしば海外渡航しているものであり、その間ユナイテツド航空からウエスタン航空への乗継、同行者多数あるいはサンズホテルとの買収交渉目的等の事情下での海外渡航は本件渡米に限らず、それぞれ数回の事例が存するものである。従つて、仮に、麻野〈検〉の如く被告人が途中で一旦姿を消したことを肯認するものならばともかく、何らそのような事態は生じなかつたというのであるから、それならばまさに他の通常の海外渡航時と何ら変わることのない渡米に過ぎないことになり、その中でことさら本件一一月三日の状況について特定して記憶を喚起し得べくもないはずである。

次に竹中工務店専務大橋の証言は、ロスアンゼルス国際空港において、ことさら被告人の行動を注視していた訳ではなく、当然被告人も同行者一行と一緒であつたと思う旨の趣に止まるものであつて、途中実際に被告人が一緒に行動していたかどうかは、はつきりした記憶がなく、ジエツトウエイからゲイト76を出たところでは被告人の所在を別に確認していないし、その付近には外人はたくさんいたとの証言も見受けられるところである。加えて、同証言は、長沢〈公〉と同様、被告人において空港で所用があつたとすれば同行者一行に対し、その旨伝えて荷物受領所へ先行するようにとの指示等があるはずのところ、それがなかつた、従つて被告人が単独行動をとつたことはないとの趣旨も窺え、自らの体験というよりむしろ一般的状況を述べているものとも解される。この点は所論援用にかかるその余の中島、最上、友田各証言についても同様であり、各証言は、ロスアンゼルス国際空港における被告人一行の行動状況等に関する一般的慣行を、本件一一月三日の状況にそのまま適用して証言に及んだに過ぎないものとも窺われるのである。

更に各証言は、前示の如く、タスデイリーの記載等から当日被告人一行を出迎え接遇に当つたことが明らかな麻野富士夫の存在についてすら、被告人のすぐ近くにいたとしながら、一切知らない、気づかなかつたし、いなかつたと思う、ユナイテツド航空便でホノルルから到着したので出迎えはなかつたなどと否定する趣のものであること(麻野個人との面識はなくとも、日航職員が被告人を出迎え接遇に当つた事実自体は判然とするはずである。)、その他国際興業(及びその子会社京屋)ロスアンゼルス駐在員たる友田を含めて、長沢、中島、最上、友田は、いずれも被告人の主宰する国際興業の関係者として日頃その恩顧を被つている者であり、大橋も同社から多数の土木建築工事の発注を受けている竹中工務店の東京支店営業責任者として被告人と日頃密接な関係にある(被告人と行動をともにすることは、竹中工務店の営業上プラスであるとして、特別の目的なしにその誘いに応じて海外旅行に同行した旨の同人の証言はその証左といえよう。)こと等諸般の事情をも併せ考えると、結局前記各証人の証言は、本件昭和四八年一一月三日と特定した範囲でのロスアンゼルス国際空港における被告人の動向等の状況に関する限り、にわかに措信し難いものがあると言わざるを得ず、所論は理由なきことに帰する。

13 二〇万ドルの流れに関する主張について

(一) 弁護人は、クラツター日記(弁(二)76、77)における

“11/1 Transaction”“10:00 HF-Transaction-Bank Report”等の記載、福田が昭和四八年一〇月二六日から一一月七日まで出国していること及び二〇万ドルの準備がロツキード社内部で至急扱いで処理され、一一月一日には現金化されていること等よりすれば、本件二〇万ドルは被告人にでなく、福田に交付された疑いが強い旨主張する(弁論要旨470頁以下)。

(二) しかしながら、所論はクラツターが本件二〇万ドル授受に関する事前の準備、打合せの内容等、とりわけクラツター日記の記載につき必ずしも明確な証言をなし得ていないことを以て、クラツターにおいてその内容を詳らかにできない理由が存し、それは同日記一〇月三〇日欄記載の“HF-Transaction”より見て、「HF」すなわち福田がロツキード社からの現金二〇万ドル交付の相手方であつたからであると解するものの如くであるが、歳谷〈公〉によれば、福田の一〇月二六日からの海外旅行先はドイツであると認められ(福田不在中に緊急事態が発生し、急遽同人に連絡をとるべき必要性が生ずることも十分あり得るものであるから、JPR社において福田の留守を預る歳谷としては、福田の出張先を的確に把握していたものと考えられ、その証言は十分信用できる。)、他方本件二〇万ドルの資金が準備、現金化されたのはロスアンゼルスにおいてであることが明らかであるから、福田が本件二〇万ドルの交付に関与することは物理的に不可能であり、その余の点を判断するまでもなく所論は理由がない。

弁護人は、更にクラツター日記一〇月二九日欄に“(Report law 11/1 Transaction)”との記載が存し、クラツターにおいて右“11/1 Transaction”との記載の趣旨について何も明確な証言をしていないこと、クラツターの一九七三年版デスク・カレンダー(弁(二)70)一一月二〇日の欄にクラツターが一一月一日現在のドル対円の為替レートを調べた記載の存すること、ロツキード社内部で一〇月三〇日額面二〇万ドルの小切手一通が至急扱いで振出され、一一月一日には現金化されていること及びクラツター日記中一一月一日欄は二行空白のままであることを指摘する。しかしながら、右各事項は、それ自体で本件二〇万ドルに対する福田の関与を示唆するものとは到底解されない。更に、一一月一日における金員授受の可能性を示唆するかの如き所論についても、歳谷供述に徴すれば、同人が児玉からクラツター立会要請に関する電話を受けたのは、福田出国後の平日たる一〇月二九日以降と認められること、クラツター日記一〇月三〇日欄によれば、同日午後五時より児玉・歳谷と本件授受の状況に関する話合がなされたと認められ、その会合はクラツターが二〇万ドル授受立会を要請された会合と考えられること、翌三一日欄の“Telcon-ACKKAL-P3C-Transaction”の記載が示す同日のコーチヤンとの電話において、クラツターから同人の立会を要求された件についての報告がなされたものと認められること等を総合すれば、右一〇月三一日ころ、急遽クラツターの金員授受立会が決定されたものと認められる。然るところ、弁護人指摘にかかるクラツター日記の記載はいずれも一〇月三〇日以前のものであつて、右クラツターの授受立会という計画の変更に伴い、ロツキード社側での二〇万ドル交付の予定及び実際の二〇万ドル授受の状況も変化したものと考えられることよりすれば右予定変更前のロツキード社の対応等を前提として本件授受に疑問を投げかける所論は理由がない。ロツキード社において二〇万ドルを一一月一日に現金化したとしても、授受当日たる同月三日が土曜日であること等よりすれば、何ら不自然、不合理なものとは言えない。更に、クラツターが一一月二日から急遽帰国したこと自体は明らかであるから、それがおよそ日時の切迫した二〇万ドル授受への立会という緊急を要する事態発生のためでない(一一月一日授受あるいは福田立合ならクラツター立会は不可能もしくは不要である。)とするならば、他に当初の予定を変更してまで急遽帰国すべき重要な用務の発生、存在がなければならないところ(被告人へ押しつけるための計画的な仮装工作であるとすれば、当初からクラツター立会を予定するはずであつて、急遽変更等の事態が起こるはずはない。)、前記帰国期間中のクラツター日記及び当時のロツキード社内部における各種テレツクス等の連絡書面の記載その他の関係証拠に照らしても、かような事由の発生を窺わせる事情は何ら認められない。このことは翻つて、クラツターの突然の帰国が、まさに直前になつて授受への直接立会を要求されたためのものであることを裏付けるものである(既に再三縷説した如く、クラツターにおいて単に被告人への交付を仮装する目的でのみ、かような所為に出ることは、ことさら虚構であることの発覚の危険性が増す多数関係者の関与を招く結果となるに過ぎず、また他に首肯すべき帰国の理由も存しないことからして、到底考えられない。)。

以上の次第であつて、所論は単なる憶測に過ぎず、何ら理由がなく、前示認定を覆すに由ないものと言うべきである。

(三) なお、弁護人は、昭和四八年一一月三日、被告人においてラスベガスのサンズホテルに対し、現金二〇万ドルを支払つたことはない旨主張(弁論要旨490頁)しているが、たとえ所論の如くであるとしても、それによつて本件二〇万ドル受領の認定に何ら消長を及ぼすものではないから(もつとも、逆に被告人において、本件授受の当日、ロスアンゼルス国際空港から直行したサンズホテルにおいて現金二〇万ドルを使用した事跡が認められるとすれば、そのこと自体、本件授受を裏付ける有力な情況と言いうるが、本件全立証によつても被告人がかかる支払をなしたことあるいはその裏面としての被告人以外の同行者がかかる支払をしたものでないことを断定するに足る証拠は存しない。)、結局この点についてはとくに判断の要を見ないことに帰する。

四  コーチヤンの東亜国内航空田中社長に対する紹介関係

1 公訴事実の要旨及び争点

(一) 本件公訴事実中、被告人がコーチヤンをL―一〇一一型機の売込みに関して東亜国内航空株式会社(以下「東亜国内航空」という。)社長田中勇に紹介したことの有無に関する虚偽陳述の部分の要旨は、「被告人は、真実は、昭和四九年一月下旬ころ、ロツキード社社長コーチヤンを同社製造のL―一〇一一型航空機の売込みに関して東亜国内航空社長田中勇に紹介したのにかかわらず、同五一年二月一六日東京都千代田区永田町一丁目七番一号衆議院予算委員会において、証人として法律により宣誓のうえ証言するに際し、コーチヤンと一緒に東亜国内航空の関係者と会つたことは記憶にないし、コーチヤンを財界人に引き合わせたことはない旨、虚偽の陳述をし、もつて偽証したものである。」というにある。

ところで、起訴状の記載によれば、右に摘記した如く、公訴事実前段記載の客観的事実に関しては、その発生日時を「昭和四九年一月下旬ころ」と概括的に示すのみであつて、発生場所については何らの記載もないのであるが、検察官は、その後、第一回公判期日における起訴状についての釈明及び冒頭陳述において、その日時の点は「昭和四九年一月二三日ころの夜」と、場所の点は「東京都中央区銀座八丁目六番八号所在のクラブ『りえ』」と具体的に明示し、爾後における当事者双方の主張立証もまたもつぱら右具体的事実の存否をめぐつて展開されているのであるから、本件訴因は右日時場所によつて特定された具体的事実を以て構成されているものと解すべきである。

(二) 右公訴事実中、被告人が衆議院予算委員会において「コーチヤンを財界人に引き合わせたことはない」旨虚偽の陳述をしたとの点については、かかる趣旨の国会証言をしたことそれ自体の存否が、また、「コーチヤンと一緒に東亜国内航空の関係者と会つたことは記憶にない」旨の陳述については、右陳述を偽虚とすべき客観的事実の存否が、それぞれ争われているので、これらの点につき順次判断することとする。

2 「コーチヤンを財界人に引き合わせたことはない」旨の国会証言の存否

(一) はじめに留意しなければならないのは、公訴事実記載の「コーチヤンを財界人に引き合わせたことはない」旨の陳述は、前段記載の「真実は、……したのにかかわらず」とする客観的事実に関する主張と一体をなすものとして理解すべく、かくするときは、右陳述の趣旨とするところは、コーチヤンをロツキード社製造の「L―一〇一一型航空機の売込みに関して」財界人に引き合わせたことはないとするにあることである。

証明の対象は、右の如くである。そこで、これに沿う事実を認めるに足りる証拠の有無につき検討する。

(二) 右に該当する被告人の陳述として、検察官において冒頭陳述書別表に摘記する証言部分は、予算委員河村勝の質問に対するもののみであり、本件告発状添付の予算委員会議録(甲(一)112)中には、その他に右に該当する陳述は見当らない。右会議録によれば、河村委員と被告人との問答は、次の如くである。

「(問)…最初の委員長の質問では、政財界の人にトライスター売込みの目的で、それで人を紹介したことはないかという質問であつたですね。それに対してあなたは、紹介したことは一切ないと、こうおつしやつたわけです。それならば、別段トライスターそのものとは関係なしに、政財界の人にコーチヤン氏を引合わせたということは、これはおありになりますね。

(答)ありません。」

右に明らかなように、河村委員の問は三つの文章から構成されているが、前二段(「最初の…」から「…おつしやつたわけです」まで)は、質問の前提に過ぎないものであつて、そのことについて改めて被告人に確認を求めるものでもなく、被告人も何ら応答していないのであるから、結局、この問答における被告人の陳述は、「トライスターの売込みとは関係なしに、政財界の人にコーチヤンを引き合わせたことはない。」との趣旨であると認めざるを得ない。

そして、河村委員は、場合を分けて発問するための前提として前二段のような発言をしているのであるが、これは同委員の誤解ないし錯覚に基づくものであつて、前記会議録を精査しても、被告人と荒舩委員長はもとより他の委員との間においても、河村委員引用のような問答のなされた形跡は一切認められない(荒舩委員長の質問に対し、被告人は、コーチヤンの依頼で、ロツキード社の飛行機を売込むことについて、政界の人と話合いをしたことはない趣旨の陳述はしているが、財界人に同人を紹介したことがないとは述べていない。)。

そうすると、被告人の河村委員に対する前記陳述は、同委員がわざわざ二つの場合を区別して発問した、本件公訴事実と関係のない場合に関する陳述に過ぎず、他に被告人が本件公訴事実に沿う陳述をしたことの証拠はない(前記(一)の指摘に反し、本件公訴事実中の虚偽陳述の記載を、実際に被告人が同委員に対して陳述したと同様、トライスターの売込みとは関係のない場合に関する趣旨に読もうとする試みも、無益と言わねばならない。その場合には、右陳述に反する客観的事実に関する主張が公訴事実のどこにも見当らないこととなるからである。)。

従つて、この点に関しては、被告人が公訴事実記載の如き国会証言をしたことの証明が十分でないものと言わざるを得ない。

3 「コーチヤンと一緒に東亜国内航空の関係者と会つたことは記憶にない」旨の陳述と相反する客観的事実の存否

(一) 前の事実と異なり、被告人が国会において予算委員坂井弘一の質問に対し標記の如き陳述をなしたことは、前掲予算委員会議録の記載に照らして明らかである。そこで、進んで右陳述が当時の被告人の記憶に反する虚偽のものであることの前提として、右陳述内容と相反する客観的事実の存否について検討することとする。

(二) 検察官は、被告人は、コーチヤンから、東亜国内航空に対するL―一〇一一型機売込みのため、同社社長田中勇との面談約束の取付方を依頼され、昭和四九年一月二三日午後三時開催の同社定例取締役会出席の機会を利用し、同社長に対しコーチヤンの意向を伝えてその了承を得、その結果、同日午後八時ころ、東京都中央区銀座八丁目六番八号福田ビル二階所在クラブ「りえ」において、コーチヤンを田中に引き合わせ、飲食をともにした旨主張するところ(論告要旨52頁以下)、コーチヤンの〈嘱〉第3巻(甲(一)157)、同第5巻(甲(一)159)並びに被告人(51・12・1付乙6)及び田中勇(51・11・12、51・12・13、52・1・8付)の各〈検〉中には概ね右主張に沿うかの如き供述が存し、また、クラツターの一九七四年パンデア版日記抄本(甲(一)211)中にも、同年一月二三日欄の記載として、右会合の存在を示すかの如き“8:00 HF/O/Pres. T/ACK/JWC Ginza”との記載が存することからすれば、検察官の右主張は、一見理由あるものの如くである。

然るところ、弁護人は、クラブ「りえ」における会合の存在を否認し、その根拠として、〈イ〉前記コーチヤン、被告人及び田中の各供述が、会合の日時、場所、状況等の諸点について曖昧であることを論難してその信用性を争うとともに、〈ロ〉田中勇は、当夜、午後六時ころより東京都渋谷区円山町所在の行きつけの料亭「久仁の家」において宴席を催し、引き続き午後一一時過ぎまでこれに列席していたものである旨、同人のアリバイの存在を主張する。

右アリバイの主張は、検察官主張にかかる田中の行動とは全く相容れず、これが理由あるものと認められるにおいては、検察官の全主張はたちどころに覆えらざるを得ないところであるから、先ず以て、この点に対する吟味から検討を進めることとする。

(三) 当夜の「久仁の家」における宴席の模様及びこの間の田中の行動は、次の如くである。

(1) 証人田中勇(23、27)、同林隆善(20、35)、同吉永治市(33)、同秋元一良(33)、同高島トシ(34、36)、同稲丸こと寺田千恵子(34)の各〈公〉、住民票除籍謄本(弁(一)1)及び押収にかかる「久仁の家」の売上帳(四九年一月分)一綴(符21)、東急サービス株式会社(以下「東急サービス」という。)の「御乗車料金請求書」綴一冊(符56)、同社大橋営業所の乗車料金回収票綴一綴(符55)、同営業所発行の請求書及び「久仁の家」から同社宛の配車申込票各二枚(符53、54)等を総合すれば、

〈1〉 昭和四九年一月二三日、東京都渋谷区円山町所在の料亭「久仁の家」において、東亜国内航空社長兼東急不動産株式会社副社長である田中勇が、衆議院議員吉永治市の仲介により、日本住宅公団首都圏宅地開発本部長林隆善を招待する形で宴席が設けられたこと。

〈2〉 同宴席の出席者は右三名の他、東急不動産株式会社常務取締役秋元一良、同社田園都市部長安芸哲郎の計五名であつたところ、当時田中の住所は、東京都世田谷区尾山台二―二一―二〇、林の住所は同都新宿区袋町五―一、吉永の住所は同都渋谷区神宮前五―三―一二、秋元の住所は同都世田谷区代田一―六―三、安芸の住所は同都渋谷区神宮前一丁目であつたこと。

〈3〉 当夜の宴席は、午後六時ころから始まり、同一一時過ぎころまで続き、田中は、当初多少出席が遅れたものの、遅くとも同六時過ぎころには宴席に加わり、この間その席には、午後九時ころまでは三名の芸妓を、午後九時ころから同一〇時ころまでは新たに、二名を追加して計五名の芸妓を呼んでおり、なお午後一一時ころまでそのうち三名を残しておいたこと。

〈4〉 当夜右宴席出席者帰宅のため「久仁の家」からの呼出しに応じて配車された東急サービス大橋営業所所属のハイヤーが、午後一一時三五分ころ、一台は乗客一名を乗せて右「久仁の家」から尾山台まで、残り一台は乗客二名を乗せて右「久仁の家」から神楽坂まで各々運行されていること。

以上の事実を認めることができる。

(2) 右の如く、田中勇において、昭和四九年一月二三日午後六時過ぎころから、渋谷区円山町所在の料亭「久仁の家」における宴席に出席していたことが明らかなところ、検察官は、前掲、証人林の〈公〉及び田中勇の51・12・13付〈検〉を援用して、田中勇は同日午後七時過ぎころ、右宴席を中座して、被告人からあらかじめ指定されていた銀座のクラブへ赴いた旨主張する(論告要旨、54頁及び63頁以下)。

しかしながら、右田中の〈検〉は、その供述記載内容を仔細に検討するに、吉永、林らとの宴席の記載しかない田中自身の手帳(符19)を参照したうえで、被告人らとの会合の存在を所与の前提として、その点と平仄をあわせるために、「久仁の家」から途中退席したように思うとする趣のものであり、かつ、前掲証人田中勇の〈公〉及び同水上寛治の〈公〉(30)によれば、右田中の供述は、昭和五一年一二月一三日当日の午前中に同じ水上検事が取調べた林隆善による田中勇は途中で退席した旨の供述によつて誘導された経緯が窺われるのみならず、後記の如き田中勇〈検〉全般に亘る疑問点をも併せ考えると、その供述記載は、にわかに措信し難いものである。

次に、林は、その〈公〉において、田中勇は午後七時過ぎころ、退席したので、自分も同八時ころ、辞去し、本部長専用車で帰宅した旨証言しているところ、確かに検察官主張の如く当夜の宴席の主人役である田中勇が突然、中途退席したとすれば異例な出来事として強く印象に残る事柄であつたと考えられるが、同時に林は前後二回の〈公〉において、一貫して自らも午後八時ころ退席した旨証言しており、かつ、その理由として当夜の宴席の目的は田中勇と面談することであり、その田中が中途で退席したため自分も暫くして辞去したとしているのであり、従つて林において午後八時ころ退席したとする点と、その前提となる田中の中途退席の点は、林の証言において一連のものとして密接な関連性を有しているものと解される。然るところ、仮に林の証言する如く、同夜午後八時ころまでの間に、当夜の宴席の招待者側の主役たる田中と被招待客の林とが相前後して退席したものとすれば、その後において、吉永及び田中の部下である秋元、安芸の三名のみで、前示認定事実〈3〉のとおり、更に芸妓の数を二名増やして(因に、田中勇が銀座のクラブから再び「久仁の家」に戻つたとも推認できるとする検察官の後記主張に即しても、かように芸妓の数が五名に増えた時間帯には、田中勇は「久仁の家」での宴席には在席していない。)、剰え、午後一一時過ぎまで三名の芸妓を残すなどして三時間以上に亘り宴席を続けたこととなり、極めて不自然である。のみならず、同じく前示認定事実〈4〉のとおり、同夜午後一一時三五分ころ、右宴席の客二名を乗せて「久仁の家」から神楽坂まで運行したハイヤーの存在が明らかであるところ、前示認定事実〈2〉によれば同宴席の出席者五名中、いわゆる神楽坂近辺に居住していた者としては林のみであること、証人吉永治市は〈公〉において、「久仁の家」で林、田中と会食した経験は本件宴席の一回のみであるところ、当夜は林と一台の車に同乗して一緒に帰つた記憶が強い旨証言していること、前示のとおり、吉永の住所は神宮前であつて、「久仁の家」と神楽坂との中間にあること(検察官は同証人の記憶が不確かである旨の証言を引用して、前記証言の信用性を論難するが、同証人の〈公〉を全体として検討吟味すれば、その証言は、林と同乗して帰つた記憶が強いとする限度で十分信用できるものである。)等諸般の事情をも総合すると右のハイヤーには、林と吉永が同乗していたものと認められ、そうだとすれば、前記林の午後八時ころ本部長専用車で帰宅した旨の証言ひいては田中が同七時ころ途中退席した旨の証言はにわかに措信し難いものと言わねばならない。因に、検察官は、前記「久仁の家」から神楽坂まで運行された東急サービスのハイヤーの乗客は吉永及び安芸の両名であつたと推認し得る旨主張している(論告要旨66頁)が、所論が援用する証人吉永治市の〈公〉及び御乗車料金請求書(符56)を仔細に検討しても(右請求書の経路欄には、単に、「御店(「久仁の家」)お迎え神楽坂」と記載されているのみである。)、吉永、安芸が同ハイヤーを利用したことを窺わせる根拠は何ら存在しないのみならず、却つて、右両名の当時の住所及び午後六時ころから延々五時間余に及んだ宴席が終了した直後の午後一一時三五分という当夜の時刻、状況等に照らせば、両名があえて自宅をはるかに通り越した神楽坂まで赴いたものとは到底考えられないものであつて、所論は採用できない。

(3) のみならず、前示認定事実〈2〉、〈4〉よりすれば、田中勇において、午後一一時三五分ころ「久仁の家」から尾山台まで運行された東急サービスのハイヤーに乗車して帰宅したことが明らかであり、そうだとすれば同人は、少なくとも「久仁の家」での宴席の終了時刻ころには、同所に在席していたものと認めざるを得ない。

更に、林を除く前掲各証人は、いずれも田中勇が宴会の席では途中退席するような人物ではなく、当夜も最後まで在席していたと思う旨一致して証言しており、これに前示の如き当夜の宴席の状況及び同人が途中退席したと認めるに足る十分な証拠が存しないこと等諸般の事情を併せ考慮すると、田中勇において、昭和四九年一月二三日の夜は、終始「久仁の家」における宴席に出席していたものとの推認が十分成立し得る。

検察官は、右推認を破るべく、コーチヤンらとの会合は午後一〇時二〇分ころには終了しているのであるから、その後、田中において銀座から「久仁の家」に戻つたとも考えられる旨主張する(論告要旨68頁)。しかし、右主張に沿う事実を認めるに足りる証拠は何ら存在しない。すなわち、僅かにその点に触れている唯一の証拠である田中勇の51・12・13付〈検〉の供述記載は、「又久仁の家へ戻つたかどうかの記憶もはつきりしない」と言うに過ぎず、到底「久仁の家」に戻つたことの積極認定の資料とするに由なく、他に、田中が渋谷・銀座間を往復した形跡を示す証拠はない。社用車を帰してしまつた田中が右往復に利用すべき交通機関としては、帰宅の際にも利用している前記東急サービス(大橋営業所)のハイヤーが最も可能性が高いのであるが、前掲「御乗車料金請求書」綴一冊(符56)、乗車料金回収伝票綴一綴(符55)によれば、同夜、田中が渋谷・銀座間の往復に同社のハイヤーを利用した事実のないことが明らかであり、その他、被告人差廻しの車、流しのタクシー、公共交通機関の利用等、さまざまな可能性を考え得るとしても、いずれも裏付となる証拠の片鱗すら窺えない。それどころか、暫く右の証拠関係を離れるとしても、田中が銀座から「久仁の家」に戻つたと考えること自体、不自然さを免れることができないのである。すなわち、前掲各証拠に押収にかかる「久仁の家」の売上帳(符21)及び田中勇の手帳(符19)等を総合すれば、田中の出席する「久仁の家」での宴席の終了時刻及び田中の帰宅時刻は、概ね、午後一〇時ないし同一一時過ぎころを通例とするものであることが認められるところ、午後一〇時二〇分ころ銀座を出発したとしても、渋谷区円山町所在の「久仁の家」到着までには相当の時間を要することは明らかであるから、当夜の宴席の出席者の顔振れ、目的に照らしても、異例の遅い時刻に、極く短時間、顔を出すだけのために、態々銀座から長駆渋谷に戻らなければならないほどの緊急の用件があつたものとは到底思われず、また、仮にそのような用件があつたとすれば、それを放置して中座すること自体が不自然なものとなつてしまうからである。それ故、検察官の前記主張は、採用の限りでない。

(四) 以上の次第であつて、前記関係各証拠に照らす限り、田中勇において、昭和四九年一月二三日の夜は、午後六時過ぎより、同一一時過ぎまで、渋谷区円山町所在の料亭「久仁の家」における宴席に出席していたものと推認させるに十分であり、他方、この間同人において右宴席を中座して銀座のクラブにおけるコーチヤンらとの会合に出席したと認めるに足る十分な証拠は存しないのであるから、既にこの点において、検察官主張にかかる前記会合の存在を認めるには、合理的な疑いが存し、その余の点を判断するまでもなく、本件訴因にかかる客観的事実たるべき被告人、コーチヤン及び田中勇の会合についてはその証明が十分でないものと言わざるを得ない。

しかしながら、念のため所論に鑑み、検察官援用にかかる主要な証拠の信用性につき以下判断を示す。

(1) 先ず、コーチヤンは、昭和五一年七月八日の嘱託尋問において、被告人との会合に関する証言中、一旦私と被告人との会合はすべて、被告人の会社の事務室で行なわれた旨証言した後(〈嘱〉第3巻199頁)、自ら先の証言を訂正したいとして、一九七三年か一九七四年始め頃、私はある晩クラツターとともに被告人と食事で会つたことを今思い出した旨証言し、続けてこれは東亜国内航空に航空機を販売することについて被告人の援助を頼むための会合であつた旨、その段階で質問されていた事項と全く異なる事項につき自ら進んで証言している(〈嘱〉第3巻210、211頁)。更に、コーチヤンは、同五一年八月三〇日の嘱託尋問の際、児玉がコーチヤンと被告人との会合に関して、被告人を非難していたとの証言を端緒として、一九七三年か一九七四年の最初の二、三か月ころの夕方、東京のクラブで被告人とともに、東亜国内航空の社長と会つた旨証言している(〈嘱〉第5巻537頁ないし542頁)。

確かに、右コーチヤン証言は、検察官主張の如く、その証言のなされるに至つた経緯に照らしても、一般的には信用性に富むものと言い得ようが、同時にその証言は右引用のとおり、極めて曖昧かつ抽象的なものであつて、これを以て、直ちに所論の如き、昭和四九年一月二三日夜、銀座のクラブ「りえ」という特定の日時、場所における被告人及び田中勇との会合の存在を証明するものとは認め難い。すなわち検察官は、コーチヤンが会合の状況につき具体的に証言しているとするものの、右コーチヤン証言を仔細に検討するに、先ず、〈嘱〉第3巻中のそれは、コーチヤン、クラツター、被告人間で夕食をともにした旨のものであり、しかもその目的も東亜国内航空に対する売込みへの被告人の助力を依頼するための会合であつたとしていることよりすれば、東亜国内航空の関係者の存在に何ら言及していないこととも併せて、そもそも本件会合についての証言であるか否かも分明でない(〈嘱〉第5巻中で言及されている会合が第3巻中のそれと同一の機会であるとは、コーチヤン自身明言していない。)。次に〈嘱〉第5巻中の証言を見るに、当該会合自体は、コーチヤンの依頼により被告人が田中勇を引き合わせるべく設営したものと認められるものの、その時期・場所については前記の如く曖昧であるうえ(コーチヤンは田中勇の氏名さえ忘却したとしている(〈嘱〉第5巻538頁)。)、何よりもコーチヤンがその会合の機会に被告人及び田中勇に東京、カリフオルニア間の往復航空券をプレゼントした旨証言していること(〈嘱〉第5巻541、542頁)に留意する必要がある。すなわち、右航空券は宮崎和義〈検〉(甲(一)95)によれば、昭和四九年一月二四日に発売されていることが明らかであるから、これをその前日たる一月二三日に被告人らに贈呈することは不可能である。検察官は、この点に関するコーチヤン証言は、実際に航空券を贈呈した日時・場所についての若干の記憶の混同に過ぎない旨主張するが(論告要旨62頁)、手塚一雄〈検〉(甲(一)99)、広瀬幸彦〈検〉(甲(一)98)等によれば、右航空券は被告人及び田中勇宛各々の会社に別個独立に届けられたことが明らかであり、右航空券贈呈に関する証言は、前記会合に関する証言中、最も具体的な内容をもつものであることをも併せ考えると、同会合に関するコーチヤン証言は、かかる会合が存在したとする限度ではともかく、検察官が特定する如く昭和四九年一月二三日の夜、銀座のクラブ「りえ」での会合を示すものとまでは到底認められない。

(2) 次に、田中勇〈検〉には、〈1〉コーチヤンと何度か会つたうち、最初に昭和四九年の早い時期に会つたときは、被告人も一緒であつたようにも思うが、その日時・場所ははつきり思い出せない(51・11・22付)、〈2〉昭和四九年一月末の夜、被告人から指定された都内の飲屋で被告人・コーチヤンと会つて話した様な記憶があるが、話の内容ははつきりしない、右会合のため、一月二三日の夜「久仁の家」から途中抜け出した様に思うが、何時頃で行先の場所がどこかどうしても思い出せない、銀座の飲屋と思うがはつきり覚えてない(51・12・13付)、〈3〉私の記憶では、四九年一月末の晩、銀座の飲屋で被告人立会の下でコーチヤンと会つた様に思う、銀座のどこかどうしても思い出せないし、「りえ」の場所まで検察官に案内されたが、ここへ来たのがその日であつたと断言することはできない(52・1・18付)との各供述記載が存する。そこで右各供述記載の信用性につき、順次考察する。

先ず、右〈1〉の田中の51・11・22付〈検〉における コーチヤンと会つた旨の供述記載につき検討するに、右は、証人窪田俊彦の〈公〉(8)と対比して見るとき、その信用性に多大の疑点が存するものとなさざるを得ない。すなわち、同証人は、東亜国内航空の専務取締役であるところ、昭和四九年六月半ばころ、同社にコーチヤンらの来訪を受け、これと面談中、途中から参加した田中社長が来客と挨拶を交した際、コーチヤンの名を聞き、「ミーチヤン、ハーチヤン、コーチヤンと言えば覚え易い」旨の感想を洩らしたので、通訳がこれをコーチヤンらに伝えるのに困惑していたが、そのときの様子から見て、お互いに初対面のようであつた旨証言しているのであるが、右は、自ら記憶力の正確性を強調する同証人が、直接体験したすこぶる特異な出来事に関する具体的供述であつて、たとえば、同証人が、右会談の行なわれた時期を昭和四九年六月半ばころであるとしている点は、何らの資料を参観することなく、同証人の記憶のみによつて証言したものであるが、その記憶の正確性は、押収にかかる週間報告(ウイークリー・レポート)綴一綴(符50)中一九七四年六月二二日付レポートのコーチヤンが今週日本に滞在中に東亜国内航空田中社長と会見した旨の記載及び前掲田中の手帳(符19)中の記載並びにコーチヤンの出入国記録調査書謄本(甲(一)11)及び前掲社有自動車行動表(符20)の各記載によつて窺われるコーチヤンの滞日中の行動記録を総合すれば、コーチヤンは、まさしく右証言に符合する昭和四九年六月一四日から同月二二日までの間に、東亜国内航空本社を訪問していることが認められる事情に照らし、十二分に担保されていることなどに照らし、信用性が高いものと言うことができる。そして、同証人は、右に引続き、本件捜査当時の状況に関して、検察官からコーチヤン・田中会談につき種々聞かれたので、その後田中に尋ねたところ、田中はコーチヤンと会つた記憶がない、検察官からは会つたことがあるはずだと言われているが覚えていないと言つていたので、前記ミーチヤン・ハーチヤン・コーチヤンの発言を示唆したところ、田中はようやくそういえばそうだな、コーチヤンというのはいたなと記憶を呼び起したようである旨証言しているのである。右証言も、極めて具体的な証言であり、信用できるものと言わねばならないが、そうだとすれば、田中勇は当初検察官の取調に対し、コーチヤンとの会談の記憶を全く喪失していたところ、同じく検察官の取調を受けた窪田との話合いによつて昭和四九年六月半ばごろ、コーチヤンと会つた際の状況についての記憶を一部喚起したものと認められる。そして、その時期は、田中勇の検察官による取調が昭和五一年一一月二二日から開始されたこと(証人水上〈公〉)、窪田の〈検〉が同年一二月六日付で作成されていること(証人窪田〈公〉)等に照らし、早くとも田中の51・11・22付〈検〉が作成された後のことであると認めざるを得ない。果して然らば、およそ田中においてコーチヤンの存在についてさえ明確に記憶を回復していなかつたものと認められる同年一一月二二日の時点において、前記引用にかかるが如き供述を、真実自らの記憶に基づいてなしたものとは到底認められないし、その信用性には重大な疑問が存する。

次に、前記〈2〉の田中勇51・12・13付〈検〉の供述記載につき検討する。前示の如く、田中勇がコーチヤンの名前を聞いて、ミーチヤン、ハーチヤン、コーチヤンと言つたのは、昭和四九年六月半ばにおける会談の際であつたと認められるにもかかわらず、前記窪田との話合いによつて田中がその点の記憶を喚起した後のものと認められる前掲〈検〉には、あたかも同人において、昭和四九年一月二三日の本件会合かその翌日の面談の機会に、その旨発言したものの如く供述記載されていることに鑑みれば、同〈検〉についても、その作成経緯ひいては信用性に疑問を払拭できないものがある。

のみならず、同〈検〉の供述記載は、前記〈1〉の51・11・22付〈検〉と同様、具体的な事項に関しては、いずれもはつきりしないとの趣の極めて曖昧なものであり、とりわけ「吉永氏他(林氏)」との手帳の記載から当夜の行動を思い出したとする点及び「久仁の家」から中座したとしながら、行先の場所、会合の状況等当時の捜査の進展状況下では、田中勇しか明言し得ない事項についての供述が何ら見られない点に照らし、にわかに措信し難い。

更に前記〈3〉の田中の52・1・18付〈検〉の供述記載は、昭和四九年一月二三日夜の会合に関する限り、殆ど前記二通の〈検〉の内容と同様であり、前記51・12・13付〈検〉においては、はつきりしないとしていた会合の場所が銀座の飲屋とやや特定された点についても、その供述の推移の状況を窺わせるに足る供述記載が存しないことを併せて、前二通同様にわかに措信し難いものである。

因に、田中勇は、〈公〉において、右各〈検〉作成の経緯につき、記憶がなかつた事項につき、検察官から執拗に誘導された旨証言しているところ、右証言は、前掲窪田の〈公〉及び証人吉永の、田中勇が証人として証言をする前に吉永と新聞報道された証人林の〈公〉に関して話した際、田中において、自分が「久仁の家」の宴席から中途退席したかな、そういうことがありましたかなと考えこみ、よく覚えてない様子であつた旨の証言に照らしても、右誘導されたとの点は、一概に否定し得ないものである。

以上の次第であつて、田中勇の各〈検〉の供述記載は、いずれも取調検察官の誘導等の事情によるものとして、真実同人の記憶のままに供述した内容と断定するには疑いが残るものであつて、にわかに措信し難い。

従つて、同供述記載を前提とする被告人の51・12・1付〈検〉(乙6)の田中をコーチヤンに紹介したかどうかはつきりしないが、田中がコーチヤンを私から紹介されたと述べているのなら、私が田中を紹介したことは間違いないと思う旨の供述記載も、その正確性に疑問が残るものと言わざるを得ない。

(3) 更に、検察官は、昭和四九年一月二三日夜の被告人・田中・コーチヤン会談の事実を最も直截に示すものとして、さきに引用したクラツターの一九七四年版パンデア版日記写(甲(一)211)の一月二三日欄の“8:00 HF/O/Pres. T/ACK/JWC Ginza”との記載を挙げ、右記載の“O”は被告人“Pres. T”は田中勇を示すものと主張している(論告要旨55、56頁)。

よつて検討するに、クラツター〈嘱〉第4巻、第5巻によれば、右日記の記載は、同人が、昭和四九年二月中旬ころ、一九七四年版キヤセイ・パシフイツク版日記から一括して転記したものであること、“HF”は福田、“ACK”はコーチヤン、“JWC”はクラツターをそれぞれ示すものであることが明らかである。しかしながら、クラツター〈嘱〉を仔細に吟味するも、所論挙示にかかる日付の日記の記載内容あるいは同年一月二三日夜の会合に関する証言は窺われないうえ、所論主張の如く“O”が被告人を示すものとの証言も何ら認められない。のみならず、クラツターが当初記載していた同年分キヤセイ・パシフイツク版日記抄本一月二三日欄(弁(一)7)を見るに、同人が“8:00 HF/T/Tanaka. Ginza ACK/JWC”と記載していたことが認められ、これによれば、同人は本来“O”ではなく、一般に児玉を示す“T”を表示していたものである。

検察官は、この点につき、クラツターにおいて、パンデア版日記に転記の際に、被告人であることを正確に表示するため“O”と表示を変えて記載した旨主張しているが、そもそも“O”が被告人を表示する記号であると認めるに足る十分な証拠は存在しない。のみならず、右二種の日記間では、翌一月二四日欄の各記載にも、転記に際して“4:00 consultant(T)-ACK. JWC. HF”との記載から“4:00 Consultant(O)-ACK/JWC/HF”への同様の表示変更がみられるところ(弁(一)8、9)、これについてのクラツター証言が何ら存しないことはもとより、前掲社有自動車行動表(符20)その他の関係証拠に照らしても、右一月二四日午後四時ころ、被告人がコーチヤンらと会談したことを窺わせるに足るものはないのであつて、むしろ、右転記に伴う表示の変更は、本来、各事柄の発生した時点と直近した時期に記載された当初のキヤセイ・パシフイツク版日記の記載の方がより正確と考えられること(単なる“T”ならばともかく、一般に児玉を示すことが明らかな“Consultant”と表示したうえで、更に念のため被告人か児玉かを特定すべく、そのすぐ後ろに注記したかつこ書きの中にまで、被告人を表示するつもりで“T”と記載したものとは到底考えられない。)よりすれば、一括転記の際の誤記とも解する余地が十分に存するのである。結局所論は、一月二三日夜、コーチヤン、クラツター、福田と被告人、田中勇が会合を持つたことを所与の前提として前掲クラツター日記の記載の変遷及びその趣旨を解釈しようとするものと言わざるを得ず、前示のとおり同日記の記載の趣旨が所論主張の如くに断定し難いことに照らし、直ちに首肯することはできない。

(五) 以上説示の次第であつて、検察官主張にかかる、昭和四九年一月二三日夜、銀座のクラブ「りえ」において、被告人がコーチヤンを田中勇に引き合わせた旨の事実は、〈1〉所論援用にかかる関係各証拠がいずれもその信用性に疑問が存在するか、あるいは、その主張事実を証するに足る程度の具体性、証明力を有しないものであるのみならず、〈2〉右主張事実と全く相反する田中勇の「久仁の家」における宴席への出席の事実を窺うことができ、途中退席の事実の証明が十分でないことよりして、右主張事実の存在に合理的な疑いが残ること、に照らして、未だその証明が十分とは言えないものである。従つて、それに反するとされる被告人の前記陳述が虚偽であると認めるに足りないことも明らかである。

4 結論

よつて、本件訴因については、証明不十分に帰し、犯罪の証明がないことになるが、右は単純一罪の一部であるから、主文において特に無罪の言渡をしない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律第六条第一項に該当するので、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役一年に処し、訴訟費用のうち、証人山邊力、同小林誠一郎、同渡辺尚次に支給した分の二分の一及び証人八木芳彦、同松岡博厚、同植木忠夫、同藤原亨一、同若狭得治に支給した分は、刑事訴訟法第一八一条第一項本文によりこれを被告人に負担させることとする。

(量刑の事情)

本件犯行は、昭和五二年二月、米国上院外交委員会多国籍企業小委員会の調査資料公開に端を発し、日米両国に亘る航空機販売活動をめぐる疑惑として、我国朝野の耳目を聳動させたいわゆるロツキード問題に関し、国民の輿望を担つてその真相究明に当つた国会の国政調査権に基づく一連の証人尋問の劈頭に敢行されたものであるところ、被告人が衆議院予算委員会に出頭して証言するに至つた経緯を見るに、折柄ハワイ滞在中の被告人は、一躍疑惑の中心人物として報道機関の取材攻勢にさらされる最中、国会からの喚問に接し、ソウル、大阪経由で帰京したものの、報道陣の殺到のため帰宅することも叶わず、箱根の山荘に二泊するの止むなきに至り、この間、狭心症の発作に襲われ、証人喚問当日、病状未だ治まらぬ身で早朝から長駆上京して尋問に臨んだものであり、気力、体力ともに衰えた状態で、多数の傍聴人、報道用の器材に囲まれた騒然たる雰囲気の中で、真相究明を競う多数の委員からかわるがわる査問的追及を受け、二度とこのようないやな尋問は受けたくないという思いを述懐するに至つているのであつて、もとより、その故を以て虚偽陳述を正当化する何らの根拠とはなし得ないとしても、この間の事情には憫察すべきものがあり、その他、被告人の多年に亘る企業経営者としての地域社会、公衆の便益等に対する貢献、今なお当時発病した狭心症に苦しみ、健康状態を害している点などは、被告人に有利な情状として考慮さるべきであるが、これらすべての事情を斟酌しても、冒頭説示の如く、ロツキード問題にまつわる不正疑惑の究明を願う全国民注視の国会の場において、かかる全国民の総意を代表する各委員の疑惑の核心に触れる質問に対し、中心人物の一人としてその全貌に関する真相解明の鍵を握る被告人が、記憶にないことを理由にその殆どを回避し、剰え、積極的に判示の如き虚偽陳述をなして、議院の重大な権能たる国政調査権の行使を阻害した刑責は余りにも重大であり、予算委員会全会一致の告発に窺われるが如きその国家、社会に与えた影響の甚大性に加うるに、公判に臨んでもなお虚偽陳述を押し通すための否認を重ねている態度を併せ考慮するときは、なお、被告人に対しては科するに実刑を以て臨むことも、まことに止むを得ないところである。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 半谷恭一 松澤智 井上弘通)

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